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坂井丞さんの結婚について、お相手がどんな方なのかを知りたいと感じている方はとても多いです。
3度のオリンピックに出場した飛込のトップ選手だけに、家庭の様子は気になりますよね。
結論から言うと、坂井丞さんは2015年に結婚しており、妻は坂井由貴さんです。
お二人は日本体育大学の飛込部で先輩と後輩という間柄からスタートしています。
現在は長男と次男、長女を育てる3児の父で、妻は後援会の事務局長としても夫を支えています。
この記事では、馴れ初めから子育ての様子までを公開情報だけをもとに整理していきます。
記事のポイント
①:結婚は2015年で妻は坂井由貴
②:馴れ初めは日体大の先輩後輩
③:長男・次男・長女の3児の父
④:妻は後援会の事務局長を務める
坂井丞の結婚相手は誰か|妻・由貴の人物像
- 結婚は2015年|妻・坂井由貴
- 馴れ初めは日体大の先輩と後輩
- 妻・坂井由貴の経歴と人物像
- 食事で支えるアスリートの妻
- 後援会事務局長としての支え
- 妻が語る素顔|繊細で朝が弱い
結婚は2015年|妻・坂井由貴
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まず、いちばん気になる結婚そのものからお伝えしますね。
坂井丞さんの結婚時期とお相手については、オリンピック公式サイトと相模原市スポーツ協会の公開インタビューで確認できます。
ここでは公表されている情報だけを土台にして、あなたが知りたい部分を順番に整理していきます。
結婚した年はミキハウス入りと同じ2015年
結論から言うと、坂井丞さんが結婚したのは2015年です。
オリンピック公式サイトのアスリート紹介記事には、2015年からミキハウスに所属し、一回り年上の寺内健さんという最高のパートナーを得たと書かれています。
そのすぐあとに「私生活でも同年に結婚し、現在は3児のパパとして奮闘している」と続いているんです。
つまり所属先がミキハウスに決まった年と入籍した年がぴったり重なっているわけですね。
競技環境が整った年に家庭も築いたという流れは、選手としての転機と私生活の転機が同時に訪れたことを意味します。
2015年は日本選手権水泳競技大会の飛込国際大会派遣選手選考会で優勝した年でもあり、翌年のリオデジャネイロ五輪につながる助走の年でした。
この年に家庭を持ったことが、その後の3大会連続五輪出場を支える土台になっていったと考えると納得感がありますよね。
妻の名前は坂井由貴|相模原市で暮らす
妻の名前は坂井由貴さんです。
公益財団法人相模原市スポーツ協会が発行するインタビュー企画「スポーツささえびと」のVol.71に、奥さまとして実名で登場しています。
この企画はスポーツを支える人にスポットを当てるコーナーで、由貴さんは坂井丞さんを支える立場として取材を受けました。
記事のなかでは長男・次男・長女の3人を育てる母親として紹介されています。
取材者は「インタビューは初めて受けるとのことで、最初は緊張気味でしたが、とても謙虚で素敵な方でした」と感想を添えていました。
一般の方なので細かな個人情報の追跡は控えますが、市のスポーツ協会という公的な媒体に本人が登場している点は、情報の確度としてかなり高いですよ。
坂井丞のプロフィールを表で確認
下記の表は坂井丞さんの基本情報をまとめたものです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 坂井丞(さかい・しょう) |
| 生年月日 | 1992年8月22日 |
| 2026年09月24日現在の年齢 | 34歳 |
| 出身地 | 神奈川県相模原市 |
| 身長/体重 | 171センチ/58キロ |
| 種目 | 3メートル板飛込/シンクロ板飛込 |
| 所属 | ミキハウス |
| 出身校 | 谷口台小→大野南中→麻布大学附属渕野辺高→日本体育大学→日体大大学院 |
| 五輪出場 | リオ・東京・パリの3大会連続 |
相模原市の「ホームタウンアスリート」にも認定されていて、市の広報番組「ぞっこん!相模原」でも水泳3選手のひとりとして紹介されました。
ホームタウンアスリートは、国内外でトップレベルの活躍が期待できる市にゆかりのある選手を市が認定して支援する制度です。
結婚に関する情報を整理した一覧
以下の表で結婚まわりの情報を整理してみます。
| 項目 | 公開されている内容 |
|---|---|
| 結婚した年 | 2015年 |
| 妻の名前 | 坂井由貴さん |
| 出会った場所 | 日本体育大学の飛込部 |
