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エバデダンラリーさんの両親について、どんな人なのか気になっている方は多いのではないでしょうか。
身長195cmの恵まれた体格と明るいキャラクターで男子バレーボール日本代表の中心を担うエバデダンラリーさんですが、その原点にはナイジェリア人の父親と日本人の母親の存在があります。
ご両親はそろって岐阜県で塾の講師を務めながら、父親はバーも経営しているという、少し珍しい経歴の持ち主です。
エバデダンラリーさんはインタビューで尊敬する人として父親を挙げるほどの親孝行家としても知られています。
この記事では、エバデダンラリーさんの両親の職業やルーツ、3歳年上の兄との関係まで、公開情報をもとにわかりやすく整理していきます。
記事のポイント
①:両親はナイジェリア人の父と日本人の母
②:父親はバー経営と塾講師を両立
③:尊敬する人は父親と語る親孝行家
④:3歳上の兄も日本のバレー選手
エバデダンラリーの両親はナイジェリア人と日本人
- 父親・ナイジェリア出身でバー経営
- 母親は日本人で教育熱心な塾講師
- 尊敬する人に父親を挙げる理由
- ハーフとしてのルーツと日本国籍
- 4人家族の構成と本名プロフィール
父親・ナイジェリア出身でバー経営
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結論から言うと、エバデダンラリーさんの父親はナイジェリア出身で、岐阜県でバーを経営しながら塾の講師も務めている人物です。
まずは、公開されている父親の情報を下の表で整理してみます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出身 | ナイジェリア |
| 来日時期 | 30年以上前に移住 |
| 居住地 | 岐阜県 |
| 職業 | バー経営・学習塾の講師 |
| 子供 | 長男(ジェフリー)・次男(ラリー) |
ナイジェリアから日本へ移住した経緯
エバデダンラリーさんの父親は、アフリカ大陸の西部に位置するナイジェリアの出身です。
報道によると、今から30年以上前に日本へ移り住んだとされています。
移住から30年以上という年月を考えると、日本語も流暢に話せる状態であることは間違いなさそうです。
実際、後述するように父親は日本で塾の講師を務めているため、日本語での指導ができるレベルの語学力を身につけていると考えられます。
異国の地で長く生活を続け、家庭を築いてきた父親の姿勢は、エバデダンラリーさん自身の芯の強さにも影響しているのでしょう。
岐阜県で営むバーと地域に根ざした暮らし
父親は岐阜県内でバーを経営していると複数のメディアで報じられています。
店名などの詳細までは公表されていませんが、エバデダンラリーさんの出身地である岐阜県海津市の周辺で店を構えている可能性が高いとみられています。
ナイジェリア出身の父親が日本の地方都市でバーを営むというのは、なかなか珍しいケースですよね。
地域に根ざしながら家族を支えてきた父親の生活ぶりからは、地元にしっかり溶け込んでいる様子がうかがえます。
お店の常連客との交流を通じて、地域社会の一員として長く親しまれてきたことが想像できます。
バー経営と塾講師を両立する働き方
父親の特徴は、夜のバー経営だけでなく、学習塾の講師という教育の仕事も両立している点にあります。
飲食業と教育業という、まったく性格の異なる二つの仕事をかけ持ちしているのは驚きですよね。
母親と一緒に塾の講師を務めているとされ、夫婦そろって子供たちの教育に携わってきたことがわかります。
仕事と家庭を両立しながら家族を支えてきた父親の姿を間近で見て育ったことが、エバデダンラリーさんの人間性の土台になっています。
昼は塾で子供たちに勉強を教え、夜はバーでお客さんをもてなすという生活は、体力的にも決して楽なものではなかったはずです。
それでも弱音を吐かず、二つの仕事で家族を養い続けた父親の背中は、息子にとって何よりのお手本になったのでしょう。
