内海哲也の奥さんは聡子さん|元歯科助手との結婚の馴れ初めと子供4人の現在

内海哲也の奥さんは聡子さん|元歯科助手との結婚の馴れ初めと子供4人の現在

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内海哲也さんの奥さんは内海聡子さん(旧姓・横井)で、元歯科助手をしていた一般女性です。

知人の紹介で出会い、内海哲也さんが一目惚れをして猛アピールの末に交際へ発展しました。

2007年5月に入籍し、現在は3人の息子と1人の娘の計4人の子供に恵まれた大家族です。

グローブに「家族」と刺繍を入れるほど、奥さんと子供たちを深く大切にしていることで知られる内海哲也さん。

2022年9月の引退セレモニーでは、奥さんと4人の子供たちから直筆の手紙が贈られる感動的な場面もありました。

この記事では、奥さん・聡子さんとの馴れ初めや結婚の経緯、4人の子供の名前と現在について詳しく紹介します。

記事のポイント

①:奥さんは元歯科助手の内海聡子さん(旧姓・横井)

②:知人の紹介で一目惚れ→2007年5月に入籍

③:3男1女4人の子供・旺太・爽太・瑛太・琴菜

④:祖父・内海五十雄は元読売ジャイアンツ選手

内海哲也の奥さん・聡子さんとの出会いと家族

  • 内海哲也の奥さん・聡子さんの馴れ初めと結婚
  • できちゃった婚と2007年5月の入籍
  • 4人の子供の名前と性別を整理する
  • グローブに「家族」と刻んだ理由と愛情
  • 引退式で奥さんと子供への感謝スピーチ
  • 内海哲也の奥さんと家族の自宅と日常

内海哲也の奥さん・聡子さんの馴れ初めと結婚

内海哲也の奥さん・聡子さんの馴れ初めと結婚

ここでは、内海哲也さんの奥さん・聡子さんについて、出会いから結婚までの経緯を整理します。

下記の表は、奥さん・内海聡子さんの基本情報をまとめたものです。

項目 内容
氏名 内海聡子(旧姓・横井)
旧職業 歯科助手
出身 非公表
出会いのきっかけ 知人の紹介
入籍日 2007年5月

知人の紹介からはじまった出会い

内海哲也さんと奥さん・聡子さんの出会いは、共通の知人による紹介でした。

当時、聡子さんは歯科助手として働いていた一般女性で、プロ野球とは特に接点がある環境ではなかったそうです。

そんな聡子さんに内海哲也さんが一目惚れをしたのが、ふたりの始まりとなりました。

「もう一目見た瞬間に、この人だ」と感じたと語られているほどで、内海哲也さんの行動力は恋愛でも発揮されたようですよ。

プロ野球選手として多忙な中でも猛アピールを続けて交際へと発展させたわけで、諦めない姿勢はマウンドだけでなく恋愛にも共通していたんですね。

美しくしっかりした聡子さんの人物像

聡子さんについては「美しいだけでなく、しっかりした性格の持ち主」と伝えられています。

歯科助手という職業はチームワークや細やかな気配りが求められる仕事ですから、そのしっかりした面が内海哲也さんの心を惹きつけたのかもしれません。

内海哲也さん自身も「嫁がしっかりしていると野球により集中できる」という趣旨のことを語っており、聡子さんの存在が野球人生の大きな支えになっていたことは間違いないでしょう。

プロ野球選手の奥さんというのは、夫が長期遠征に出ることも多く、シーズン中はほぼワンオペで家庭を支えることになります。

それでも聡子さんは4人の子供を育てながら家庭を守り続けてきたわけで、内海哲也さんがいかに良い伴侶を見つけたか、ということがよくわかりますよね。

実際、内海哲也さんの活躍を振り返れば、現在までの実績の半分以上は、奥さんの支えが大きかったと言われているほどです。

家庭が安定しているからこそ、マウンドに全力で向かえる。それが内海哲也さんのパフォーマンスにも表れていたんだろうなと思います。

ここ、プロ野球選手の奥さんって本当に大変な立場なんですよね。それを長年続けてきた聡子さんは、本当に芯の強い方なのだと思います。

できちゃった婚と2007年5月の入籍

内海哲也さんと奥さん・聡子さんは、2007年5月に入籍していたことが確認されています。

この時、内海哲也さんは25歳。プロ入り4年目で、ちょうどジャイアンツのローテーション投手として定着し始めた時期でした。

「できちゃった婚」の経緯

ふたりの結婚はいわゆる「できちゃった婚」だったと伝えられています。

子供がきっかけで結婚というと驚く方もいるかもしれませんが、内海哲也さんはこれをとてもポジティブに語っており、「子供がきっかけでの結婚は凄く素敵なことだと思う」という趣旨の言葉を残しています。