| 二人の関係 | 坂井丞が先輩・由貴が後輩 |
| 子供 | 長男・次男・長女の3人 |
| 妻の資格 | アスリートフードマイスター3級 |
| 妻の役職 | 坂井丞後援会の事務局長 |
| 暮らしている地域 | 神奈川県相模原市緑区 |
こうして並べてみると、結婚に関する基本的な疑問はほぼ解消できたのではないでしょうか。
馴れ初めは日体大の先輩と後輩
では、お二人はどこでどうやって出会ったのでしょうか。
由貴さんはインタビューで「大学が同じで部活の先輩・後輩でした」と、出会いのきっかけをはっきり語っています。
ここでは馴れ初めの流れを、信頼できる発言をもとにあなたが納得できる形で整理しますね。
出会いの舞台は日本体育大学の飛込部
二人が出会った場所は日本体育大学の飛込部です。
坂井丞さんは麻布大学附属渕野辺高校から日体大へ進み、その後は日体大大学院にも在籍しました。
高校時代にすでに全国高等学校総合体育大会で板飛込と高飛込の2冠を3年連続で達成しており、大学入学前から名前の知られた存在でした。
由貴さんが同じ部に入ってきたことで、二人は先輩と後輩として同じプールサイドで日々を過ごすようになります。
飛込は競技人口が決して多い種目ではないため、同じ大学の同じ種目で過ごす時間はかなり密度の濃いものになりますよね。
練習だけでなく合宿や大会の移動も一緒になるので、自然と距離が近づいていったことは想像しやすいところです。
由貴が日体大を選んだ理由は教育学部の新設
由貴さんが日体大を選んだ理由は、スポーツ推薦のような形ではありませんでした。
本人は「新しく教育学部ができたので、教育部門の勉強がしたいと思った」と入学の動機を語っています。
もうひとつの理由が大学から飛込を始めたいという希望で、その二つが重なって日体大を志望したそうです。
高校までは競泳に取り組んでいたので、水に関わる競技という土台はすでにありました。
学びたい学問と挑戦したい競技の両方で大学を選んだという話は、そのまま真面目な人柄を映し出しています。
この選択がなければ坂井丞さんとの出会いもなかったわけで、進路の決断が人生を大きく動かした形ですね。
由貴から見た坂井丞は憧れの先輩だった
出会った当時の坂井丞さんは、由貴さんにとって完全に「上の世界」の人でした。
本人は「当時から世界で活躍していた夫はレベルが違うというか、憧れの存在で、尊敬する先輩でした」と振り返っています。
実際に坂井丞さんは高校2年次の2009年から世界選手権に4大会連続で代表入りしており、学生時代から国際舞台の常連でした。
2013年のバルセロナ世界選手権では3メートル板飛込で8位に入っています。
大学から飛込を始めた後輩の目に、その姿がどれだけ大きく映ったかは説明するまでもありません。
憧れから始まった関係が、のちに生活を共にする関係へ変わっていったという流れは、読み物としてもぐっときますよね。
両親も日体大の同級生同士という共通点
ここで見逃せないのが、坂井家の背景にあるもうひとつの物語です。
父親の弘靖さんと母親の由美子さんは日本体育大学の同級生で、ともに飛込競技に打ち込んでいたという経歴を持ちます。
弘靖さんは1984年のロサンゼルス五輪出場を目指して代表選考会にも出場し、夢は叶わず20代半ばで現役を引退しました。
その後は神奈川ダイビングクラブのコーチとして活動し、先にコーチを務めていた由美子さんと結ばれています。
坂井丞さんには1つ上の姉・由稀那さんと3つ下の妹・莉那さんがいて、姉妹もそろって飛込の選手として実績を残しました。
親子ともに同じ大学・同じ競技のなかで伴侶と出会っているわけで、これは偶然というより飛込一家の必然に近いものを感じます。
出会いから結婚までの流れを時系列で整理
下記の表は出会いから現在までの流れをまとめたものです。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 高校まで | 由貴が競泳選手として活動 |
| 2011年ごろ | 坂井丞が日本体育大学へ進学 |
| 大学入学後 | 由貴が飛込へ転向し同じ部へ |
| 2013年 | バルセロナ世界選手権で8位入賞 |
| 2015年 | 結婚・ミキハウス所属 |
| 2016年2月 | リオ五輪出場決定と長男誕生 |
| 2024年4月 | 後援会が発足し由貴が事務局長へ |
馴れ初めの輪郭が少しイメージしやすくなれば嬉しいです。
妻・坂井由貴の経歴と人物像
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お相手の人物像についても、公開インタビューからかなり具体的に見えてきます。