世界を舞台に戦う現在の強いメンタルも、こうした父親の生き方から学んだ部分が大きいのかもしれません。
母親は日本人で教育熱心な塾講師
エバデダンラリーさんの母親は日本人で、父親と同じく塾の講師として働いている人物です。
まず、母親について判明している情報を確認してみましょう。
塾講師として家族を支える母親
母親は日本人で、岐阜県内で学習塾の講師を務めているとされています。
父親とともに教育の現場に立ち、子供たちの学びを間近で支えてきた存在です。
スポーツ選手として成長するためには、競技だけでなく学業との両立も欠かせません。
教育に携わる両親のもとで育ったことは、エバデダンラリーさんの人間形成にも良い影響を与えたと考えられます。
勉強とバレーボールの両面から我が子を見守ってきた母親の存在は、とても大きかったはずです。
遠く離れた高校進学を後押しした精神的支え
エバデダンラリーさんは高校進学の際、地元の岐阜県を離れて長野県の松本国際高校へ進んでいます。
15歳前後の少年が親元を離れて寮生活を送るというのは、想像以上に心細いものですよね。
厳しい練習と慣れない寮生活を乗り越えられた背景には、母親を含めた家族の精神的な支えがあったと考えられます。
離れて暮らしても、母親が変わらず息子を気にかけ続けたことが、エバデダンラリーさんの心の支えになっていたのでしょう。
試合や練習で疲れたときも、電話越しに母親の声を聞くだけで安心できた、という選手は少なくありません。
遠く岐阜から我が子の成長を見守り続けた母親の存在は、間違いなく大きな心の拠りどころだったはずです。
現在も家族との絆は深く、プロ選手として親孝行したいという思いを本人が語っています。
両親そろって教育者という珍しい家庭環境
エバデダンラリーさんの家庭で特徴的なのは、父親も母親もそろって塾の講師という点です。
両親が教育者という環境は、子供にとって学ぶ姿勢が自然と身につく恵まれた家庭だったと言えます。
アスリートの家庭というと、親も元スポーツ選手というケースが多いですが、エバデダンラリーさんの場合は教育熱心な両親のもとで育った点が個性的です。
学業と競技をバランスよく大切にする価値観は、こうした家庭環境から培われたのだと思います。
塾講師の両親のもとで育つと、勉強する習慣が自然と身につき、物事を筋道立てて考える力も養われていったことでしょう。
バレーボールは相手の攻撃を読んで的確にブロックする、頭脳的な判断力が求められる競技でもあります。
頭で考えてプレーするミドルブロッカーとしての賢さも、教育者である両親ゆずりなのかもしれませんね。
尊敬する人に父親を挙げる理由
エバデダンラリーさんは、インタビューで尊敬する人物として父親の名前を挙げていることで知られています。
ここでは、なぜ父親を尊敬しているのか、その背景を掘り下げていきます。
恩師や有名選手ではなく父親を選ぶ理由
多くのトップアスリートは、尊敬する人物として恩師や憧れの名選手を挙げることが少なくありません。
そんな中で、エバデダンラリーさんが身近な父親を選んでいる点は非常に印象的ですよね。
これは、仕事と家庭を両立しながら家族を支え続けた父親の姿を、誰よりも近くで見てきたからだと考えられます。
華やかなスターではなく、日々地道に働く父親を尊敬の対象に選ぶあたりに、エバデダンラリーさんの誠実な人柄が表れています。
身近な家族をロールモデルにできるというのは、それだけ温かい家庭で育った証拠でもあります。
両親の支えへの感謝と親孝行の思い
エバデダンラリーさんは学生時代、競技に専念していたためアルバイトをする時間がほとんどありませんでした。
高校からバレーボールの練習が本格的に忙しくなり、生活は両親の支援に支えられていたそうです。
そのため、大学卒業後は親孝行ができるように選手として結果を出し続けたいと語っていました。
両親のためにバレーをやっている、という言葉からは、家族への深い感謝の気持ちが伝わってきます。
自分のためだけでなく、支えてくれた家族のために結果を残したいという思いは、大きなプレッシャーの中でも折れない芯になります。
ここ、エバデダンラリーさんの人間性がよく表れているところで、応援したくなりますよね。