確かに、できちゃった婚というのはある意味、ふたりの関係がすでにそれほど深く・信頼しあっていたということの証明でもあります。

一目惚れから始まり、猛アピールを経て交際に発展し、そして子供が生まれるまでの深い絆がすでに育まれていた、ということです。

25歳で所帯を持った内海哲也さんの覚悟

プロ野球選手という職業は不安定な側面もあり、25歳という若さで家族を持つ選択は、周囲からも驚きの目で見られたかもしれません。

しかし内海哲也さんはもともと「一家の大黒柱」としての意識が非常に強い人物です。

母親を女手ひとつで育ててもらった経緯があり(後述)、「自分が家族を養っていかなければならない」という強い責任感がプロ入り前から育まれていました。

そのため、25歳で所帯を持つことへの不安よりも、「守るべき家族ができた」という喜びと覚悟のほうが大きかったのではないでしょうか。

実際、結婚後もジャイアンツのエースとして目覚ましい成績を残していき、2011年・2012年には2年連続で最多勝タイトルを獲得しています。

家庭の安定が精神的な基盤になり、マウンドでの安定感にも繋がっていたのかもしれませんね。

2007年の入籍から17年以上が経過した今でも、奥さん・聡子さんとの関係は良好とされており、内海哲也さんの公私にわたる充実ぶりは、まさに「良い結婚をした」という言葉がぴったりだと思います。

この選択が正しかったことは、内海哲也さんのその後の充実したプロ野球人生が証明してくれていますよね。

4人の子供の名前と性別を整理する

4人の子供の名前と性別を整理する

内海哲也さんと奥さん・聡子さんの間には、3人の息子と1人の娘の計4人の子供がいます。

下記の表は、4人の子供の情報をまとめたものです。

続柄 名前 性別 備考
長男 旺太 長男
次男 爽太 次男
三男 瑛太 三男
長女 琴菜 2013年12月誕生

待望の長女・琴菜ちゃんの誕生

3人の息子たちの後に生まれた長女・琴菜ちゃんの誕生は、内海哲也さんにとって特別な喜びだったと報道されています。

2013年12月に琴菜ちゃんが誕生した際、待望の女の子の誕生に内海哲也さんが喜びを爆発させたことが当時の報道で伝えられました。

もちろん息子3人も可愛いでしょうが、唯一の娘ということで、いわゆる親バカっぷりに磨きがかかったのは想像に難くないですよね(笑)。

「太」という字が連なる息子3人の名前と、少し雰囲気の異なる「琴菜」という名前のバランスが、なんとも愛らしいです。

「ビッグダディ」の異名と育児への姿勢

子供4人の父親となった内海哲也さんには、チームメイトや周囲から「ビッグダディ」というニックネームがついていたそうです。

シーズン中は長期遠征が続き、子供たちと過ごす時間は限られてしまいます。

そのため、オフシーズンには家族で積極的に時間を過ごし、奥さん・聡子さんをフォローする姿勢を持っていたとされています。

グローブに「家族」と刻むほど家族を大切にする内海哲也さんにとって、子供たちはかけがえのない宝物です。

また、自宅には育ち盛りの子供4人のために大型冷蔵庫が3台もフル稼働しているというエピソードもあり、大家族らしい生活感が伝わってきます。

息子たちが将来、父親と同じ野球の道へ進むのかどうかも、ファンとしては楽しみなところですよね。

グローブに「家族」と刻んだ理由と愛情

内海哲也さんが試合で使用するグローブには、名前ではなく「家族」という文字が刺繍されていることで知られています。

ここでは、その深い意味と内海哲也さんの家族観について整理します。

あえて名前を入れず「家族」にした理由

内海哲也さんがグローブに「家族」と刺繍したのは、単なる装飾ではありませんでした。

「あえて名前を入れずに『家族』と入れたのは、『家族を守っていく』『家族からも支えてもらいたい』という意味から」と本人が語っています。

名前を入れると特定の誰かに向けたメッセージになってしまうところを、「家族」という言葉にすることで、奥さん・子供だけでなく、母親や弟といった広い意味での家族全員を包み込もうとしたわけです。