ここでは妻・由貴さんの経歴と素顔について、本人の言葉を中心に整理していきます。
相手を知ることで、坂井丞さんの競技生活がどう支えられているのかも見えてきますよ。
競泳から飛込へ転向した学生時代
由貴さんの水泳歴は、まず競泳からスタートしています。
本人は「高校までは競泳をやっていたのですが、大学から飛込みを始めた」と経歴を説明しています。
大学から新しい種目に挑戦するというのは、実はかなり勇気のいる決断です。
飛込は3メートルの高さから飛び込んで宙返りやひねりの演技を競う種目で、恐怖心との戦いが避けられません。
3メートルという高さはバスケットゴールとほぼ同じで、飛ぶだけでも怖いですし、失敗したときの水面の痛みもあります。
その世界に大学から飛び込んだ由貴さんは、競技の難しさを身体で理解している立場でもあるわけです。
だからこそ夫の演技や苦しさに対して、表面的ではない共感ができるのだと思いますよ。
教育学部で学んだ経験が子育てにも生きる
由貴さんが日体大で選んだのは、当時新設された教育学部でした。
「教育部門の勉強がしたいと思った」という動機で入学しているので、学びたいことが先にあったタイプですね。
現在は長男・次男・長女という3人の子育てを担っていて、学んだ知識が生活の中心にあります。
夫は年間を通して合宿や大会で家にいないことが多く、家庭の運営は由貴さんが軸になってきました。
本人も「子育ては大変でした」と率直に語っていて、悩みが出てきても合宿中の夫には相談できない辛さがあったそうです。
そんな時期を支えたのが実家の母で、由貴さんは頼りながら子育てをしてきたと明かしています。
妻・坂井由貴のプロフィール一覧
以下の表で由貴さんについて分かっている情報を整理してみます。
| 項目 | 公開されている内容 |
|---|---|
| 名前 | 坂井由貴さん |
| 坂井丞との関係 | 妻・日本体育大学の後輩 |
| 出身大学 | 日本体育大学(教育学部) |
| 競技歴 | 高校まで競泳・大学から飛込 |
| 保有資格 | アスリートフードマイスター3級 |
| 役職 | 坂井丞後援会 事務局長 |
| 子供 | 長男・次男・長女の3人 |
| 生年月日・年齢 | 非公表 |
一般の方なので生年月日は公表されていませんが、坂井丞さんの後輩という関係から年下であることは分かります。
インタビューで見えた率直で謙虚な素顔
インタビューを読むと、由貴さんの人柄がかなりストレートに伝わってきます。
夫の食へのこだわりについては「他のアスリートの奥様等に聞く話と比べるとそんなにこだわりがあるわけではないので、楽させてもらってます」と笑って話していました。
自分自身については「話すこととかあんまり得意じゃない」と語っていて、飾らない人だなという印象を受けます。
夫婦の会話では「私が結構ズバズバ言われることが多い」と明かしていて、遠慮のない関係が築けていることも分かります。
取材者からも「とても謙虚で素敵な方でした」「ご家族とても仲が良く、色々なお話を伺えました」と評価されていました。
インタビュー時には子供たちも隣にいたそうで、元気で人懐っこい3人兄妹の様子も伝えられています。
食事で支えるアスリートの妻
アスリートの妻として最も力を注いできたのが、食事面のサポートです。
由貴さんは「食事面のサポートが多いかなと思います」と、自身の役割をはっきり語っています。
ここでは家庭でどんな工夫がされているのか、具体的な内容まで踏み込んで見ていきますね。
合宿明けの食事で足りない栄養を補う
坂井丞さんは大会や練習で合宿を行うことが多く、その期間はどうしても外食が増えます。
由貴さんによると合宿中は栄養が偏りやすく、朝ご飯は気持ち悪くなって食べていないこともあるそうです。
そこで帰宅したタイミングを狙って、野菜など摂れていなさそうな食材を使った料理を作っています。
不足している部分をピンポイントで埋めるという発想なので、かなり実戦的なサポートですよね。
合宿は年間を通して組まれているため、この「帰ってきたら栄養を戻す」という作業が何年も続いてきました。
家にいる期間が限られているからこそ、その短い時間で身体を整える意味は大きくなります。
アスリートフードマイスター3級の知識を活用
由貴さんはアスリートフードマイスター3級の資格を持っています。
本人は「3級ですけど持っているので、疲れている時はこういうのを摂取させようとか、勉強しながら作ってます」と話していました。
資格を取って終わりではなく、勉強を続けながら日々の献立に反映させているところがポイントです。
「家にいる時は少しでも疲れがとれるように意識して食事は作ってます」という言葉には、栄養学に基づいた狙いがあります。
