※本サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれています。
トレゼゲさんのプレースタイルは、現代でも「史上最高のフィニッシャーのひとり」として語り継がれています。
ダヴィド・トレゼゲさんはユヴェントスで245試合138得点を記録した伝説のストライカーで、フランス代表としてワールドカップ1998年優勝・ユーロ2000優勝に貢献しました。
この記事では、トレゼゲさんのプレースタイルの特徴を詳しく解説します。
ボレーシュートの職人技・左右両足の正確なシュート・ペナルティーエリア内での嗅覚など、生粋のゴールハンターとしての全貌を経歴とともに紐解いていきましょう。
記事のポイント
①:トレゼゲのプレースタイルは典型的なゴールハンター型ストライカー
②:特にボレーシュートを職人レベルまで高めた得点能力が際立つ
③:ユーロ2000決勝でゴールデンゴールを決めた伝説の瞬間
④:セリエA得点王+MVPを獲得した2001-02シーズンが最大の輝き
トレゼゲのプレースタイルの特徴と強み
- トレゼゲのプレースタイルの全体像|生粋のゴールハンター
- ボレーシュートの職人技
- 左右両足と高さ|多彩な得点パターン
- ペナルティーエリア内での動きと嗅覚
- プレースタイルを証明したユーロ2000ゴールデンゴール
トレゼゲのプレースタイルの全体像|生粋のゴールハンター
この投稿をInstagramで見る
ダヴィド・トレゼゲさんのプレースタイルを一言で表すなら、「生粋のゴールハンター」という言葉がもっとも的確です。
チームメートのティエリ・アンリさんはかつてこう語っています。
「ダビド・トレゼゲは、間違いなく僕が今まで見てきた中で最高のフィニッシャーだ。文句なし。あんな選手は人生で初めて見たよ。」
これほどの言葉を同僚から引き出すプレースタイルとは、どのようなものだったのでしょうか。
ゴールハンター型ストライカーの定義
サッカーにおいて「ゴールハンター型ストライカー」とは、ペナルティーエリア内に常に位置し、あらゆる形のシュートでゴールを奪う選手を指します。
ドリブルで個人で崩したり、試合の組み立てに参加したりすることよりも、とにかくゴールを決めることに特化した役割です。
トレゼゲさんのプレースタイルはまさにこの定義に合致しており、「味方のパスを受けてゴールに決める典型的なストライカー」と表現されます。
シュートの種類を問いません。どんなセンタリングでも対応できる柔軟性こそが、彼のプレースタイルの最大の強みです。
シュートの選択肢と状況判断
トレゼゲさんのシュート選択の特徴は、状況に応じた使い分けの巧みさにあります。
周りに誰もいないフリーな状態であれば、トラップしてシュート。
周りにディフェンダーで囲まれていれば、高身長と足の長さを活かして右足・左足・ヘディングとその瞬間で一番点になりそうなシュートを選択します。
しかもダイレクトシュートで仕留めることが多い。この状況判断の速さと実行精度が、彼をただのゴールハンターではなく「史上最高クラスのフィニッシャー」に押し上げました。
「左右両足で正確に標的を捉えるシュートスキルを持ち、ペナルティーエリア内を主戦場とした生粋のゴールハンター」という評価は、まさに的を射ています。
プレースタイルが生んだスタッツの迫力
トレゼゲさんのプレースタイルが生み出したスタッツは圧倒的です。
ユヴェントスでは245試合で138得点という驚異的な数字を残しました。
フランス代表でも71試合34得点を記録し、モナコ時代の93試合52得点も含めると、プロキャリア全体を通じて一貫して高い得点率を維持し続けました。
セリエAという世界最高峰のリーグで2001-02シーズンに34試合24得点を記録し、得点王とMVPを同時に獲得したことが、プレースタイルの頂点を示す数字です。
プロフィール表
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 本名 | David Sergio Trezeguet(ダヴィド・セルジオ・トレゼゲ) |
| 生年月日 | 1977年10月15日 |
| 現在の年齢 | 48歳 |
