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櫻井つぐみさんの兄弟について、お姉さんや弟はいるのか、妹はどんな人なのかが気になってこのページを開いた方は多いと思います。
結論から言うと、公の場で確認できる兄弟は妹の櫻井つきのさん1人だけで、櫻井つぐみさんは櫻井家の長女として育ちました。
そしてもう一人、兄弟同然の存在として語られるのがパリ五輪で同時に金メダルを獲った清岡幸大郎さんです。
2人は母親同士が親しく、櫻井さんが2歳、清岡さんが3歳のころから同じ道場で育った赤ちゃんの頃からの付き合いでした。
ここでは櫻井つぐみさんの兄弟について、新聞報道やご家族の発言をもとに、あなたが納得できる形で整理していきますね。
記事のポイント
①:兄弟は妹の櫻井つきの1人だけ
②:妹はパリ五輪の現地で姉を応援
③:兄弟同然の存在が清岡幸大郎
④:父は高知の高校教諭・櫻井優史
櫻井つぐみの兄弟は妹・つきの|家族構成
- 兄弟は妹・櫻井つきの1人だけ
- パリ五輪に駆けつけた妹の言葉
- 長女・つぐみのプロフィールと戦績
- 父親・櫻井優史の職業と指導歴
- 母親の支えと清岡家との深い縁
- 高知レスリングクラブと兄弟弟子
兄弟は妹・櫻井つきの1人だけ
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では、いちばん気になるところから確認していきましょう。
報道で名前まで確認できる櫻井つぐみさんの兄弟は、妹の櫻井つきのさん1人です。
兄や弟がいるという情報は、新聞・テレビ・自治体の公式発表のいずれにも見当たりません。
ここでは櫻井家の顔ぶれと、どこまでが公表されている情報なのかを、あなたが判断できる形で整理していきますね。
櫻井家の家族構成を一覧で整理
下記の表は、報道やご家族の発言から確認できる櫻井家の顔ぶれをまとめたものです。
| 続柄 | 人物 | わかっていること |
|---|---|---|
| 父親 | 櫻井優史 | 高知県の高校教諭で高知レスリングクラブ代表 |
| 母親 | 非公表 | 清岡幸大郎の母親と親交があったと報じられた |
| 本人 | 櫻井つぐみ | 櫻井家の長女でパリ五輪女子57kg級金メダル |
| 妹 | 櫻井つきの | パリ五輪の現地応援に父親とともに同行した |
こうして並べてみると、櫻井家はレスリングを中心に回ってきた家庭だということがよくわかります。
香南市の公式サイトでも櫻井つぐみさんは長女と明記されており、上に兄姉がいないことは自治体の発信からも裏づけられます。
姉がいるという噂を見かけた方もいるかもしれませんが、その根拠になる報道は確認できません。
妹・櫻井つきのについてわかっていること
結論から言うと、妹の櫻井つきのさんは一般の方で、プロフィールはほとんど公表されていません。
名前が全国に知られたのは、2024年のパリ五輪の出発前にKUTVテレビ高知が家族を取材したときでした。
生年月日も年齢も職業も明かされていないため、姉より何歳下なのかという点も現時点では不明です。
以下の表で、妹について確認できる情報と、確認できない情報を分けて整理してみます。
| 情報項目 | 内容 | 確認できる状況 |
|---|---|---|
| 名前 | 櫻井つきの | KUTVの報道で実名とコメントが紹介された |
| 続柄 | 櫻井つぐみの妹 | 報道内で妹と明記されている |
| 生年月日 | 非公表 | 年齢を示す報道は見当たらない |
| 職業・進路 | 非公表 | 学校名や勤務先の発表はない |
| 競技歴 | 非公表 | レスリングの大会成績は確認できない |
妹のつきのさんは2024年8月5日の朝、父親の優史さんらとともに高知からパリへ向けて出発しています。
競技者としての情報が出てこないことを考えると、一般の方として生活されていると見るのが自然でしょう。
「櫻井つきの」が検索される理由
ここ、かなり気になるところですよね。
櫻井つぐみさんの名前と一緒に「櫻井つきの」と検索する人が多いのは、パリ五輪の家族取材がきっかけです。
金メダル獲得の直後は家族の顔ぶれに注目が集まりやすく、妹のコメントがテレビで流れたことで一気に知名度が上がりました。
名前の響きが姉妹でそろっている点も、印象に残った理由のひとつだと思います。
つぐみとつきの、どちらも柔らかい響きで、ご両親の名づけのセンスが伝わってきますよね。
ただし、本人が表に出て活動しているわけではないため、SNSアカウントや顔写真が公開されているという事実もありません。
競技者本人ではないご家族の情報は、公表されている範囲にとどめておくのが礼儀だと思いますよ。
パリ五輪に駆けつけた妹の言葉
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2024年8月5日の朝、金メダル獲得の瞬間を見届けようと高知を出発する家族の姿がありました。
妹のつきのさんは父親の優史さんとともに、この日の朝にパリへ向けて出発しています。
ここでは、当時の報道から読み取れる家族の心境を、時系列に沿って整理していきますね。