疲労の抜けやすさは翌日の練習の質に直結するので、こうした積み上げが競技成績を静かに支えているわけですね。
飛込は体重管理もシビアな競技で、171センチで58キロという身体を維持する必要があります。
大会期間中は生ものを避けるという鉄則
食事サポートには、競技特有のルールも組み込まれています。
由貴さんは工夫のひとつとして「大会期間中は生ものを避ける」という点を挙げていました。
食中毒や体調不良は一発で勝負を台無しにするので、リスクを事前に取り除いておく判断です。
海外での試合では2週間から3週間前に現地へ調整に行くこともあり、環境の変化も重なります。
坂井丞さんは身体が繊細で、オクラを食べるとお腹を下してしまうというエピソードも明かされています。
そうした体質を把握しているからこそ、避けるべき食材の線引きができるのだと思いますよ。
糖分補給はミルクティーで1日2〜3本
食生活の話で最もインパクトがあるのが、ミルクティーのエピソードです。
坂井丞さんはお菓子などの甘いものを食べないようにしている一方で、糖分はミルクティーで摂取しており1日2〜3本を飲むそうです。
しかも購入するメーカーは決まっていて、1か月に2箱ほど買ってストックしているというこだわりぶりです。
由貴さんは「朝起きてすぐ飲んだりとかするんです」「ホントに好きなんだなーと思います」と笑いながら話していました。
旦那さまにやめてほしいことを聞かれた際にも「ミルクティー飲みすぎなところ」と即答しています。
ただ「ミルクティーのおかげで今のパフォーマンスができてるかもしれないので、止められない」とも語っていて、この線引きが夫婦の距離感をよく表していますよね。
食事サポートの内容を表で整理
下記の表は食事面のサポート内容をまとめたものです。
| 場面 | サポート内容 | 狙い |
|---|---|---|
| 合宿明け | 野菜中心の料理を用意 | 偏った栄養を補う |
| 疲労時 | 資格の知識で食材を選ぶ | 回復を早める |
| 大会期間中 | 生ものを避ける | 体調不良のリスク回避 |
| 日常 | 甘い菓子は控える | 体重と体調の管理 |
| 糖分補給 | ミルクティーは容認 | パフォーマンス維持 |
家庭の食卓が競技生活の一部になっているのが、よく分かる内容ですよね。
後援会事務局長としての支え
由貴さんの支えは家庭の中だけにとどまりません。
競技面のサポートについて聞かれた際、後援会の運営という具体的な活動を挙げています。
ここでは組織としての応援体制がどう作られたのかを整理していきますね。
2024年4月に坂井丞後援会が発足
大きな動きがあったのは2024年です。
由貴さんは2024年4月に夫の後援会を発足させ、自身は事務局長を務めていると明かしています。
会長には坂井丞さんを応援している企業の社長が就任しました。
選手個人の後援会を家族が中心になって立ち上げるのは、それなりの覚悟が必要な決断です。
飛込は競技人口も露出も限られるため、応援したい人と選手をつなぐ窓口がないと支援が形になりません。
その窓口を家族自ら作ったという点に、競技への理解の深さが表れていますよね。
事務局長としての具体的な役割
事務局長としての仕事は、地道な実務の積み上げです。
由貴さんは後援会のホームページを立ち上げて夫の活動を紹介し、支援者の募集活動を行っていると語っています。
本人は「今年度発足したばかりなので、まだ特に動けてはいない」と控えめに話していました。
ただ情報発信の基盤を整えることは、長期的に見れば最も効果の大きい作業です。
選手は練習と大会で年間の大半を使うため、対外的な発信を本人が担うのは現実的に難しいところがあります。
その役割を妻が引き受けることで、競技に集中できる環境が生まれているわけですね。
パリ五輪に持参した寄せ書きの横断幕
後援会の活動で象徴的だったのが、パリ五輪でのエピソードです。
由貴さんによると会員の皆様から横断幕に寄せ書きをしてもらい、それをパリまで持っていったそうです。
発足からわずか数か月というタイミングで、五輪という最大の舞台に応援の形を届けた流れになります。
会員一人ひとりの言葉が書き込まれた横断幕は、選手にとって精神的な支えになりますよね。
坂井丞さんは3大会連続の五輪出場でしたが、パリの出場権獲得は決まるまでかなりギリギリでした。
プレッシャーの大きいシーズンを戦い抜いた先に、地元の応援が形になって届いたわけです。
飛込の普及を目指す夫婦の共通目標
後援会の活動の先には、夫婦で共有している目標があります。