父親の生き方が育てた強いメンタル
日本代表や大阪ブルテオンで活躍する現在の姿は、両親への恩返しの意味も込められています。
異国の地で30年以上暮らし、二つの仕事をかけ持ちしながら家族を守ってきた父親の生き方は、簡単に真似できるものではありません。
そうした父親のたくましさを間近で見て育ったことが、世界を相手に戦うエバデダンラリーさんの強い精神力につながっているのでしょう。
言葉も文化も違う土地で一から生活基盤を築くのは、並大抵の覚悟でできることではありません。
そんな父親の挑戦する姿勢は、大学時代のケガや代表での重圧を乗り越えてきた息子の生き方とも重なります。
困難な局面でも冷静さを失わないプレースタイルは、父親ゆずりの粘り強さなのかもしれません。
家族の存在が、エバデダンラリーさんの大きな原動力になっていることが伝わってきます。
ハーフとしてのルーツと日本国籍
結論から言うと、エバデダンラリーさんはナイジェリア人の父と日本人の母を持つハーフで、国籍は日本です。
ここでは、ハーフとしての生い立ちと国籍について整理していきます。
父はナイジェリア人・母は日本人のハーフ
エバデダンラリーさんは、父親がナイジェリア人、母親が日本人のハーフです。
生まれも育ちも岐阜県海津市で、多文化的なルーツを持ちながらも日本で成長したアスリートとして知られています。
身長195cmという恵まれた体格や高い身体能力は、父親から受け継いだ部分が大きいと考えられます。
端正な顔立ちと明るいキャラクターも相まって、コート上ではひときわ存在感を放っています。
グローバルなルーツを持ちながら日本代表として戦う姿は、多くのファンから支持される理由の一つです。
幼少期は自分を日本人だと思っていた
意外なことに、エバデダンラリーさんは小さい頃、周りと見た目が違うことをあまり意識していなかったそうです。
本人によると、みんなと同じ日本人だと思っていたと語っています。
肌の色の違いで見られていたというよりも、身長が195cmと高かったことで目立っていたと本人は感じているようです。
ハーフだからといって嫌な思いをした記憶はなく、のびのびと育ってきたことがわかります。
周りから運動神経が良いと思われることは多かったようですが、それを負担に感じることはなかったといいます。
むしろ持ち前の明るさで周囲に溶け込み、自然体で少年時代を過ごしてきたことが伝わってきます。
日本で生まれ日本で育ったため、考え方も文化も日本人と同じだと本人は語っています。
オリンピック代表と日本国籍の関係
エバデダンラリーさんの国籍は日本です。
オリンピックの代表選手になるためには、原則としてその国に国籍があることが条件とされています。
ハーフで国籍を二つ持てる場合は、どちらの国の代表になるか自分で選ぶことができるとされています。
エバデダンラリーさんは日本を選び、日本代表としてパリオリンピックの舞台にも立ちました。
生まれも育ちも岐阜県で、文化や価値観も日本人として育ってきたことを考えれば、自然な選択だったと言えます。
身体能力の高さは父親ゆずりでも、競技に向き合う真面目さやチームワークを重んじる姿勢は日本で培われたものです。
二つのルーツを持ちながら日本代表として世界と戦う姿は、多様性が広がる現代のスポーツ界を象徴する存在とも言えるでしょう。
日本のユニフォームを着て世界と戦うことに誇りを持っている、という姿勢が伝わってきますね。
4人家族の構成と本名プロフィール
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エバデダンラリーさんの家族構成は、父・母・兄・本人の4人家族です。
まず、家族構成とご本人のプロフィールを表で確認してみましょう。
| 続柄 | 人物 | 備考 |
|---|---|---|
| 父親 | 非公表 | ナイジェリア出身・バー経営・塾講師 |
| 母親 | 非公表 | 日本人・塾講師 |
| 兄 | エバデダン・ジェフリー宇意 | バレーボール選手 |
| 本人 | エバデダン・ラリー | 男子バレー日本代表 |