| 出身地 | フランス・ルーアン(ノルマンディー) |
| 身長/体重 | 190cm / 80kg |
| ポジション | FW(フォワード) |
| 国籍 | フランス(両親はアルゼンチン人) |
| 代表歴 | フランス代表71試合34得点 |
| W杯出場 | 1998年(優勝)・2002年・2006年 |
ボレーシュートの職人技
トレゼゲさんのプレースタイルの中でも、とりわけ際立つのがボレーシュートの職人技です。
空中にあるボールをダイレクトでシュートする「ボレー」という技術を、「職人レベルにまで高めた」と評されているのがトレゼゲさんです。
ボレーシュートとは何か
ボレーシュートとは、地面に落ちる前のボールをダイレクトでシュートする技術のことです。
空中にあるボールのタイミングを合わせることが非常に難しく、成功させるには卓越したテクニックと反射神経、そして状況判断が求められます。
この技術を「丁寧かつ確実にこなす。ゴールという結果で。」という評価は、トレゼゲさんのボレーシュートがいかに高い完成度を持っていたかを示しています。
一般的なストライカーはボレーを「得意技のひとつ」として持っている程度ですが、トレゼゲさんにとってボレーは「最も信頼できる武器」のひとつでした。
ボレーシュートの技術的な特徴
トレゼゲさんのボレーシュートが優れていた理由は、タイミングの正確さと軸足の安定性にあります。
空中にあるボールに合わせて踏み込み、インパクトの瞬間に体の軸を崩さずにシュートを打つ技術は、一朝一夕では習得できません。
サイドからのクロスボール・コーナーキック・ロングボールなど、さまざまな種類のボールに対してボレーで対応できる守備範囲の広さが、「センタリングなんでもござれ」という言葉を生み出しました。
ディフェンダーが囲んでいる状況でも、足の長さを活かして最小限の動きでボレーシュートを放つ場面が多く見られました。
ユーロ2000決勝のボレーシュート
トレゼゲさんのボレーシュートが最も輝いた瞬間が、ユーロ2000決勝でのゴールデンゴールです。
延長後半13分、劣勢のフランスが土壇場で追いつき、延長戦でも膠着した展開の中、トレゼゲさんが放った左足のボレーシュートは、審判も観客もテレビの前の視聴者も「止まった時間」を体験させる一撃でした。
当時テレビで観ていた人々が「シュートを打つ瞬間、時がゆっくりになった」と振り返るほどの衝撃は、ボレーシュートという技術の美しさと、それを最高の舞台で決める精神力が融合した瞬間でした。
現代にも語り継がれるボレーの美学
トレゼゲさんのボレーシュートへのこだわりは、単なる得意技を超えた「美学」とも言えます。
多くのストライカーが「確実にゴールに入れる方法」としてダイレクトではなくトラップしてからシュートを選ぶ場面でも、トレゼゲさんはダイレクトのボレーを選択しました。
それでいて成功率が高いのは、繰り返しの練習と天性の感覚が結び合わさったものです。
現代のストライカーの中でも、トレゼゲさんのように「ボレーで決めること」にここまでの精度とこだわりを持つ選手はほとんどおらず、その意味で彼は今でも「ボレーシュートの代名詞」的な存在です。
左右両足と高さ|多彩な得点パターン
トレゼゲさんのプレースタイルが際立つもうひとつの理由が、左右両足を使える汎用性と190cmという長身を活かした多彩な得点パターンです。
どんな形のボールが来ても、どんな状況でも対応できる柔軟性が、生涯400得点を超えるスタッツを生み出しました。
左右両足の精度
ストライカーにとって左右両足を同等の精度で使えることは、守備陣にとって最大の脅威となります。
「左右両足で正確に標的を捉えるシュートスキル」というトレゼゲさんの評価は、どちらの足でもブロックされない状況を作り出す点で非常に重要です。
利き足(右足)だけではなく、左足でもシュートコースを変えてゴールを狙える選手に対して、ディフェンダーはシュートコースを限定することが難しくなります。
これがトレゼゲさんのシュート精度の高さを支えた根本的な要因のひとつです。
190cmを活かしたヘディング
トレゼゲさんの身長は190cmで、現代でも大型FWに分類される体格です。