由貴さんは今後について「飛込を知ってもらう活動や、相模原市にオリンピック選手がいるっていうのを市民の皆様にもっと知ってもらうための活動をしたい」と語っています。
これは相模原市出身として地域に根ざした活動を行いたいという坂井丞さんの想いを形にするためだと説明されていました。
夫の願いを妻が実務に落とし込むという役割分担が、はっきり成立している形ですね。
支援を受けながら競技を続け、その競技の価値を地域に返していくという循環を作ろうとしています。
単なる応援ではなく事業に近い発想で動いているところが、この後援会の特徴だと感じますよ。
坂井丞さんは幼児のころに浮輪を着けて試合に初出場しており、選手歴はすでに30年に達しています。
これだけ長く第一線にいる選手でも、飛込という種目では支援の輪づくりを自力で進める必要があるのが実情なんですよね。
妻が語る素顔|繊細で朝が弱い
ここ、かなり気になるところですよね。
インタビューでは、妻から見た坂井丞さんの性格についても詳しく語られています。
公の場では見えにくい素顔を、本人の言葉から拾って整理していきます。
「めちゃくちゃ繊細」という妻の評価
性格について聞かれた由貴さんの答えは明確でした。
「めちゃくちゃ繊細だなと思います」という一言から始まっています。
競技面でも坂井丞さんの演技は繊細で感覚がすごいと言われているそうで、そこが性格とも重なっているという分析です。
飛込は水しぶきの少ない入水が高評価につながる競技で、坂井丞さんの持ち味はまさにその技術でした。
しぶきの少ない入水はノースプラッシュと呼ばれ、高い得点に結びつきます。
ミリ単位の感覚を要求される種目で戦ってきた人だからこそ、日常の感覚も鋭いのだと思いますよ。
身体も繊細でオクラでお腹を下す
繊細さは性格だけの話ではありません。
由貴さんは「か弱いではないんですけど、身体が繊細ですね」と表現しています。
その具体例として挙げられたのがオクラを食べるとお腹をくだしてしまうという話でした。
笑い話として語られていますが、食材ひとつで体調が左右されるのはアスリートには無視できない要素です。
前述の通り、大会期間中に生ものを避けるという判断も、この体質の延長線上にあります。
家庭で食材の相性まで把握されているというのは、実はかなり手厚いサポートですよね。
朝が弱くて時間の決まった仕事は無理
アスリートでなかったらどんな仕事をしていそうか、という質問も飛んでいます。
由貴さんの答えは「朝がめちゃくちゃ弱いので、時間が決まった仕事はしてなさそう」というものでした。
そのうえで「自分で何か新しいこと始めてやってそうだなって思います」と続けています。
朝が弱いという弱点と、ミルクティーを朝起きてすぐ飲むという習慣が、地味につながっているのも面白いところです。
一方で自分で何かを立ち上げそうという評価は、行動力を認めているからこそ出てくる言葉ですよね。
現役引退後の進路を考えるうえでも、この見立てはなかなか的を射ている気がします。
喧嘩では勝てない|考え方の広さに納得
夫婦喧嘩の話では、坂井丞さんの思考の特徴が浮かび上がります。
由貴さんは「喧嘩したときにこうって言ってもそれを共感しつつ、うまい具合に違うことを言ってくるので、気付いたら夫の言ったとおりになっていますね」と明かしました。
結論は「喧嘩は勝てないかな〜」で、負けを認めたうえで笑っています。
その理由として、色んな方向から物事を見られるので、角度の違う考え方を示されて「確かに」となってしまうと説明していました。
「頭の回転も速いですし」という評価も加えられていて、否定ではなく尊敬に近いトーンです。
「頭でも目でも色んなところを見ていたり、考えたりしているところは、夫婦になってからも尊敬しています」という言葉が、関係性をよく表していますよ。
唯一勝てそうなのは早口言葉だけ
旦那さまにこれだけは勝てると思うことを聞かれた場面も印象的でした。
由貴さんの第一声は「何もないんじゃないかと思います」で、これも笑いながらの回答です。
そのあと「早口言葉を一緒にやったときに弱かったので、それなら勝てるかもしれません」と付け加えていました。
ただし「夫には私の方が滑舌悪いと言われる」とも話していて、結局そこも怪しいという落ちになっています。
夫婦として大切にしていることについては「思っていることは言うようにしよう」と話し合ったことがあるそうです。
暗黙の了解のようにお互いの考えを想像しながら動いているとも語っていて、自然体の関係が伝わってきますよね。
坂井丞の結婚後の生活|3児の子育てと支え
- 3児の父|長男誕生とリオ五輪
- 次男の前髪事件と家族の日常
- じんましんと夫婦で挑んだ闘い
- パリ五輪は妻と長男で現地応援
- 相模原市で暮らす家族の日常