出発当日に妹が語ったひと言
KUTVテレビ高知の取材に応じた妹のつきのさんは、姉に向けて短いながら印象的な言葉を残しています。
「ねばり強く勝つ試合が見たいです。緊張せずに頑張ってと言いたいです」というコメントでした。
ここで注目したいのは「ねばり強く」という表現です。
櫻井つぐみさんは高校時代までは逆転できるタイプの選手ではなく、粘りこそが後年に身につけた最大の武器でした。
その変化を誰よりも近くで見てきたからこそ出てきた言葉だと感じます。
派手な必勝宣言ではなく、姉の持ち味を的確に言い当てるあたりに、姉妹の距離の近さがにじんでいますよね。
父・優史が同じ場で語った言葉
同じ取材で、父親の櫻井優史さんもコメントを残しています。
「いよいよという感じで、多少緊張もあるが、普段通り応援に行きたいと思います」という言葉でした。
続けて「2人とも夢の実現を目指して、しっかり頑張ると思います。ぜひ温かい目で応援していただけたらなと思います」とも語っています。
ここでいう2人とは、娘のつぐみさんと、教え子の清岡幸大郎さんのことです。
実の娘と教え子を同じ言葉でまとめて語るところに、この一家と清岡さんの関係性がよく表れています。
父親であり監督でもある優史さんにとって、2人はどちらも我が子のような存在だったのだと思いますよ。
高知で起きた地震情報と応援の中止
この年のパリ五輪には、地元にとって忘れられない出来事が重なりました。
南海トラフ巨大地震への注意を促す臨時情報が出され、地元・高知県香南市ではパブリックビューイングが中止になるという事態になったのです。
ニュースを見て驚いたという櫻井つぐみさんは、試合を前にこう語りました。
「最後に勝って、(地元の)皆さんにいいニュースを見てもらえたらうれしい」という言葉です。
家族が現地へ向かった一方で、地元では不安が広がっていたわけですね。
その状況で結果を出したからこそ、金メダルの価値が高知県全体にとって特別なものになりました。
家族の応援が結果につながった一戦
櫻井つぐみさんが初戦を迎えたのは、日本時間の8月8日でした。
レスリング競技そのものは8月5日から始まっており、家族が出発した日とちょうど重なっています。
そして9日、女子フリースタイル57kg級で金メダルを獲得しました。
翌10日には男子フリースタイル65kg級で清岡幸大郎さんが初戦を迎え、こちらも頂点まで駆け上がります。
妹のつきのさんは、姉と兄弟同然の幼なじみが立て続けに金メダルを掲げる瞬間を現地で見届けたことになりますね。
家族にとって、これ以上ないパリ滞在になったはずです。
長女・つぐみのプロフィールと戦績
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ここでは櫻井家の長女である本人のデータを、あらためて確認しておきましょう。
櫻井つぐみさんは2001年9月3日生まれで、2026年10月03日現在の年齢は25歳です。
妹のつきのさんとの関係を考えるうえでも、姉がどんな道を歩いてきたのかを押さえておくと理解しやすくなりますよ。
櫻井つぐみの基本プロフィール
以下の表で、櫻井つぐみさん本人の基本データを確認してみましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 櫻井つぐみ(さくらい つぐみ) |
| 生年月日 | 2001年9月3日 |
| 2026年10月03日現在の年齢 | 25歳 |
| 出身地 | 高知県香南市 |
| 身長 | 156cm |
| 階級 | 女子フリースタイル55kg級・57kg級 |
| 所属の変遷 | 高知レスリングクラブ〜高知南高〜育英大 |
| コーチ | 櫻井優史(実父) |
| 主な実績 | パリ五輪女子57kg級金メダル・世界選手権3連覇 |
高知県香南市で生まれ、競技を始めたのは2004年、3歳のころでした。
報道によって2歳と伝えられることもありますが、9月生まれのため開始時期が誕生日の前後どちらだったかの違いだと考えられます。
父親が立ち上げた高知レスリングクラブの1期生として、クラブの歴史と一緒に成長してきた選手です。
身長156cmという体格は57kg級では小柄な部類ですが、そのぶんスタミナと腕取りで勝負するスタイルを磨き上げました。
中学時代から積み上げた主要成績
下記の表は、櫻井つぐみさんの主要な戦績を時系列でまとめたものです。
| 年 | 大会 | 成績 |
|---|---|---|
| 2014〜16年 | 全国中学生選手権 | 3連覇 |
| 2016年 | 世界カデット選手権 | 優勝 |
| 2017年 | アジア・カデット選手権 | 優勝 |
| 2019年 | 全日本選手権55kg級 | 2位 |
| 2020年 | 全日本選手権55kg級 | 初優勝 |
| 2021年 | 世界選手権55kg級 | 初出場初優勝 |
| 2022年 | 世界選手権57kg級 | 優勝(2階級制覇) |
| 2023年 | 世界選手権57kg級 | 3年連続優勝 |
| 2024年 | パリ五輪57kg級 | 金メダル |
2019年には国体53kg級で3位に入り、同年の全日本女子オープン選手権55kg級で優勝してシニアの舞台に台頭しました。