「家族には親も含まれている」という言葉が、内海哲也さんの家族観を物語っています。

母子家庭で育ち、母親が女手ひとつで自分を支えてくれた経験。そのことへの感謝が、この「家族」という刺繍に込められているんですよね。

チームメイトや後輩への影響

内海哲也さんのグローブの「家族」刺繍は、チームメイトやファンにも広く知られるエピソードになりました。

プロ野球選手がグローブに刺繍を入れること自体は珍しくありませんが、「家族」という普遍的な言葉を選んだセンスには、多くの人が共感したのではないでしょうか。

愛称「テツ」の名で親しまれた内海哲也さんは、常にポジティブで人の気持ちに寄り添える性格として知られており、チームメイトからの人望も絶大でした。

巨人時代のチームメイト・坂本勇人さんは「もし自分が女性だったら、内海さんと付き合いたい」と公言するほど、内海哲也さんの人柄を称えていました。

先輩投手たちが去っていく中で、内海哲也さんが投手陣のフラットな文化を作り上げたことも、その人柄の表れです。

後輩たちをあだ名で呼び、練習も一緒にこなし、入団したばかりの選手にも分け隔てなく接してきた。そんな内海哲也さんの姿勢は、「家族を守る」という信念とも一致しているような気がします。

グローブの「家族」という刺繍には、奥さんや子供たちへの思いだけでなく、野球を通じて出会ったすべての仲間への感謝も込められていたのかもしれませんね。

引退式で奥さんと子供への感謝スピーチ

2022年9月19日、内海哲也さんはベルーナドームでの楽天23回戦に先発登板し、1人の打者だけを打ち取ってマウンドを降りました。

これが現役最後の登板となり、引退セレモニーでは奥さん・聡子さんと4人の子供たちから直筆の手紙が贈られました。

引退を決断した内海哲也さんのコメント

2022年8月16日に引退発表をした内海哲也さんは「やりきりました」という言葉でプロ生活を締めくくりました。

2018年のオフにFAの人的補償として巨人から西武ライオンズに移籍してから4年。

移籍1年目はケガのリハビリで1軍登板ゼロという悔しいシーズンを経験し、それでも2020年に移籍後初勝利、2021年には135勝目を挙げるなど、最後まで現役にこだわり続けました。

「プロ野球というクールな野球の世界の一番上に触れたこと、その時代を過ごせたことに感謝です。みなさんのおかげでプロ野球17年間、一度もプレーをやめることができました。ありがとうございます」という感謝の言葉は、多くのファンの胸に響いたことでしょう。

子供たちからの直筆手紙と感謝の言葉

引退セレモニーでのハイライトとなったのが、奥さん・聡子さんと4人の子供たち(旺太・爽太・瑛太・琴菜)から寄せられた直筆の感謝の手紙です。

家族を何より大切にし、試合中も「家族」という刺繍入りのグローブを使い続けてきた内海哲也さん。

その引退セレモニーで「パパありがとう」というメッセージが家族から贈られたことは、内海哲也さんが家族に与えてきた愛情そのものが返ってきたように感じられました。

2007年の結婚から約15年。試合での緊張感や、遠征先での孤独、ケガによる苦しみ。そのすべてを支えてくれた奥さん・聡子さんへの感謝は、言葉では語り尽くせないものがあったはずです。