父・母・兄・本人の4人家族
エバデダンラリーさんは、国際的なバックグラウンドを持つ4人家族の中で育ちました。
ナイジェリア人の父と日本人の母、そして3歳年上の兄という構成です。
兄も現役のバレーボール選手であり、兄弟そろってプロレベルで活躍する珍しい家庭となっています。
兄弟でプロまで到達したことからも、いかに恵まれた家庭環境だったかがうかがえます。
両親の支えと兄の存在が、エバデダンラリーさんの競技人生を形作ってきました。
本名はエバデダン・ラリー・アイケー
エバデダンラリーさんの正式な本名は「エバデダン・ラリー・アイケー」です。
英語表記では「Larry IK Evbade-dan」とされています。
ファンの間では「ラリー」の愛称で親しまれていますが、名前にはナイジェリアのルーツがしっかりと刻まれています。
国際大会では英語表記の名前が使われることも多く、日本代表の中でもひときわ印象的な名前として知られています。
覚えやすいインパクトのある名前も、人気を集める理由の一つになっていますね。
エバデダンラリーの基本プロフィール
ここで、エバデダンラリーさん本人の基本情報を表にまとめておきます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | エバデダン・ラリー・アイケー |
| 生年月日 | 2000年8月18日 |
| 2026年09月16日現在の年齢 | 26歳 |
| 出身 | 岐阜県海津市 |
| 身長 | 195cm |
| 最高到達点 | 350cm |
| ポジション | ミドルブロッカー(MB) |
| 所属 | 大阪ブルテオン / 男子日本代表 |
最高到達点350cmは、バスケットボールのゴールを余裕で超える高さで、恵まれた身体能力の高さがよくわかります。
ちなみに大学3年生の頃の最高到達点は344cmだったとされ、そこからさらに数字を伸ばしている点にも成長がうかがえます。
ミドルブロッカーとしては195cmという身長はやや低めですが、高い到達点とジャンプ力でその差を十分に補っています。
こうした基本情報を押さえておくと、両親から受け継いだ体格の恵まれ具合がより実感できますね。
エバデダンラリーの両親と兄に支えられた歩み
- 3歳年上の兄・エバデダンジェフリー
- 兄の影響でバレーを始めた原点
- 今尾小・平田中学校時代の急成長
- 松本国際高校で全国レベルへ
- 筑波大学から日本代表への飛躍
3歳年上の兄・エバデダンジェフリー
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エバデダンラリーさんには、3歳年上の兄・エバデダン・ジェフリー宇意さんというバレーボール選手がいます。
まずは、兄のプロフィールを表で確認してみましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | エバデダン・ジェフリー宇意 |
| 生年月日 | 1998年3月 |
| 2026年09月16日現在の年齢 | 28歳 |
| 身長 | 185cm |
| ポジション | ミドルブロッカー |
| 所属 | 富士通川崎レッドスピリッツ |
| 出身校 | 創造学園→中京大学 |
富士通川崎に所属する兄のプロフィール
兄のエバデダン・ジェフリー宇意さんは、1998年3月生まれのバレーボール選手です。
身長は185cmで、所属チームは富士通川崎レッドスピリッツです。
ポジションは弟のエバデダンラリーさんと同じミドルブロッカーを務めています。
兄弟そろって同じポジションでプレーしているというのは、なかなか珍しいですよね。
ブロック技術や相手の攻撃を読む力を共有できるため、互いに良い刺激を受けてきたことが想像できます。
兄弟で身長差10cmという体格
面白いことに、3歳年上の兄よりも弟のエバデダンラリーさんのほうが背が高くなっています。
エバデダンラリーさんが195cm、兄が185cmなので、兄弟で10cmの身長差があります。
弟のほうが高身長なのは、父親ゆずりの体格を色濃く受け継いだからかもしれません。