2020年にはスウェーデンのクリッパン女子国際大会でシニアの国際大会初優勝を飾っています。
2021年はジュニアクイーンズカップ、全日本選抜選手権、東日本学生選手権と優勝を重ね、その勢いのまま世界選手権に初出場して初優勝を達成しました。
残り1秒の大逆転が生まれた背景
櫻井つぐみさんを語るうえで外せないのが、2023年10月5日のアジア大会決勝です。
北朝鮮のヨン・インスム選手を相手に第1ピリオドから劣勢となり、一時は6対1と大きく引き離されました。
両足を持たれてフォール寸前まで追い込まれ、長時間ブリッジで耐え続ける場面もあったほどです。
それでも第2ピリオドに攻め疲れた相手を捉え、土壇場で7対6と逆転して世界王者の意地を見せました。
育英大レスリング部の柳川美麿監督は、この粘りを普段の練習の成果だと説明しています。
「フォールさえ許さなければ、逆転できるチャンスはある」という考えのもと、徹底的にブリッジをさせてきたのだそうです。
妹のつきのさんが「ねばり強く勝つ試合が見たい」と語ったのは、こうした試合を何度も見てきたからでしょうね。
父親・櫻井優史の職業と指導歴
櫻井つぐみさんの兄弟を語るとき、どうしても避けて通れないのが父親の存在です。
父親の櫻井優史さんは高知県の高校教諭であり、高知レスリングクラブを立ち上げた指導者でもあります。
まず、父親についての基本情報を確認してみましょう。
父親・櫻井優史の基本情報
下記の表は、報道や自治体の発表から確認できる父親の情報をまとめたものです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 櫻井優史 |
| 年齢 | 50歳 |
| 出身 | 香川県 |
| 職業 | 高知県の高校教諭・レスリング部監督 |
| 競技歴 | 国体優勝経験のある元レスラー |
| 主な肩書き | 高知レスリングクラブ代表・高知県移住支援特使 |
1998年に香川県から高知県の教員として移住し、そのまま高知に根を下ろしました。
2004年に高知レスリングクラブを立ち上げ、ジュニア世代の育成に力を注いできた人物です。
自身も国体優勝の経験を持つ元レスラーで、指導者としての引き出しの多さには定評があります。
娘を客観的に語る父親のまなざし
優史さんの発言で興味深いのは、娘を決して手放しでほめないところです。
幼少期の2人を振り返って「つぐみは何もないところで転ぶ鈍くさいところがあった」と語っています。
一方で清岡幸大郎さんについては「幸大郎はやんちゃで試合会場を抜け出して公園で遊ぶような子だった」と評しました。
実の娘にも教え子にも、同じ目線で言葉をかける人だということが伝わってきますよね。
育英大の柳川監督も「櫻井のお父さんも高校までは逆転できる選手ではなかったと言っていました」と証言しています。
身内びいきをせず現実を直視する姿勢が、結果的に娘の成長を後押ししたのだと思います。
高知県移住支援特使としての活動
優史さんの活動は、レスリングの枠にとどまりません。
2023年4月からは、娘のつぐみさんとともに高知県移住支援特使を務めています。
これはスポーツを通じて高知県の魅力を発信するという役割で、親子そろっての任命というのは珍しいケースです。
高知県UIターンサポートセンターが2人のインタビュー動画を制作し、移住ポータルサイトで公開されました。
香川県から移住してきた本人だからこそ、外から見た高知の良さを語れるという強みがありますよね。
競技の指導と地域貢献を両立させている点が、この一家らしさだと感じます。
父娘であり監督と選手でもある難しさ
ただ、父親が監督を兼ねる関係には難しさもありました。
高校時代には思春期特有の心身の変化に苦しみ、父親でありレスリング部監督でもある優史さんとの関係がこじれた時期があります。
練習に身が入らない娘に激怒した優史さんが、部に顔を出さなくなったこともあったほどです。
この話は後のH3でも詳しく触れますが、親子だからこそ加減が効かなかったということでしょう。
それでも最終的に金メダルという形で結実したのですから、この関係は間違っていなかったのだと思いますよ。
ちなみに、優史さんの名前の読み方は公表されている資料では確認できませんでした。
報道でも漢字表記のみで紹介されることがほとんどですね。
母親の支えと清岡家との深い縁
ここでは、表にはあまり出てこない母親について整理します。
櫻井つぐみさんの母親は名前も職業も公表されておらず、一般の方として生活されています。
それでも、母親の存在が2人の金メダリストを生んだといっても大げさではない事実が残っているんですよ。
母親についてわかっていることと不明な点
以下の表で、母親に関する情報を確認できるものとできないものに分けて整理してみます。
| 情報項目 | 内容 | 確認できる状況 |
|---|---|---|
| 名前 | 非公表 | 報道でも実名は出ていない |
| 年齢 | 非公表 | 年齢を示す発表はない |
| 職業 | 非公表 | 勤務先に関する情報はない |
| 交友関係 | 清岡家の母親と親交 | 産経新聞が母親同士の親交を報じている |