「得意のヘディングでは無類の強さを発揮」という評価の通り、高さを活かしたヘディングシュートも得点パターンに組み込まれていました。
セットプレー・クロスボール・コーナーキックなど、ヘディングでゴールを奪える場面では積極的に飛び込み、多くの得点を記録しています。
フランス代表では1998年ワールドカップ、2002年ワールドカップ、2006年ワールドカップと3大会に出場しており、体格を活かした空中戦はどの大会でも際立っていました。
パワースタイルとテクニックの融合
トレゼゲさんのプレースタイルは「190cmのパワースタイル」と「繊細なシュートテクニック」の融合にあります。
身体的な強さを活かしてポジションを確保しながらも、シュートの精度はとにかく緻密です。
フィジカルコンタクトに対する強さとボレーシュートという技術の巧みさが組み合わさることで、守備側にとって「対策のしようがない」ストライカーという評価を得ていました。
「190㎝の長身を活かしたパワースタイルを持ち味とし、得意のヘディングでは無類の強さを発揮」という評価と、「左右両足で正確に標的を捉える」という評価は矛盾するようで、実際にはどちらも本物だったのです。
得点パターンの多様性を示す具体的な実績
トレゼゲさんの得点パターンの多様性は、具体的な実績からも読み取れます。
ユヴェントス在籍10年間(2000-2010)で245試合138得点というスタッツは、得点パターンのバリエーションがなければ維持できない数字です。
ヘディングで決めた試合、左足ボレーで決めた試合、右足のダイレクトシュートで決めた試合とそれぞれ異なる形でゴールを重ね、セリエAという世界最高峰の守備が揃うリーグでも結果を出し続けました。
ペナルティーエリア内での動きと嗅覚
トレゼゲさんのプレースタイルを語るうえで欠かせないのが、ペナルティーエリア内での鋭い動きとゴールへの嗅覚です。
「ペナルティーエリア内を主戦場とした生粋のゴールハンター」という評価は、エリア内での判断の速さと位置取りの巧みさを表しています。
エリア内での位置取りの巧みさ
ゴールハンター型ストライカーの命は、ペナルティーエリア内での位置取りです。
どのポジションにいれば、ボールが来たときに最短でシュートを打てるか。ディフェンダーのマークを外しながら、ゴールに最も近い場所にいるためにはどう動くべきか。
この判断を瞬時に行える能力こそが、トレゼゲさんのプレースタイルの核心です。
特に味方のクロスボールが上がる前のタイミングで動き出す「先読みの動き」が巧みで、ディフェンダーが対応しきれないうちにシュートを放つシーンが多く見られました。
ゴールへの嗅覚と反応速度
トレゼゲさんには「こぼれ球を嗅ぎつける嗅覚」があったとも評されています。
GKがセーブしたボールのこぼれ球・ディフェンダーがクリアしきれなかったボール・ミスキックが転がってきたボールなど、偶発的に生まれた得点チャンスへの反応速度が異常なほど速い。
こうした「第二・第三のボール」に合わせる能力は、単純なシュート技術だけでは説明できない、ゴールへの執念と本能的な位置取りの組み合わせから生まれるものです。
プレッシャー下での安定感
トレゼゲさんのプレースタイルのもうひとつの特徴が、プレッシャー下での安定感です。
ゴール前の混戦の中でも、複数のディフェンダーに囲まれた状況でも、慌てることなくシュートを選択できる精神的な安定が、キャリアを通じた高い得点率を支えました。
ただし、この精神的な強さは生まれながらのものではなく、後に述べるキャリアの中でのさまざまな経験から培われたものでもあります。
比較:同世代のストライカーとのプレースタイルの違い
同時代にプレーしたストライカーたちとの比較でも、トレゼゲさんのプレースタイルの独自性が際立ちます。
| 選手名 | プレースタイルの特徴 | トレゼゲとの違い |
|---|---|---|
| ティエリ・アンリ | スピードを活かしたドリブル突破 | アンリはドリブルで崩す、トレゼゲはエリアで仕留める |
| ズラタン・イブラヒモビッチ | 技巧と高さの融合、組み立て参加 | イブラヒモビッチはより多彩な役割、トレゼゲはゴール特化 |