それぞれ恵まれた体格を持つ兄弟が、同じミドルブロッカーとして活躍しているのは頼もしい限りです。
身長は違っても、ブロックの読みや駆け引きといった技術面では、兄弟で通じ合うものがあるのでしょう。
大学時代に受賞歴もある実力派の兄
兄のジェフリーさんは、出身校の創造学園を経て中京大学へ進学しています。
大学時代の2017年には、西日本バレーボール大学男子選手権大会でベストスパイク賞を受賞しています。
攻守のバランスに優れたプレーヤーとして、学生時代から評価されていたことがわかります。
所属する富士通川崎レッドスピリッツはVリーグのチームで、リーグの舞台で長く活躍を続けています。
弟のエバデダンラリーさんが所属する大阪ブルテオンはSVリーグ、兄の富士通川崎はVリーグと、所属するリーグが異なります。
そのため公式戦で兄弟が直接対戦する機会はありませんが、いつか同じコートでのミドルブロッカー対決を見てみたいものですね。
兄弟がそれぞれ別のチームで主力として戦っている姿は、ファンとしても応援しがいがありますね。
兄の影響でバレーを始めた原点
エバデダンラリーさんがバレーボールを始めた最大のきっかけは、先に競技を始めていた兄の存在でした。
ここでは、バレーとの出会いから競技に打ち込むまでの原点を見ていきます。
小学4年生でバレーボールと出会う
エバデダンラリーさんは、小学4年生の頃にバレーボールを始めています。
3歳年上の兄がプレーする姿を見て、自然とバレーボールに興味を持ったとされています。
兄が地元の今尾ジュニアバレースポーツ少年団に所属していたことから、弟のエバデダンラリーさんも同じチームでプレーを始めたとみられています。
身近な兄の背中を追いかける形で競技の道に進んだというのは、兄弟らしい微笑ましいエピソードですよね。
この小学4年生での出会いが、後の日本代表ミドルブロッカー誕生の原点となりました。
実は野球から転向したユニークな経緯
実は、エバデダンラリーさんは当初、野球をやっていたという意外な過去があります。
ところが日差しが苦手だったことから別のスポーツを探すことになったそうです。
屋外の野球から、体育館で行う屋内競技のバレーボールへと最終的に落ち着いたというユニークな経緯があります。
この転向がなければ、今の日本代表のエバデダンラリーさんは存在しなかったかもしれません。
屋内競技であるバレーボールは、身長を生かせるうえに天候にも左右されず、結果的に本人にぴったりの選択でした。
ちょっとしたきっかけが人生を大きく変えるというのは、面白いものですね。
仲の良い兄弟で積み重ねた練習
兄の影響でバレーを始めたエバデダンラリーさんは、その後も兄の背中を追うように競技を続けました。
仲の良い兄弟だったからこそ、二人でたくさん練習を積み重ねてきたことが想像できます。
同じ競技、同じミドルブロッカーというポジションを歩んだ二人は、互いにとって最高のライバルであり練習相手だったのでしょう。
中学・高校・大学と成長を重ねる過程でも、常に先を行く兄の存在が良い目標になっていたはずです。
高校もまた兄と同じ長野県の松本国際へ進んでおり、進路の面でも兄の背中を追い続けていたことがわかります。
身近に目標となる存在がいたからこそ、地元の公立校出身ながら日本代表まで駆け上がれたのだと思います。
兄弟でひとつの競技に打ち込める環境は、切磋琢磨できる相手が常にそばにいるという意味でも恵まれていました。
家族ぐるみでバレーボールに打ち込んできた環境が、兄弟をプロの舞台へと押し上げました。
今尾小・平田中学校時代の急成長
エバデダンラリーさんは、岐阜県海津市の今尾小学校・平田中学校という地元の公立校で育ちました。
まず、学生時代の学歴を表で整理してみます。
| 時期 | 学校 | 備考 |
|---|---|---|
| 小学校 | 海津市立今尾小学校 | 今尾ジュニアバレー所属 |
| 中学校 | 海津市立平田中学校 | JOC選抜に選出 |
| 高校 | 創造学園(現・松本国際) | 春高3年連続出場 |
| 大学 | 筑波大学体育専門学群 | 全日本インカレ優勝 |