多くのファンが詰めかけた球場で家族への感謝が溢れた引退セレモニーは、内海哲也さんの野球人生を象徴する場面でした。

内海哲也の奥さんと家族の自宅と日常

内海哲也さんと奥さん・聡子さんが暮らす自宅について、いくつかの情報が伝えられています。

ここでは、家族の自宅事情と日常生活のエピソードを紹介します。

神奈川県川崎市付近の自宅

内海哲也さんは巨人時代から長く読売ジャイアンツ球場(神奈川県川崎市多摩区)の近くに自宅を構えていたとされています。

読売ジャイアンツ球場の最寄り駅は京王よみうりランド駅で、川崎市多摩区に位置するエリアです。

2018年に西武ライオンズへ移籍した後も、子供たちの学校の関係から家族は元の自宅に残り、内海哲也さんが単身赴任していた可能性が高いとされています。

子供4人が学校に通う状況では、簡単に引っ越しというわけにもいきませんし、奥さん・聡子さんが4人の子供を連れて生活を維持し続けたことは、本当に頭が下がります。

冷蔵庫3台と大家族の暮らし

内海哲也さんの自宅では、大型冷蔵庫が3台もフル稼働しているというエピソードが広く知られています。

育ち盛りの子供が4人もいれば、食材の消費量は一般家庭の比ではありません。

プロ野球選手の年俸から換算すると、食費も相当なものになりそうですが、内海哲也さんにとっては「みんなが元気に食べてくれること」が何より嬉しかったのではないでしょうか。

遠征中のエピソードと奥さんの強さ

2016年頃のインタビューで伝えられたあるエピソードがあります。

遠征中の内海哲也さんが奥さん・聡子さんに連絡したところ、「寂しくない。4人の子供たちがいるから」とさらっと言われたとのこと。

内海哲也さんは「俺を思って1人で待ってくれているのかと思っていたら、子供たちと楽しくやっている。俺のほうが孤独だ(笑)」と冗談ぽく語ったそうです。

聡子さんの強さとたくましさが伝わってくるエピソードですよね。

その時の自宅ではバーベキューが開かれており、奥さんが子供たちと賑やかな時間を過ごしていたそうで、家庭内が温かく安定しているからこそ内海哲也さんも安心してプレーに集中できていたんだなと思います。

内海哲也の奥さんも支えた野球人生と現在

  • 内海哲也のプロフィールと生い立ち
  • 祖父・内海五十雄と背番号26の物語
  • 読売ジャイアンツでの活躍と主な実績
  • 1500個のランドセル寄付と人物像
  • 内海哲也の現在|コーチとして古巣・巨人復帰

内海哲也のプロフィールと生い立ち

 

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内海哲也さんのプロフィールをまとめて紹介します。

下記の表は、内海哲也さんの基本情報を整理したものです。

項目 内容
本名 内海哲也(うつみてつや)
生年月日 1982年4月29日
2026年03月22日現在の年齢 43歳
出身地 京都府城陽市
身長・体重 186cm・92kg
投球打席 左投左打
ポジション 投手
出身校 敦賀気比高等学校(福井県)
社会人 東京ガス
プロ入り 2003年 自由獲得枠
現役チーム 読売ジャイアンツ (2004-2018)、埼玉西武ライオンズ (2019-2022)
コーチ歴 埼玉西武ライオンズ (2022-2023)、読売ジャイアンツ (2024-)

母子家庭で育った生い立ち

内海哲也さんは京都府城陽市の出身で、母子家庭で育ちました

母親が女手ひとつで内海哲也さんと弟2人を育てたという背景があり、それが内海哲也さんの「家族を守る」という強い意識の根源になっていたとみられています。

プロ入り後は毎年、年俸の半分に及ぶこともあるほどの仕送りを欠かさなかったと伝えられており、入団時の契約金で京都に2階建て5LDKの一軒家を母親へプレゼントしています。

「ボクは一家の大黒柱だし、母と弟2人を養っていかなきゃならない。ずっと野球を続けてこれたのも、女手ひとつで育ててくれたおかんのおかげですからね」という言葉は、内海哲也さんの人間性をよく表しています。