| フィリッポ・インザーギ | オフサイドラインギリギリの動き | インザーギはポジション、トレゼゲはシュート技術が武器 |
プレースタイルを証明したユーロ2000ゴールデンゴール
トレゼゲさんのプレースタイルの真価が最も高い舞台で証明された瞬間が、ユーロ2000の決勝戦でのゴールデンゴールです。
この一瞬は、ボレーシュートの職人技とゴールへの嗅覚が完璧に融合した歴史的なシーンとして語り継がれています。
ユーロ2000決勝の背景
2000年7月2日のユーロ2000決勝、フランス対イタリアの一戦は、当時の世界最高水準の戦いでした。
イタリアの守備陣は【ネスタ】【カンナバーロ】【マルディーニ】という鉄壁の構成で、攻撃のタクトは【トッティ】が振るっています。
フランスはこの鉄壁の守備にてこずり、延長後半の段階でも1-1という状況。当時のルールである「ゴールデンゴール(先に点を入れたチームが勝ち)」方式で試合が続いていました。
伝説のボレーシュートが生まれた瞬間
延長後半13分、フランスの攻撃からクロスボールが上がります。
エリア内にいたトレゼゲさんが、そのボールを左足でダイレクトに、美しいボレーシュートとして弾き返しました。
ボールはゴールに吸い込まれ、試合はその瞬間に終了。フランスが優勝を決める「決勝戦のゴールデンゴール」となりました。
当時テレビで観ていた人々が「シュートを打つ瞬間、時がゆっくりになった記憶がある」と振り返るほどの衝撃は、単なるゴールを超えた歴史的瞬間でした。
控えから登場しての歴史的一撃
特筆すべきは、このゴールデンゴールが控えからの登場によるものだった点です。
トレゼゲさんはユーロ2000では控えに甘んじていましたが、決勝で見せ場を作りました。
「控えでも気持ちを切らさずに準備を続け、チャンスが来たときに最高のプレーを見せる」という精神的な強さも、彼のプレースタイルの一部といえます。
この一瞬が彼の名前を欧州サッカー史に刻み込みました。
ゴールデンゴール規定とその歴史的意義
ゴールデンゴール方式は、延長戦中に先に点を決めたチームが即座に勝利する特別なルールです。
決勝戦のゴールデンゴールは、すなわち「優勝決定ゴール」を意味します。
このルールは現在は撤廃されていますが、当時の決勝戦でのトレゼゲさんのボレーシュートは「究極のプレッシャー下で決めた究極のゴール」として、後世に語り継がれる歴史的な一撃です。
トレゼゲのプレースタイルが生まれた経歴とキャリア
- 生い立ちとルーアン~アルゼンチン時代
- モナコでの台頭とプレースタイルの確立
- ユヴェントスでの黄金時代|セリエA得点王
- フランス代表でのプレースタイルと実績
- 晩年のキャリアと現在
生い立ちとルーアン~アルゼンチン時代
この投稿をInstagramで見る
ダヴィド・トレゼゲさんのプレースタイルの土台となったのは、フランスとアルゼンチン、2つの国での幼少期の経験です。
フランス北部のノルマンディー地方、ルーアンという街で1977年10月15日に生まれたトレゼゲさんは、両親がアルゼンチン人というユニークなルーツを持っています。
父親の影響とルーツ
父親のホルヘさんはノルマンディーの強豪クラブ・FCルーアンでプレーするサッカー選手でした。
ダヴィドが2歳となった1979年、父とクラブとの契約終了により、一家は祖国のアルゼンチンに帰国します。
首都ブエノスアイレスで少年期を過ごしたトレゼゲさんは、アルゼンチンのサッカー文化の中でボールを覚えました。
アルゼンチンといえばマラドーナ・バティストゥータなど、技術的に高い選手を多く輩出する国。そのサッカー文化の中で培われた技術の土台が、後のプレースタイルに影響を与えています。
ブエノスアイレスでの少年時代
ブエノスアイレスで小さい頃からサッカーに親しんだトレゼゲさんは、街のフットサル大会で優勝を経験するなど才能を発揮。
8歳で叔父のトーマスさんが監督を務めるCAプラセンテのジュニアチームに入団します。
ジュニアチームには現役を引退したホルヘさんも関わっており、父から直接サッカーの基礎を学ぶ環境が整っていました。
フランスへの帰国とモナコへの道