| メディア出演 | 確認できず | 取材に応じた記録は見当たらない |
父親の優史さんが顔と名前を出して活動しているぶん、母親は意識的に表に出ない立場を選んでいるのだと思います。
パリ五輪の出発時に取材を受けたのも父親と妹で、母親のコメントは報じられていません。
こういう距離感の取り方も、ひとつのご家庭の方針ですよね。
母親同士の親交が2人の出発点だった
結論から言うと、櫻井家と清岡家をつないだのは母親同士のつながりでした。
産経新聞の報道によれば、櫻井さんと清岡さんは母親同士が親交があり、赤ちゃんの頃からの付き合いだったとされています。
父親の優史さんがつくった高知レスリングクラブに、両家の子どもが同じタイミングで通い始めたわけですね。
もし母親同士が知り合っていなければ、清岡さんがレスリングを始めるきっかけもなかったかもしれません。
そう考えると、日本レスリング史に残る2人の同時金メダルは、母親同士の何気ない縁から始まったことになります。
ここ、意外と知られていないポイントだと思いますよ。
家族ぐるみで支えた高知の応援体制
櫻井家の応援は、家族だけで完結するものではありませんでした。
地元の香南市では五輪に合わせてパブリックビューイングが計画され、市民ぐるみの応援態勢が組まれていました。
結果的に南海トラフ地震の臨時情報で中止となりましたが、地域の期待の大きさがうかがえます。
金メダル獲得後の2024年8月22日には、清岡幸大郎さんとそろって高知市長を表敬訪問しました。
本庁舎正面玄関には約600人の市民と職員が集まり、大きな拍手で2人を出迎えています。
桑名市長は「幼なじみの二人が、子どもの時からの夢をかなえて金メダルを勝ち取った姿に、多くの市民・県民・国民が感動した」と祝福の言葉を述べました。
家族の応援が地域の応援へと広がっていった、象徴的な場面だったと思います。
母親が表に出ないぶん、地域全体が母親代わりのように選手を見守ってきたとも言えますよね。
香南市はその後も櫻井つぐみさんの名前を冠したジュニア大会を受け入れ、地元と選手の関係は途切れていません。
家庭の中の支えと、地域ぐるみの支え。
その両方がそろっていたことが、高知から2人の金メダリストが出た理由のひとつだと感じます。
高知レスリングクラブと兄弟弟子
血のつながった兄弟が妹1人だけである一方、櫻井つぐみさんには数多くの兄弟弟子がいます。
その舞台となったのが、父親の優史さんが2004年に立ち上げた高知レスリングクラブです。
ここでは、このクラブがどんな場所だったのかを整理していきますね。
2004年に生まれた高知レスリングクラブ
下記の表は、高知レスリングクラブに関する基本情報をまとめたものです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 設立年 | 2004年 |
| 設立者 | 櫻井優史 |
| 活動地域 | 高知県 |
| 1期生 | 櫻井つぐみ(当時3歳) |
| 輩出したオリンピアン | 櫻井つぐみ・清岡幸大郎 |
香南市の公式サイトには、優史さんが2004年にクラブを立ち上げてジュニアの育成に力を注ぎ、長女つぐみさんがその1期生として3歳からレスリングを始めたと記されています。
設立からちょうど20年で、同じクラブから2人のオリンピック金メダリストが誕生したことになります。
地方のジュニアクラブとしては、これ以上ない成果ですよね。
クラブが「もうひとつの家族」だった理由
高知レスリングクラブが特別だったのは、指導者が実の父親だったという点です。
つまり櫻井つぐみさんにとって、道場は家庭の延長線上にある場所でした。
そこに毎日通ってくる清岡幸大郎さんや他の子どもたちは、自然と兄弟のような距離感になっていきます。
優史さんの熱い指導によって、2人とも小学生のときから全国大会の常連になりました。
いつしか互いに「オリンピックで金メダルを取る」と口にするようになったというのですから、環境の力は大きいですね。
家族と道場の境目がほとんどない環境で育ったことが、この2人の強さの土台になっています。
クラブで受け継がれた指導哲学
優史さんの指導は、技術だけを教えるものではありませんでした。
中学時代、国際大会を制して帰国した櫻井さんを出迎える場で、清岡さんが悔しさからふてくされたことがあります。
そのとき優史さんは「人の頑張りを認めて応援できなければ、応援される人間にはなれない」と諭しました。
この言葉は、競技者としてだけでなく人としての姿勢を問うものです。
実際、後にパリ五輪で2人が互いを称え合えたのは、この教えが根づいていたからでしょう。
クラブの理念が兄弟弟子たちの関係性をつくっていったわけですね。
クラブの輪は次の世代へ
高知レスリングクラブの流れは、現在も途切れていません。
金メダル獲得後には、櫻井さんと清岡さんが講師を務めるレスリング体験教室が高知県の主催で開かれました。
3歳から中学生までを対象にした教室で、参加者のほとんどがレスリング初心者だったといいます。
相手の背後をとるゲームやタックルの基本を教わり、子どもたちは生き生きとした表情で取り組んでいました。