ちなみに、現在は母親と弟が京都府京田辺市でお好み焼き店「内海」を営んでいることが知られており、ファンの間では聖地のような場所になっています。

敦賀気比高校から東京ガスへ

野球強豪校・敦賀気比高等学校(福井県)では「北陸のドクターK」と呼ばれ、1試合平均14個を超える奪三振率を誇った内海哲也さん。

2000年のドラフト会議ではオリックス・ブルーウェーブに1位指名されましたが、これを断って社会人野球の東京ガスへ進みます。

その理由は後述する祖父・内海五十雄さんへの思いから、「プロに挑戦するなら巨人で」という強い意志があったからです。

東京ガス時代は社会人野球のエースとして活躍し、念願の読売ジャイアンツ入団へとつながっていきました。

祖父・内海五十雄と背番号26の物語

内海哲也さんの野球人生を語る上で欠かせないのが、祖父・内海五十雄(うつみいそお)さんの存在です。

内海哲也さんの祖父は、1938年・39年の2年間、読売ジャイアンツ(当時は東京巨人軍)に在籍した元プロ野球選手でした。

元巨人軍の祖父が孫に伝えた血筋

祖父・内海五十雄さんの現役時代は通算20試合の出場にとどまりましたが、当時は戦前という特別な時代背景があり、プロ野球そのものがまだ黎明期でした。

その祖父が巨人軍の選手だったという事実は、孫の内海哲也さんに「プロ野球に進むなら絶対に巨人で」という強い思いを育てたのです。

オリックスの1位指名という大きなチャンスを断り、社会人野球を経由してでも巨人に入ることを選んだのも、その信念の表れでした。

自分の信念を貫くために目先の好条件を断れる強さは、内海哲也さんの人間としての大きさを象徴していますよね。

背番号26を継承した誓い

2003年のドラフト自由獲得枠で読売ジャイアンツへの入団が決まった内海哲也さんに与えられた背番号は、奇しくも祖父・内海五十雄さんと同じ「26」でした。

本人はその事実を「言われるまで知らなかった」そうですが、知った瞬間の喜びは計り知れないものがあったでしょう。

「巨人の背番号『26』は、ぼくのおじいちゃんから始まったんですよ。そして孫のぼくが『26』を永久欠番にする。内海ではじまり内海で終わらせたいんです」と宣言した入団時の言葉は、今も語り継がれています。

背番号「26」を背負って活躍し続けた内海哲也さんは、2018年に西武ライオンズへ移籍後は背番号「27」に変わりましたが、背番号「26」を纏った巨人時代の姿こそ、多くのファンが思い浮かべる内海哲也さんの姿でしょう。

祖父から孫へと受け継がれた巨人への思い。これが内海哲也さんの野球人生の根幹にあったわけですね。

読売ジャイアンツでの活躍と主な実績

読売ジャイアンツで2004年から2018年の15シーズンを過ごした内海哲也さんは、巨人のエースとして数々のタイトルと記録を打ち立てました。

下記の表は、内海哲也さんの通算成績と主要タイトルをまとめたものです。

項目 記録
通算登板 335試合
通算成績 135勝104敗
通算投球回 2007.0回(史上92人目)
通算奪三振 1519(史上56人目)
通算防御率 3.24
最多勝 2回(2011年・2012年)
最多奪三振 1回(2007年)
日本シリーズMVP 1回(2012年)
ベストナイン 1回(2012年)
WBC優勝 2009年

最高の年・2011年と2012年

内海哲也さんのキャリアハイは2011年・2012年の2年間です。

2011年は18勝5敗・防御率1.70という圧倒的な成績で最多勝タイトルを獲得。

2012年は15勝6敗・防御率1.98で2年連続最多勝を達成し、日本シリーズMVP・セ・パ交流戦MVP・最優秀投手など主要タイトルを総なめにしました。

この2年連続最多勝はセ・リーグの長い歴史においても並ぶ者の少ない記録であり、内海哲也さんがこの時期に完全にジャイアンツのエースだったことがわかります。

スリークォーターから繰り出す多彩な球種

内海哲也さんの武器は、スリークォーターから投げる平均球速約139km/hのストレートに加え、ツーシーム・スライダー・縦のカーブ・スクリュー・カットボールなど多彩な変化球でした。