アルゼンチン時代にトレゼゲさんの才能を惜しんだフェルナンデス監督は、ASモナコの指揮官を務める旧知のジャン・ティガナ監督に彼を紹介します。
ダヴィドは練習生としてモナコと契約を交わし、フランスへの帰国とモナコ加入が実現しました。
1995年から2000年まで在籍したモナコでは、93試合52得点というスタッツを残し、プレースタイルの基盤を完全に確立しています。
| 年代 | 場所 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1977年10月 | フランス・ルーアン | ダヴィド・トレゼゲ誕生 |
| 1979年 | アルゼンチンへ帰国 | 父の契約終了に伴い一家でブエノスアイレスへ |
| 1985年頃 | ブエノスアイレス | 8歳でCAプラセンテジュニアに入団 |
| 1994年 | アルゼンチン | CAプラテンセでプロデビュー(5試合0得点) |
| 1995年 | フランス・モナコ | ASモナコへ加入(ジャン・ティガナ監督の紹介) |
モナコでの台頭とプレースタイルの確立
ダヴィド・トレゼゲさんのプレースタイルが世界に認知されたのは、ASモナコでの5年間(1995〜2000年)のことです。
若いティエリ・アンリさんとのコンビで、フランスサッカー界に新たな時代が始まりました。
モナコでのデビューと成長
モナコに加入したトレゼゲさんは、練習生からのスタートという厳しい条件でしたが、そのプレースタイルですぐに指揮官の目を引きました。
98-99シーズンは27試合12ゴールと安定した成績を残し、翌99-00シーズンはリーグ得点王にあと1点差と迫る30試合22ゴールの大活躍。
モナコ3季ぶりとなる優勝の原動力となったトレゼゲさんには、イタリアの名門ユヴェントスからのオファーが舞い込みます。
アンリとのコンビとフランス代表台頭
モナコ時代のトレゼゲさんは、同年代の若手だったティエリ・アンリさんとのコンビでフランス代表にも台頭します。
当時のフランスのフォワードはジャン=ピエール・パパン、エリック・カントナ、ダヴィド・ジノラらが抜けて世代交代の時期。
「アンリ・トレゼゲコンビで(フォワード不足を)解消した」と語られるほど、2人の存在はフランス代表に欠かせないものとなっていました。
1998年ワールドカップでの優勝
モナコ時代にフランス代表のレギュラーへと成長したトレゼゲさんは、1998年のフランスワールドカップに出場。
この大会でフランスは初優勝を果たし、ジダンさんを中心としたチームの中でトレゼゲさんも重要な役割を担いました。
ワールドカップ優勝という栄冠を手にしたことで、トレゼゲさんのプレースタイルの評価はさらに高まっていきます。
モナコ時代に確立したゴールハンタースタイル
モナコでの5年間は、トレゼゲさんのプレースタイルが完成に向かう重要な時期でした。
ジャン・ティガナ監督のもとで攻撃的な戦術にフィットしたトレゼゲさんは、エリア内でのポジション取り・ダイレクトシュートの精度・ヘディングの使い方など、ゴールハンターとしての基本を徹底的に磨き上げています。
99-00シーズンにリーグ得点王にあと1点差と迫る30試合22ゴールを記録できたのは、この5年間でプレースタイルが成熟したからこそです。
モナコという恵まれた育成環境と、ティエリ・アンリさんというライバル兼パートナーの存在が、トレゼゲさんのプレースタイルを世界レベルに引き上げた5年間でした。
そして2000年夏、ユヴェントスという世界最高峰の舞台への移籍が、新たな挑戦の始まりとなります。
ユヴェントスでの黄金時代|セリエA得点王
2000年夏、ダヴィド・トレゼゲさんはASモナコからユヴェントスへ移籍します。
その後の10年間(2000〜2010年)が、245試合138得点という不滅のスタッツを生み出した彼のキャリアの絶頂期です。
ユヴェントス移籍の経緯
ユーロ2000でゴールデンゴールを決めた直後にユヴェントスへの移籍が決まったトレゼゲさん。
当時のユヴェントスには、デル・ピエロさん・ネドベドさん・ザンブロッタさん・ダービッツさん・テュラムさん・ブッフォンさんなど攻守に隙がない布陣が揃っていました。