高知県はさらなる金メダリストの輩出を目指し、今後も教室を開きたい考えを示しています。
自分たちが育った環境を、そのまま次の世代へ渡そうとしているのが伝わってきますよ。
櫻井つぐみと兄弟同然の清岡幸大郎
- 幼なじみ・清岡幸大郎の基本情報
- 2歳と3歳で始まった競技人生
- 高め合いと低迷|シーソーの関係
- 高校時代の確執を収めた清岡の一言
- パリ五輪で揃って金メダル獲得
- 引退後の現在と2人の冠大会
幼なじみ・清岡幸大郎の基本情報
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櫻井つぐみさんの兄弟を調べていると、必ず目にするのが清岡幸大郎さんの名前です。
結論から言うと、清岡幸大郎さんは血縁関係のある兄ではなく、幼なじみであり兄弟同然の存在です。
ここでは、その清岡さんがどんな選手なのかを確認してみましょう。
清岡幸大郎の基本プロフィール
下記の表は、報道から確認できる清岡幸大郎さんの基本情報をまとめたものです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 清岡幸大郎(きよおか こうたろう) |
| 生まれ年 | 2001年(平成13年) |
| 年齢 | 2024年8月時点で23歳(約25歳) |
| 出身地 | 高知県高知市 |
| 階級 | 男子フリースタイル65kg級 |
| 所属 | カクシングループ |
| 主な実績 | パリ五輪男子65kg級金メダル |
| 櫻井つぐみとの関係 | 高知レスリングクラブの兄弟弟子・幼なじみ |
櫻井さんが香南市出身なのに対し、清岡さんは高知市の出身です。
2人はともに平成13年生まれで、パリ五輪当時は清岡さんが23歳、櫻井さんが22歳でした。
年齢が近く同じ道場で育ったことから、兄と妹のような関係だと見られることが多いんですよね。
血縁関係はないと言い切れる根拠
ここ、はっきりさせておきたいところですよね。
清岡さんが櫻井つぐみさんの兄ではないと言い切れる根拠は、いくつもあります。
第一に、苗字がそもそも異なります。
第二に、産経新聞をはじめ複数のメディアが2人の関係を一貫して「幼なじみ」と表現しています。
第三に、高知市の公式発表でも桑名市長が「幼なじみの二人が」と述べており、自治体レベルで関係性が確認できます。
第四に、清岡さんは櫻井優史さんの「教え子」と報じられており、家族ではなく指導関係にあることが明確です。
この4点がそろえば、兄弟説は成立しないと判断してよいでしょう。
それでも兄弟に見えてしまう理由
一方で、2人が兄弟のように見られるのも無理はありません。
赤ちゃんの頃からの付き合いで、同じ道場に通い、同じ高校に進み、同じ五輪で同じ日程を戦ったのですから当然ですよね。
さらに、櫻井優史さんが教え子である清岡さんを語るときの口調も、実の子どもに向けるものとほとんど変わりません。
「つぐみにできて自分ができないのは許せない。その一心でやってきた負けず嫌いな幸大郎だからこそパリをつかみ取れた」という言葉がその典型です。
本人たちも周囲も家族のように接してきたからこそ、検索する人が兄弟だと思ってしまうのでしょう。
血縁ではないけれど家族同然、というのがいちばん正確な表現だと思いますよ。
実際、清岡さんは高校時代に優史さんを先生と呼び、部の問題にも自ら間に入っていました。
指導者と教え子という関係から始まりながら、家庭の事情にまで踏み込める距離まで近づいたのは簡単なことではありません。
検索結果で兄弟という言葉が並ぶのも、その距離感が伝わっているからなのでしょうね。
兄弟という血のつながりではなく、20年かけて積み上げた信頼が2人を結んでいます。
清岡さんの階級は男子フリースタイル65kg級で、櫻井さんの57kg級とは競技区分そのものが異なります。
直接対戦することがないからこそ、素直に応援し合える関係が続いたという見方もできますよね。
2歳と3歳で始まった競技人生
2人の関係を理解するには、出発点まで戻る必要があります。
櫻井さんが2歳、清岡さんが3歳のころに、高知レスリングクラブで競技を始めました。
ここでは、幼少期から中学時代までの歩みを時系列で見ていきますね。
2人の歩みを時系列で整理
以下の表で、2人の関係の流れを確認してみましょう。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2001年 | 2人ともに高知県で誕生 |
| 2004年ごろ | 高知レスリングクラブで競技を開始 |
| 小学生時代 | そろって全国大会の常連に成長 |
| 中学時代 | 櫻井が全国3連覇・清岡は伸び悩む |
| 高校時代 | 高知南高へそろって進学 |
| 大学時代 | 別々の大学へ進むが関係は変わらず |
| 2024年8月 | パリ五輪で2人とも金メダル獲得 |
こうして並べると、20年以上にわたって同じ道を歩いてきたことがわかります。
母親同士の親交がきっかけで、赤ちゃんの頃から一緒に過ごしてきたという原点がすべての始まりでした。
幼少期に始めた競技を20年続けて世界の頂点に立つというのは、簡単な話ではありませんよね。
優史監督が見た幼いころの2人