やんちゃだった今尾小学校時代
エバデダンラリーさんの出身小学校は、海津市立今尾小学校です。
幼少期はやんちゃな子供だったと本人が振り返っています。
この頃に兄の影響でバレーボールを始め、地元の今尾ジュニアバレースポーツ少年団でプレーしていました。
のびのびと元気に育った少年時代の様子が目に浮かびますね。
後に「丸くなったね」と旧友に言われるほど、この頃はやんちゃな一面があったようです。
平田中学校で身長が急成長
中学は、強豪の私立ではなく地元の公立中学である海津市立平田中学校へ進学しました。
中学時代は身長が毎年10cm近く伸び、中学3年生の頃には190cm近い長身になったと言われています。
この急成長ぶりは、まさに将来のミドルブロッカーを予感させるものでした。
中学では特に目立った戦績は見当たりませんが、体格の面で大きく変化した時期だったことがわかります。
急激に身長が伸びる時期は体の使い方に苦労するものですが、この経験がのちの器用なプレースタイルにつながっています。
グングン背が伸びていく中で、バレーボール選手としての土台が着実に築かれていきました。
JOC選抜が競技継続の転機に
実は、エバデダンラリーさんは中学でバレーボールを辞めるつもりだったそうです。
ところが、JOC選抜に選出されたことが大きな転機となりました。
全国レベルの選手たちと交流する中で、自分の可能性を実感したことが、その後も競技を続ける原動力になったのでしょう。
もしこの選出がなければ、バレーボールを離れていたかもしれないと考えると、運命的な出来事ですよね。
強豪の私立ではなく地元の公立中学から全国規模の選抜に選ばれたことは、それだけ素材として光るものがあった証拠です。
高身長という武器に加え、この時期に芽生えた「もっと上を目指したい」という気持ちが、その後の飛躍を支えていきました。
この経験が、地元の公立校出身の少年を全国の舞台へと導くきっかけになりました。
環境に恵まれなくても、本人の意識と出会いのタイミング次第で道は大きく開けるという好例ですね。
松本国際高校で全国レベルへ
エバデダンラリーさんは高校から、兄も通った長野県の松本国際高校(旧・創造学園)へ進学しました。
ここでは、高校時代に全国レベルへと成長した歩みを見ていきます。
兄も通った強豪・松本国際高校へ進学
エバデダンラリーさんは、地元の岐阜県を離れて長野県松本市の創造学園へ進みました。
この学校は現在の松本国際高等学校で、毎年全国大会に出場する長野県の強豪校として知られています。
兄のジェフリーさんも通っていた学校であり、兄の後を追う形での進学でした。
それまで強豪校でプレーした経験がなかったエバデダンラリーさんは、入学当初その練習量に圧倒されたそうです。
「これが本物のバレーか」と衝撃を受けたというエピソードからは、レベルの高さがうかがえます。
1年秋からレギュラー・春高3年連続出場
エバデダンラリーさんは、高校1年生の秋からレギュラーに定着しました。
1年秋の国体では、早くも長野県代表として出場を果たしています。
春高バレーにも3年連続で出場するなど、高校時代から全国レベルの実力を発揮していました。
強豪校に入ってすぐレギュラーをつかむあたりに、恵まれた才能と努力の両方が表れていますね。
身体能力だけでなく技術面も大きく向上し、将来の日本代表候補として注目を集めていきました。
強豪校ならではのハイレベルな環境に身を置いたことで、全国で通用する実戦感覚が磨かれていったのでしょう。
この3年間で得た経験値の高さが、大学・日本代表へと続く飛躍の助走になりました。
兄と同じ道をたどりながら、弟は弟なりの努力で全国区の選手へと成長していったのです。
人としても成長した高校時代
高校時代のエバデダンラリーさんは、技術だけでなく人間としても大きく成長しました。
1年秋の国体では、準決勝の東京戦で自分の技術がまだまだだと痛感し、意識改革をしていったそうです。
また、周りを把握する力や伝える力、コミュニケーション能力も学んでいったといいます。
幼少期はやんちゃだったものの、高校時代は大人しくてまじめだったそうで、昔の友人からは「丸くなったね」と言われるほどでした。