- 引退後に夫婦で描く将来の夢
3児の父|長男誕生とリオ五輪
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2016年2月、坂井丞さんの人生で忘れられない数日間が訪れます。
五輪初出場の決定と長男の誕生が、ほとんど同時に起きたんです。
ここでは家族が増えていった流れを、時系列を押さえながら整理していきますね。
長男はリオ五輪出場が決まった翌日に誕生
思い出のエピソードを聞かれた由貴さんが最初に挙げたのが、長男の誕生でした。
「夫が初めて五輪に出場したリオ五輪の選考会期間中に長男を妊娠しておりまして」と語り始めています。
そしてその選考会で五輪出場が決まり、帰ってきた次の日に長男が生まれたというのです。
坂井丞さんは2016年2月にリオデジャネイロで行われたワールドカップで16位に入り、念願の五輪出場を決めました。
長年の夢が叶った直後に、父親としての人生も始まったことになります。
由貴さんは「お祝いしに出てきてくれたのかなって」と、当時の気持ちを表現していました。
ドラマのような巡り合わせですが、これは実際にあった出来事なんですよね。
誕生直後に合宿へ|実家の母を頼った日々
感動的な流れの直後に待っていたのは、現実的な大変さでした。
由貴さんは「生まれてすぐ五輪に向けた合宿に行ってしまったので、実家の母を頼りながら子育てしていた」と振り返っています。
五輪は出場が決まってからが本当の勝負なので、選手は調整に全てを注ぎ込む必要があります。
結果としてリオデジャネイロ五輪では予選22位で本大会の決勝には届きませんでした。
それでも2012年のロンドン五輪で出場枠を獲得しながら派遣選考基準を突破できなかった過去を思えば、この舞台に立てたこと自体が大きな一歩でした。
当時の絶望から立ち上がるまでの時間を、家庭の存在が支えていたことは間違いなさそうです。
子供は長男・次男・長女の3人
現在の坂井家は長男・次男・長女という3人の子供がいる5人家族です。
オリンピック公式サイトの記事でも「3児のパパとして奮闘している」と紹介されています。
インスタグラムには子供が洗車を手伝う写真が投稿されたこともあり、日常の距離の近さが伝わってきます。
長男は2016年2月の誕生なので、年齢は約10歳ということになります。
次男と長女の生年月日は公表されていないため、この記事では推測での記載は控えますね。
取材時には子供たちも同席していたそうで、元気で人懐っこい3人兄妹だと書かれていました。
坂井家の家族構成を表で整理
下記の表は坂井家の家族構成をまとめたものです。
| 続柄 | 人物 | 備考 |
|---|---|---|
| 本人 | 坂井丞 | ミキハウス所属・飛込選手 |
| 妻 | 坂井由貴さん | 日体大の後輩・後援会事務局長 |
| 長男 | 名前非公表 | 2016年2月ごろ誕生 |
| 次男 | 名前非公表 | サッカーに夢中 |
| 長女 | 名前非公表 | 美容院で髪を切る |
| 父親 | 弘靖さん | 元飛込選手・現コーチ |
| 母親 | 由美子さん | 元飛込選手・現コーチ |
| 姉 | 由稀那さん | 日本選手権出場経験あり |
| 妹 | 莉那さん | 愛媛国体で板飛込3位 |
祖父母の代から飛込に関わる一家なので、子供たちの環境もかなり特別ですよね。
次男の前髪事件と家族の日常
ここからは、もう少し肩の力を抜いた家庭の話をしていきます。
インタビューでは笑ってしまうような日常のエピソードもたくさん語られていました。
読んでいると家族の空気感が伝わってくるので、あなたも親近感が湧くと思いますよ。
前髪を切りすぎて30分泣かせてしまった話
思い出のエピソードとして語られたもうひとつが、次男の前髪事件です。
由貴さんは1月ごろに次男の前髪を切り過ぎてしまい、30分くらい泣かせてしまったと告白しています。
きっかけは「明日までに切りたい」と思ったことで、夫が合宿で帰ってこない時期だったそうです。
「大丈夫だろうと思ってたんですけど、めちゃくちゃ短くしちゃって」と当時の状況を説明していました。
その後は帰ってきた次の日くらいに夫に直してもらったという結末になっています。
失敗をそのまま話せるところが、この夫婦の風通しの良さを表していますよね。
いつも子供の髪を切るのは父親の役割
この話で意外なのは、普段の理容担当が坂井丞さんだという点です。
由貴さんは「いつもは夫が子どもたちの髪の毛をYoutubeとか見ながら切ってくれている」と明かしています。
動画で学びながら子供の髪を切る父親というのは、なかなか手先の器用さが要求される役割です。