父親の優史さんは、当時の2人をこう振り返っています。
「つぐみは何もないところで転ぶ鈍くさいところがあった」という評価でした。
一方の清岡さんは「やんちゃで試合会場を抜け出して公園で遊ぶような子だった」といいます。
正直なところ、この描写から将来の金メダリスト2人を想像するのは難しいですよね。
それでも優史さんの熱い指導で、2人とも小学生のときから全国大会の常連になりました。
いつしか互いに「オリンピックで金メダルを取る」と口にするようになったといいます。
子どものころの夢をそのまま実現させてしまったのですから、驚くしかありません。
中学時代に生まれた実力差
順調だったのは、まず櫻井つぐみさんのほうでした。
中学時代の櫻井さんは全国中学生選手権を3連覇し、全国中学選抜選手権も2度優勝しています。
2016年には世界カデット選手権も制し、早くから世界での経験を積みました。
対照的に、清岡さんは伸び悩んでいた時期です。
同じように練習を重ねてもなぜ自分は勝てないのか、という思いを抱えていたといいます。
国際大会を制して帰国した櫻井さんを出迎える場で、悔しさからふてくされてしまったこともありました。
近すぎる存在だからこそ、実力差が本人には耐えがたかったのでしょうね。
とはいえ、この悔しさこそが清岡幸大郎さんを後に押し上げる原動力になりました。
櫻井さんのほうも、2016年の世界カデット選手権と2017年のアジア・カデット選手権を続けて制しています。
中学生の段階で世界のタイトルを2つ持っている選手というのは、日本でも数えるほどしかいません。
その姿を毎日の練習で間近に見続けていたのですから、清岡さんの焦りも相当だったはずです。
ただ、同じ道場に世界一がいるという環境は、目標の置き方そのものを変えてくれます。
結果として2人は、同じ年の同じ五輪で同じ色のメダルを手にすることになりました。
高め合いと低迷|シーソーの関係
一番近い存在だからこそ、2人は強烈に意識し合ってきました。
産経新聞は2人の歩みを、どちらかが好調ならもう一方が沈み込むシーソーのようなレスリング人生と表現しています。
ここでは、その独特な関係がどう作用したのかを整理していきますね。
シーソーのように入れ替わった好不調
前述の通り、中学時代は櫻井つぐみさんが全国3連覇を果たす一方で清岡幸大郎さんは伸び悩みました。
ところが高校に入ると、立場が入れ替わります。
清岡さんが主将を任されて全国大会で優勝した年、櫻井さんは早々に敗退してしまいました。
表彰台の清岡さんを直視できず「悔しい」と涙を流す櫻井さんの姿が、当時の関係を象徴しています。
下記の表で、2人の立場がどう入れ替わってきたのかを整理してみます。
| 時期 | 櫻井つぐみ | 清岡幸大郎 |
|---|---|---|
| 小学生 | 全国大会の常連 | 全国大会の常連 |
| 中学生 | 全国中学生選手権3連覇 | 伸び悩みの時期 |
| 高校生 | 心身の変化に苦しみ低迷 | 主将として全国優勝 |
| 2023年 | 世界選手権3連覇・五輪内定 | 代表争いの渦中 |
| 2024年4月 | 五輪へ調整 | パリ五輪代表に決定 |
互いに追いかけ、追いかけられる関係が20年続いたわけですね。
五輪切符をめぐる追いかけっこ
別々の大学に進んでも、2人の関係性は変わりませんでした。
櫻井さんが2023年に一足先に五輪切符を手にすると、清岡さんも2024年4月に代表の座をつかみます。
父親の優史さんは「つぐみにできて自分ができないのは許せない。その一心でやってきた負けず嫌いな幸大郎だからこそパリをつかみ取れた」とほほ笑みました。
ライバルであり仲間でもある存在が身近にいることは、これ以上ない燃料になります。
逆に言えば、この関係がなければ2人そろって五輪の舞台に立つこともなかったでしょう。
兄弟のような関係が、そのまま競技力を押し上げたという珍しいケースです。
育英大で磨かれた逆転力
大学進学後の櫻井さんを支えたのが、育英大学レスリング部の柳川美麿監督でした。
柳川監督は櫻井さんと女子62kg級の元木咲良さんという2人のパリ五輪出場選手を育てた指導者です。
櫻井さんは高3のときに出場した天皇杯で、残り時間10秒を切ったところで逆転フォール負けを喫しています。
柳川監督はこの敗戦を教訓に、ブリッジを徹底的に反復させる練習を課しました。
2023年7月には、世界選手権代表の座を南條早映さんとプレーオフで争い、ラスト1秒のがぶり返しで逆転勝ちを収めています。
ちなみに、同じ育英大には清岡もえさんという選手もいますが、清岡幸大郎さんとは別の人物です。
55kg級の全日本王者で、櫻井さんの練習パートナーを務めていた選手ですよ。
清岡もえさんは柳川監督の指導について「細かい部分まで見てくれる」と語っています。
「一人ひとりのスタイルをちゃんと見ているので、その人に合わせた技術を教えてくれる」とも評しました。
こうした環境で日々スパーリングを重ねたことが、櫻井さんの土壇場の強さを支えています。
高校時代の確執を収めた清岡の一言
2人の関係を語るうえで、いちばん心に残るのが高校時代のエピソードです。