この陣容の中でトレゼゲさんはエースFWとして期待を一身に背負うことになります。
2001-02シーズン:セリエA得点王+MVP
トレゼゲさんのユヴェントス時代の頂点が、2001-02シーズンです。
攻撃の主力であるジダンさんとインザーギさんがチームを去るという逆境の中、先発の座を確立したトレゼゲさんは34試合24ゴールの大活躍でセリエA得点王を獲得。
さらにMVPにも輝き、得点王とMVPを同時に獲得するという偉業を達成しました。
セリエAのフランス人得点王は、かつてのミシェル・プラティニ(1983〜1985年の3年連続)以来。そして現在まで、トレゼゲさん以降でセリエAのフランス人得点王はいまだに現れていません。
チャンピオンズリーグでの活躍
2001-02シーズンはチャンピオンズリーグでも10試合8ゴールと躍動しました。
翌2002-03シーズンは右膝の故障により17試合9ゴールとやや低調でしたが、チームはセリエA2連覇を達成。CLの決勝ステージではトレゼゲさんがエースとして活躍し、強敵バルセロナを下して決勝に進出。
決勝のACミラン戦ではPK戦で痛恨の失敗(1人目のトレゼゲさんのシュートが外れ)となり、ユヴェントスは惜しくも優勝を逃しています。
| シーズン | クラブ | 試合数 | 得点 | 特記事項 |
|---|---|---|---|---|
| 1995-2000 | ASモナコ | 93試合 | 52得点 | リーグ優勝(99-00) |
| 2000-2010 | ユヴェントス | 245試合 | 138得点 | セリエA得点王・MVP(01-02) |
| 2010-2011 | エルクレスCF | 31試合 | 12得点 | スペインへ移籍 |
| 2011-2014 | CAリーベル・プレート | 35試合 | 16得点 | アルゼンチン帰還 |
フランス代表でのプレースタイルと実績
トレゼゲさんのプレースタイルは、フランス代表でも長年にわたって発揮されました。
71試合34得点というフランス代表でのスタッツは、彼がいかに代表でも頼りになるストライカーだったかを示しています。
代表キャリアの始まりとアンリとの共存
フランス代表でのトレゼゲさんのプレースタイルは、ティエリ・アンリさんとの共存の形で発揮されることが多くありました。
アンリさんがスピードを活かしたドリブル突破でチャンスを作り、トレゼゲさんがエリア内で仕留める役割を担う形は、理想的な補完関係と評されています。
「若手のピースは20歳のアンリとトレゼゲだった」という1998年ワールドカップ当時の評価は、2人のプレースタイルの対比的な魅力を示しています。
ワールドカップ3大会出場の実績
トレゼゲさんは1998年・2002年・2006年と3回のワールドカップに出場しています。
1998年は自国開催でフランスが初優勝。フォワードとして優勝に貢献しました。
2006年のドイツ大会でも重要な役割を担い、フランスが決勝に進出。決勝のイタリア戦ではPK戦でまたも痛恨のPK失敗(バーに当たるシュート)という悔しい結果となりましたが、それでもトレゼゲさんを語るうえでは欠かせないエピソードです。
代表での引退と評価
フランス代表での71試合34得点という実績は、フランス代表史においても上位に位置する記録です。
アンリさんに「最高のフィニッシャー」と言わしめた能力は、代表の場でも変わることなく発揮され続けました。
現在も「あの世代のフランス代表の核心にいたストライカー」として、多くのサッカーファンの記憶に残り続けています。
代表でのプレースタイルの特徴
フランス代表でのトレゼゲさんのプレースタイルには、クラブチームとはやや異なる役割も求められました。
ジダンさんが攻撃の頭脳として機能し、アンリさんが走力で崩し、トレゼゲさんがエリア内で仕留めるという3者の役割分担は、黄金のトライアングルとも表現されます。
この分業体制の中でトレゼゲさんは自らのプレースタイルを最大限に発揮し、チームとして機能する形でゴールを積み重ねました。
「どんなパスが来てもゴールに変える」というプレースタイルが、チームにとって最大の安心感をもたらしていたのです。