繊細な感覚が持ち味の選手ですから、ハサミの仕事にも向いているのかもしれませんね。
ただし例外もあって、由貴さんは「長女だけは美容院に行きます」と付け加えていました。
息子たちは家で、娘は美容院という線引きが、いかにも家庭らしくて微笑ましいところです。
休日は公園で子供とサッカー
オフの過ごし方については、とにかく身体を動かす話が中心になります。
由貴さんは「オフも運動していることが多いですね」「家族みんな運動が好きなので、休みの日は公園に行って子どもたちとサッカーとかして遊んだりしています」と語っています。
現在は息子たちがサッカーに夢中で、家族みんなでサッカーの話ができるのが楽しいそうです。
坂井丞さん自身も小学6年の時にサッカーを習いたいと両親に頼んだ経験があるので、なんとも因果を感じますよね。
合宿で家にいない期間が長いため、子供たちは「パパ!遊んで!」と全力で寄ってくるそうです。
アスリートの妻になってよかったこととして、家族でスポーツに関わっていられる点を挙げていたのも納得です。
試合前はテレビ電話|試合後はお疲れ様会
試合をめぐる家族のルーティンも独特です。
試合前は合宿からそのまま会場に向かうため、家族は顔を合わせられません。
海外での試合では2週間から3週間前に現地へ調整に行くので、長い期間会えないまま本番を迎えます。
そのため試合前にはテレビ電話で言葉を交わすのが定番になっているそうです。
そして会えるのは試合が終わってからで、結果に関わらずみんなでお疲れ様会のようなことをしています。
勝敗で態度を変えないという姿勢が、選手にとってどれだけ心強いかは想像できますよね。
パリ五輪後は家族で伊豆へ|結局水の近く
大きな大会のあとには、ちゃんと休む時間も作られています。
パリ五輪の後は完全にプールに入らないというお休み期間があり、家族で伊豆へ出かけたそうです。
由貴さんは「あ、結局『水』の近くにいますね」と笑いながら話していました。
年間を通して合宿が多い生活のなかで、こうした家族旅行の時間は貴重なリセットになります。
現役の間はオフ期間も短く、1日疲れるようなことはできないという事情もあるようです。
それでも家族で過ごす時間を確保しようとする姿勢が、ずっと変わらないのが印象的ですよ。
じんましんと夫婦で挑んだ闘い
結婚生活を語るうえで避けて通れないのが、原因不明のじんましんです。
この症状は坂井丞さんの競技人生を大きく揺らしてきました。
ここでは発症の経緯と、家庭でどんな対応が取られてきたのかを整理します。
2010年に始まった原因不明のじんましん
華々しいキャリアを歩んでいた2010年、坂井丞さんは体調不良に見舞われます。
症状は入浴や運動で体が温まって発汗すると、体に刺されるような痛みが生じるというものでした。
診断結果はコリン性じんましんで、その後は特発性じんましんと診断されています。
いずれも治療法が確立されていない疾患で、根本的な解決策が存在しません。
さらにドーピング違反になる可能性のある薬物は使用できないため、治療や症状緩和の選択肢も限られてしまいます。
汗をかけないので長時間の練習を避けざるを得ず、不安と焦りに苛まれた時期もあったそうです。
陸上トレーニング中の痛みが最もつらかった
由貴さんは症状について、かなり具体的に説明しています。
「ストレスや寒暖差の大きい時に、身体のいろんな箇所に蕁麻疹が出てしまって、チクチク痛い感じみたいです」という内容です。
水の競技なのでサッカーや野球のように汗を大量にかくことはないものの、問題は陸上トレーニングでした。
「トレーニングはしないと筋力も落ちてしまうし、トレーニングすると汗をかいて痛い」という板挟みの状態です。
由貴さんはその状況を「身体的にも精神的にもしんどかったみたいですね」と表現していました。
汗をかかずに競技を続けることに慣れていくしかなかったという話は、聞いているだけで苦しくなります。
最も重かったのは次男が生まれた時期
症状のピークは、家族が増えるタイミングと重なりました。
由貴さんによると一番ひどかったのは2人目の子供が生まれたときだったそうです。
「病院でも原因が分からなくて、これでもないあれでもないと言われて」という状態が続きました。
最終的には神経の薬を飲むことで、少しずつ良くなっていったと説明されています。
当時は2人の子供がまだ赤ちゃんだったため、由貴さんは育児と夫のケアを同時に抱えることになりました。
「夫を気にかけながら2人の赤ちゃんを見るのは大変でした」という一言に、当時の負荷が詰まっています。
体温を上げないための家庭内の工夫
家庭でのサポートは、発想がかなり具体的でした。
由貴さんが意識したのは、なるべくストレスを溜めさせないことです。