父娘の関係がこじれた櫻井家を救ったのは、幼なじみである清岡幸大郎さんの一言でした。
ここでは、その経緯を順を追って見ていきますね。
高知南高へそろって進学
2人が進学したのは、優史さんが勤務する高知南高校でした。
現在は高知国際高校という名称に変わっている学校です。
櫻井さんにとっては、家でも学校でも父親が監督という環境になりました。
中学まで全国3連覇を重ねていた櫻井さんは、高校で思春期特有の心身の変化に苦しみ低迷します。
女子選手にとって体の変化は競技成績に直結する、非常にデリケートな問題です。
結果が出ない焦りと、父親でもある監督への反発が重なっていきました。
父が部に顔を出さなくなった日
練習に身が入らない娘に、優史さんはついに激怒します。
そして監督である優史さんが、レスリング部に顔を出さなくなってしまったのです。
指導者が現場に来ないというのは、部にとって異常事態ですよね。
家庭でも学校でも同じ相手と衝突しているわけですから、逃げ場もありません。
親子であり監督と選手でもあるという関係の難しさが、いちばん表に出た時期でした。
この状況が長引いていたら、櫻井つぐみさんの競技人生はそこで終わっていたかもしれません。
仲裁に入った幼なじみの言葉
数日後、動いたのは清岡幸大郎さんでした。
「先生、つぐみは変わりました。練習に来てください」と、優史さんに頭を下げたのです。
親子の間に割って入れる立場の人間は、そう多くありません。
両家の事情を赤ちゃんの頃から知っている清岡さんだからこそ、言えた言葉でしょう。
この仲裁がなければ、パリ五輪の2つの金メダルは存在しなかった可能性すらあります。
兄弟同然と言われる理由が、このエピソードに凝縮されていますよね。
涙を流した娘に父が重ねた言葉
それでも結果はすぐには戻りませんでした。
清岡さんが全国大会で優勝した一方、櫻井さんは早々に敗退しています。
表彰台の幼なじみを直視できず「悔しい」と涙を流す娘に、優史さんはこう言葉を重ねました。
「その気持ちがあればお前は強くなれる。絶対に忘れるな」という言葉です。
叱るでも慰めるでもなく、悔しさの価値を教える指導でした。
この一言があったからこそ、後の残り1秒で逆転する粘り強さが生まれたのだと思いますよ。
結果的に、この高校時代の低迷は櫻井つぐみさんにとって必要な回り道でした。
順調に勝ち続けたまま大学へ進んでいたら、負けたあとの立て直し方を知らないままだったかもしれません。
父親と衝突し、幼なじみに助けられ、悔し涙を流した経験がそのまま後半勝負のスタイルにつながっています。
高知南高校は現在の高知国際高校で、優史さんが教壇に立ち続けてきた学校です。
その校舎で起きた出来事が、10年後のパリの表彰台に結びついたと考えると感慨深いですよね。
父娘の関係が一度こじれても修復できたのは、間に入れる幼なじみがいたからです。
血のつながった兄弟がいなくても、櫻井つぐみさんの周りには支えてくれる存在がちゃんといました。
パリ五輪で揃って金メダル獲得
2024年8月、20年越しの夢がついに形になります。
櫻井つぐみさんは女子フリースタイル57kg級で、清岡幸大郎さんは男子フリースタイル65kg級で、そろって金メダルを獲得しました。
ここでは、その8月の出来事を日程順に整理していきますね。
パリ五輪の日程を時系列で確認
下記の表は、2人の金メダルに至る流れをまとめたものです。
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 2024年8月5日 | 父・優史と妹・つきのが高知を出発 |
| 2024年8月5日 | レスリング競技がスタート |
| 2024年8月8日 | 櫻井つぐみが初戦を迎える |
| 2024年8月9日 | 櫻井つぐみが女子57kg級で金メダル |
| 2024年8月10日 | 清岡幸大郎が初戦を迎える |
| 2024年8月 | 清岡幸大郎が男子65kg級で金メダル |
| 2024年8月22日 | 2人そろって高知市長を表敬訪問 |
櫻井さんが先に戦い、その翌日に清岡さんが続くという日程でした。
産経新聞は、櫻井さんが「2人で金メダル」の夢へ先陣を切ったと報じています。
先に勝った姉のような存在が、そのまま弟分の背中を押した形ですね。
地元への思いを背負った試合
この時期の高知県は、南海トラフ巨大地震の臨時情報で緊張状態にありました。
櫻井さんは試合前に「こういう舞台で活躍すれば、地元の勇気や元気につながる」と語っています。
さらに「最後に勝って、(地元の)皆さんにいいニュースを見てもらえたらうれしい」とも口にしました。
自分の結果を地元への贈り物として捉えていたわけです。
実際、金メダルのニュースは不安に包まれていた高知県にとって大きな明るい材料になりました。
言葉の通りに結果を出したのですから、本当に大したものだと思います。
約600人が出迎えた凱旋
2024年8月22日、2人は高知市長を表敬訪問しました。
本庁舎正面玄関には約600人の市民と職員が集まり、たくさんの祝福の声と大きな拍手で出迎えています。
桑名市長から2人に花束が贈られ、歓談ではメダル獲得までの熱戦の様子が語られました。
レスリング競技の普及に向けた思いや、地元からの力強い応援への感謝の言葉も述べられています。