フランス代表71試合34得点という数字は、まさにこの「終わらせ屋」としての役割を全うし続けた証明と言えます。
晩年のキャリアと現在
2010年にユヴェントスを離れたトレゼゲさんは、スペイン・アラブ首長国連邦・アルゼンチン・インドと国際的なキャリアを歩みます。
晩年でもコンスタントに得点を重ねた姿は、プレースタイルへの本物のこだわりを示しています。
ユヴェントス後のキャリア
2010年にユヴェントスを離れ、スペインのエルクレスCFへ移籍。31試合12得点という結果を残しています。
2011年にはアラブ首長国連邦のバニーヤースSCへ短期移籍。その後、若い頃に育ったアルゼンチンに戻り、CAリーベル・プレートで2011年から2014年まで在籍し35試合16得点を記録しました。
さらにニューウェルズ・オールドボーイズへのローン(24試合7得点)を経て、インドのFCプネー・シティで9試合2得点という形でキャリアを締めくくっています。
引退後の指導者・大使活動
引退後のトレゼゲさんは、後進の指導にも携わっています。
「決して饒舌ではなく、指導も手取り足取りではなく、一緒にボールを蹴り合いながら、いいプレーを短い言葉で褒める」というスタイルは、現役時代のプレースタイル同様にシンプルで本質的です。
ユヴェントスのクラブ大使としても活動しており、アンバサダーとして現在もクラブと深い関わりを持ち続けています。
現代サッカーへの影響と評価
トレゼゲさんのプレースタイルが現代サッカーに与えた影響は大きく、「ゴールハンター型ストライカー」の教科書的な存在として語られ続けています。
ボレーシュートという技術の美しさと実用性を世界に示したことで、若い世代のFWがボレーシュートを磨く動機にもなりました。
ティエリ・アンリさんによる「最高のフィニッシャー」という言葉は、時代を超えて彼のプレースタイルの価値を証明し続けています。
晩年も貫いたプレースタイルへのこだわり
ユヴェントスを離れてからのキャリアは、アルゼンチン・スペイン・インドと移りましたが、どのチームでもトレゼゲさんのプレースタイルの本質は変わりませんでした。
CAリーベル・プレートでの35試合16得点、ニューウェルズ・オールドボーイズへのローンでの24試合7得点は、30代後半でも「エリア内で仕留める」というスタイルが機能し続けたことを示しています。
FW選手がキャリアの晩年に守備的な役割に比重を移したり、中盤に下がったりすることが多い中で、トレゼゲさんは最後まで純粋なゴールハンターとしてプレーし続けました。
これこそが「プレースタイルへの一貫したこだわり」であり、彼の選手としてのアイデンティティの中核をなすものです。
引退後の指導活動においても、「一緒にボールを蹴り合いながら、いいプレーを短い言葉で褒める」というシンプルなスタイルは、現役時代のプレースタイルと同じ「本質へのこだわり」を感じさせます。
トレゼゲのプレースタイルの総まとめポイント
- トレゼゲのプレースタイルは典型的なゴールハンター型ストライカー
- ボレーシュートを職人レベルに高めた唯一無二の技術が最大の武器
- 1977年10月15日フランス・ルーアン生まれ、両親はアルゼンチン人
- 幼少期にブエノスアイレスでサッカーの基礎を磨いた
- ASモナコ(1995〜2000年)93試合52得点でプレースタイルを確立
- ユヴェントス(2000〜2010年)245試合138得点という不滅のスタッツ
- 2001-02シーズンにセリエA得点王+MVPを同時獲得
- ユーロ2000決勝でゴールデンゴールを左足ボレーで決めた歴史的一瞬
- フランス代表71試合34得点、W杯1998・2002・2006年の3大会に出場
- ティエリ・アンリに「史上最高のフィニッシャー」と評された
- 左右両足で正確なシュートを打てる守備的に対策しにくいタイプ
- 190cmの長身を活かしたヘディングも得点パターンのひとつ
- セリエAフランス人得点王はプラティニ以来で、現在も後継者不在
- 引退後はユヴェントスのクラブ大使として活動中
- 現代でも「ゴールハンター型FW」の教科書として語り継がれる存在
▶️他のアスリートの豆知識・その他を知りたい|カテゴリー・記事一覧