バレーボールを本格的に続ける中で、技術だけでなく人としての落ち着きも身につけていったことがうかがえます。
地元を離れた寮生活で自立心が育まれ、チームメイトと支え合う協調性も自然と磨かれていったのでしょう。
厳しい寮生活と全国レベルの練習が、現在のエバデダンラリーさんの土台を築いたと言えるでしょう。
筑波大学から日本代表への飛躍
エバデダンラリーさんは筑波大学へ進学し、在学中に日本代表へと飛躍を遂げました。
まず、大学以降の主な経歴を年表で整理してみます。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 大学1年 | 試合出場も6月に疲労骨折で離脱 |
| 大学3年 | パナソニックパンサーズに入団 |
| 大学4年 | 筑波大に戻り全日本インカレ優勝 |
| 大学4年 | 日本代表に初選出・AVCカップ出場 |
| 現在 | 大阪ブルテオンの主力MBとして活躍 |
ケガを乗り越えた大学時代
エバデダンラリーさんは、バレーの強豪として知られる筑波大学体育専門学群へ進学しました。
1年生の4月から試合に出場していましたが、6月に疲労骨折をしてしまい3ヶ月間コートに立てない時期がありました。
試合に出られない間にチームが東日本インカレで優勝したことで、自分がいなくても勝てる現実に焦りを感じたそうです。
周りから「さぼっている」と思われたことが悔しく、それが復帰の原動力になったといいます。
この苦しい空白の時間があったからこそ強くなれた、と本人も振り返っています。
在学中にプロ入りという異例の挑戦
エバデダンラリーさんは大学3年生の12月から、大学に在学しながらVリーグでプレーするという初の試みに挑戦しました。
入団先はパナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)です。
1月末にはVC長野戦でVリーグ初出場を果たし、レギュラーラウンドでは15試合に出場して31得点を記録しました。
アタック決定率64.6%という高い数字を残し、チームのムードメーカーとしても存在感を発揮しています。
大学4年生以外の内定選手加入は異例で、それだけ将来を嘱望されていたことがわかりますね。
日本代表・大阪ブルテオンで活躍する現在
2022年4月にいったん退団して筑波大学に戻り、大学4年時には全日本インカレ優勝を経験しました。
その後日本代表に初選出され、AVCカップでは全試合にスタメン出場を果たしています。
現在は大阪ブルテオンの主力ミドルブロッカーとして、攻撃力とブロック力の両面で高く評価されています。
ナイジェリア出身の父親の影響もあり、英語で海外選手とコミュニケーションが取れるのも大きな武器です。
国際大会では海外選手との会話やユニフォーム交換を英語でこなす場面もあり、グローバル化するバレー界で語学力が生きています。
プレーが決まったときに力こぶを作って見せる「ラリーポーズ」も人気で、SNSでたびたび話題を集める明るいキャラクターです。
ネーションズリーグ2026でも日本代表に選出されており、今後の国際大会でのさらなる飛躍が期待されます。
エバデダンラリーの両親に関する総まとめ
- エバデダンラリーの父親はナイジェリア出身である
- 父親は岐阜県でバー経営と塾講師を両立する
- 母親は日本人で夫婦そろって塾講師を務める
- 両親は教育熱心で学業と競技を大切にした
- 本人は尊敬する人に父親を挙げている
- 学生時代は両親の支援で競技に専念できた
- 親孝行のため結果を出し続けたいと語る
- 父ナイジェリア人・母日本人のハーフである
- 生まれ育ちは岐阜県海津市で国籍は日本
- 本名はエバデダン・ラリー・アイケー
- 家族構成は父・母・兄・本人の4人家族
- 3歳年上の兄ジェフリー宇意もバレー選手
- 兄は富士通川崎所属のミドルブロッカー
- 兄の影響で小学4年からバレーを始めた
- 現在は大阪ブルテオンと日本代表で活躍
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