幼なじみの2人が子どものころからの夢をかなえた姿に、多くの人が感動したという市長の言葉が印象的でした。
高知レスリングクラブから2人のオリンピアンが誕生したという事実は、地域の誇りになっていますね。
櫻井つぐみさんにとって、この金メダルは初めての五輪で手にしたものでした。
2021年の世界選手権も初出場で初優勝でしたから、大舞台の初挑戦で結果を出すのがこの選手の持ち味です。
妹のつきのさんや父親の優史さんは、その瞬間を現地で見届けたことになります。
高知から家族が駆けつけた前で20年越しの夢がかなったのですから、これ以上の親孝行はないでしょう。
兄弟のような幼なじみと一緒に頂点に立てたことも、本人にとっては大きな意味を持ったはずです。
日本のレスリング界を見渡しても、同じ道場で育った男女が同一大会で金メダルを分け合った例はほとんどありません。
高知という地方から生まれたこの快挙は、記録としても記憶としても長く残っていくでしょう。
引退後の現在と2人の冠大会
では、櫻井つぐみさんは現在どうしているのでしょうか。
2026年4月3日、高知県庁で現役引退を表明し、指導者としての道を歩み始めています。
ここでは、引退の経緯とその後の活動を整理していきますね。
2026年4月の引退表明
引退を表明したとき、櫻井さんは育英大助手という立場でした。
会見では「競技者としては一区切りつける」と述べています。
決断の理由については「覚悟がないと五輪で優勝するのは難しい。パリ五輪前の気持ちに戻れなかった」と説明しました。
中途半端な気持ちで五輪を目指すことを、自分に許さなかったということでしょう。
表彰台を懐かしみ「本気でレスリングをしてきた。最高の景色、最高の瞬間だった」とも語っています。
潔い引き際に、この人らしさが表れていると感じました。
指導者としての新しい道
引退後の進路は、すでに決まっていました。
地元の高知県香南市に設立するレスリング教室の監督を務め、後進の指導に当たるというものです。
父親の優史さんが2004年に高知レスリングクラブを立ち上げたのと、まったく同じ構図ですよね。
また、2025年4月には高知大学大学院に進学しています。
普及活動にも励んでおり「子どもの可能性はすごい。成長の一つのきっかけになるような存在になりたい」と指導への意欲を語りました。
競技者としての一区切りは、指導者としてのスタートでもあったわけです。
櫻井つぐみ・清岡幸大郎杯の開催
2人の名前を冠した大会も、地元で定着し始めています。
櫻井つぐみ・清岡幸大郎杯ジュニアレスリング大会は、2025年から香南市で開かれている大会です。
2026年6月28日の第2回大会には、県内をはじめ全国11府県から約180人のジュニア選手が集まりました。
「パンどろぼう」で知られる絵本作家・柴田ケイコさんが描いた2人のキャラクターが、表彰状やメダルにあしらわれています。
2人の生い立ちを知ることができるパネルも設置され、前回大会よりパワーアップした内容になりました。
櫻井さんは「2回目、3回目と続いていく大会にしたいと思っていたので、まずは2回目が開催できてよかった」とコメントしています。
次の世代へつながっていく物語
大会に参加した子どもたちからは「2人みたいな選手になりたい」という声が上がりました。
清岡さんも「自分たちも小さいころにオリンピック選手などと触れ合って頑張ろうと思ったので、そんなきっかけになってほしい」と語っています。
かつて自分たちが受け取ったものを、そのまま次の世代へ渡そうとしているわけですね。
血のつながった兄弟は妹のつきのさん1人でも、レスリングという競技を通じた家族は年々増えているのだと思います。
櫻井つぐみさんは高知県移住支援特使としての活動も、父親とともに続けています。
競技を離れても高知とのつながりが薄れないのは、この一家らしい歩み方だと思います。
ここ、気になるポイントだと思うので、新しい情報が出てきたら今後もアップデートしていきますね。
櫻井つぐみの兄弟と家族の総まとめ
- 櫻井つぐみの兄弟で確認できるのは妹の櫻井つきの1人
- 香南市の公式発信でも長女と明記され兄や姉の情報はない
- 妹のつきのは年齢も職業も公表されていない一般の方である
- 妹は2024年8月5日に父とパリへ向け高知を出発した
- 妹はねばり強く勝つ試合が見たいと姉へエールを送った
- 父親は高知県の高校教諭でレスリング部監督の櫻井優史
- 父は1998年に香川県から高知県へ教員として移住した
- 父が2004年に設立した高知レスリングクラブの1期生
- 母親の名前も職業も非公表だが清岡家とは親交があった
- 兄弟同然の存在は幼なじみの清岡幸大郎だが血縁はない
- 2人は櫻井が2歳で清岡が3歳のころに競技を開始した
- 高校時代の父娘の確執は清岡幸大郎の仲裁で収まっている
- パリ五輪で2人そろって金メダルを獲得し高知を沸かせた
- 父娘は2023年4月から高知県移住支援特使を務める
- 2026年4月3日に引退し香南市で指導者の道へ進んだ
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