「スクリュー」という球種への強いこだわりも有名で、「チェンジアップという言葉は絶滅しつつある。ぼくはスクリューでいきたい」と語っていたほどです。

クイックモーションは平均1.1秒台を誇り、左投手ということもあって牽制も非常に上手く、走者を出しても動じないピッチングで多くのファンを魅了しました。

さらに2013年にはWBC日本代表として活躍し、2009年に続いての優勝メンバーとしても名前を刻んでいます。

1500個のランドセル寄付と人物像

内海哲也さんの人柄を語る上で欠かせないのが、長年続けてきたランドセルの寄付活動です。

この活動は、内海哲也さんの「家族を守る」という信念の延長線上にある、社会への貢献でもありました。

2008年からはじまったランドセル寄付

内海哲也さんは2008年から毎年、奪三振数と同じ個数のランドセルを施設の子供たちへ寄付するという活動を続けてきました。

2013年からは寄付する個数を「投球回数分」に変更し、活動規模をさらに拡大。

また2014年からは東日本大震災の被災地にある児童養護施設への支援も加わり、野球の活動と並行して精力的に取り組んできました。

2022年の引退時点で累計1500個以上のランドセルを寄付しており、その数は今なお語り継がれています。

この活動が評価され、2016年にはゴールデンスピリット賞を受賞しました。

母子家庭出身だからこそ生まれた行動力

内海哲也さん自身が母子家庭で育ったという背景は、この活動の原点でもあるかもしれません。

施設の子供たちにとって新品のランドセルがどれほど嬉しいものか、その気持ちに寄り添えたのも、苦労を知っているからこそではないでしょうか。

チームメイトから「内海さんはあれだけ実績を残しているのに、誰にでも、いつでも態度が変わらない」と評されるほどの人柄は、地に足のついた優しさの表れです。

巨人の後輩・今村信貴さんは「自分もああいう人になりたいと思った」と語るほど、内海哲也さんは後輩から慕われ続けていました。

奥さん・聡子さんとの家庭生活でも、その人柄は変わらなかったはずです。良い父親であり、良い夫であり、良い先輩であり続けた内海哲也さんは、野球界で一際輝く存在だったと言えるでしょう。

内海哲也の現在|コーチとして古巣・巨人復帰

2022年8月16日に現役引退を表明した内海哲也さんは、コーチとして新たな野球人生をスタートさせています。

ここでは、引退後の内海哲也さんの現在について紹介します。

西武ライオンズでのコーチ生活(2022-2023)

現役引退と同時に、埼玉西武ライオンズの投手コーチ(選手兼任コーチ)として活動した内海哲也さん。

2021年シーズンにはすでに選手兼任コーチとして後進の指導にあたっており、「経験とスキルをチームに還元してほしい」という球団の期待に応えていました。

2022年のシーズン限りで西武ライオンズを退団し、翌2023年も西武のコーチとして在籍後、2024年から大きな転機を迎えます。

念願の古巣・読売ジャイアンツへのコーチ復帰

2024年から、内海哲也さんは読売ジャイアンツの一軍投手コーチとして復帰しています。

阿部慎之助監督体制が始まった2024年チームに加わり、背番号77をつけてリリーフ陣の立て直しに貢献しました。

祖父・内海五十雄さんと同じ球団に、今度は指導者として戻ってきたことには、深い縁を感じずにはいられません。

選手として長く輝き続けた内海哲也さんが、今度はコーチとして若い投手たちを育て上げていく姿に、ファンの期待も高まっているところです。

奥さん・聡子さんや子供たちも、内海哲也さんのコーチとしての活躍を見守りながら、家族ともに新たな章を歩んでいるものと思われます。

引退後もなお「内海哲也」という名前がプロ野球に刻まれ続けていることは、17年間の現役生活と家族の支えがあってこそだと感じます。

内海哲也の奥さんと家族の総まとめポイント

  • 内海哲也さんの奥さんは内海聡子さん(旧姓・横井)、元歯科助手の一般女性
  • 出会いは知人の紹介で、内海哲也さんが一目惚れをして猛アピール
  • 2007年5月に入籍、いわゆるできちゃった婚と言われている
  • 入籍当時、内海哲也さんは25歳でプロ入り4年目のシーズン中だった
  • 子供は3男1女の計4人:長男・旺太、次男・爽太、三男・瑛太、長女・琴菜
  • 長女・琴菜ちゃん2013年12月誕生、待望の女の子に内海哲也さんが喜びを爆発させた
  • グローブに「家族」と刺繍、「家族を守る・支えてもらいたい」という両方の意味が込められている
  • 自宅は神奈川県川崎市多摩区付近で大型冷蔵庫3台がフル稼働する大家族暮らし
  • 2022年9月19日の引退セレモニーで奥さんと4人の子供から直筆の手紙が贈られた
  • 祖父は内海五十雄(うつみいそお)、1938〜39年に読売ジャイアンツに在籍した元選手
  • オリックスの1位指名を断り東京ガスへ、2003年の自由獲得枠で巨人入団を果たした
  • 入団背番号「26」は祖父と同じで「巨人の26は内海ではじまり内海で終わらせたい」と宣言した
  • 通算135勝・1519奪三振・2007投球回、2012年には日本シリーズMVPを受賞
  • 2008年から1500個以上のランドセルを施設の子供たちへ寄付し、2016年にゴールデンスピリット賞受賞
  • 現在は読売ジャイアンツの一軍投手コーチ(背番号77)として古巣復帰を果たしている

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