そして子供の体温が高いため、抱っこをすると夫の体温も上がって症状が出てしまうという点に気づきます。
そこで子供に「ごめん、今ちょっとパパの方行かないでねー」と声をかけ、休める時間を作っていました。
子供に説明しながら夫の体調を守るという調整は、言葉で書くより何倍も難しい作業ですよね。
由貴さんは「今みたいに大きくなっちゃえば大丈夫なんですけど」と、笑って振り返れる段階まで来ています。
発想の転換で前を向いた姿勢
この苦境に対する坂井丞さんの向き合い方が、とても印象的です。
本人は練習時間が限られる状況を「限られた時間だからこそ厳選したメニューを、集中してこなせる」と捉え直しました。
制約を強みに変換するこの発想が、その後の東京五輪5位入賞につながっていきます。
下記の表はじんましんに関する経緯をまとめたものです。
| 時期 | 出来事 | 影響 |
|---|---|---|
| 2010年 | 発汗時の痛みを発症 | コリン性じんましんと診断 |
| その後 | 特発性じんましんと診断 | 治療法が確立していない |
| 次男誕生時 | 症状が最も重くなる | 神経の薬で改善へ |
| 現在 | 汗をかかない練習に順応 | 3大会連続で五輪出場 |
難病と向き合いながら結果を残してきた背景に、家庭の支えがあったことは間違いなさそうです。
パリ五輪は妻と長男で現地応援
アスリートの妻になってよかったことを聞かれた由貴さんが、迷わず挙げたのがパリでの体験です。
家族が現地で五輪の舞台を見届けるまでには、いくつもの支えがありました。
ここでは家族にとって特別だった遠征の話を整理していきます。
ミキハウスの支援で実現した渡航
パリ行きが実現したのは、所属先の後押しがあったからです。
由貴さんは所属先のミキハウスが渡航費を出してくれ、自身と長男の2人で応援に行かせてもらったと明かしています。
本人は「それがなかったら行けなかったので感謝の気持ちでいっぱいです」と語っていました。
坂井丞さんは2015年からミキハウスに所属していて、長く支援を受け続けてきた関係になります。
選手本人だけでなく家族の渡航まで支える企業の姿勢は、なかなか珍しいものですよね。
由貴さんも「皆さまには感謝しかないですね」と、繰り返し感謝を口にしていました。
妻にとって初めての海外だったパリ
この遠征は、由貴さんにとって人生初の海外でもありました。
本人は「私自身、海外に行くのが初めてだった」と語っています。
自分の子供と一緒に初めての海外へ行くという体験は、それだけでも忘れられない出来事です。
現地では「いろんな国の方からも話しかけられて、コミュニケーション取ったりして、こんなの味わえないだろうな」と感じたそうです。
言葉の壁を越えて交流が生まれるのは、五輪という舞台の空気があってこそですよね。
夫の競技が家族に見せてくれた世界の広さが、そのまま伝わってくるエピソードです。
生で見たパリ五輪の姿に込み上げたもの
奥さまとして感動したことを聞かれた由貴さんは、はっきり「パリ五輪ですね」と答えています。
その理由として、出場が決まるまでもギリギリでプレッシャーも大きかったシーズンだったことを挙げていました。
加えて子供たちもオリンピックというものを認識してきた中での大会だったため、初出場の時とは違う緊張感があったそうです。
その過程をずっと見てきた立場だからこそ「パリ五輪での姿を生で見たときには、ぐっとくるものがありました」と語っています。
坂井丞さんは2024年5月にパリ五輪のテスト大会を兼ねたフランス・オープンで424.50点をマークし4位に入っていました。
その積み上げの先にあった本番を、家族が現地で見届けられたのは大きな意味がありますよね。
坂井丞の主な戦績を年表で確認
以下の表で坂井丞さんの主な戦績を整理してみます。
| 年 | 大会・種目 | 成績 |
|---|---|---|
| 2009年 | 日本選手権 1メートル板飛込 | 1位 |
| 2010年 | 日本選手権 3メートル板飛込・高飛込 | ともに1位 |
| 2013年 | 世界選手権バルセロナ 3メートル板飛込 | 8位 |
| 2014年 | 仁川アジア大会 3メートル板飛込 | 3位 |
| 2016年 | リオデジャネイロ五輪 | 予選22位 |
| 2018年 | ジャカルタアジア大会 シンクロ板飛込 | 3位 |
| 2019年 | 光州世界水泳 シンクロ板飛込 | 7位 |
| 2020年 | 東京五輪 男子シンクロ板飛込 | 5位 |
| 2024年 | フランス・オープン 板飛込 | 4位(424.50点) |
2019年の光州世界水泳での入賞は、全競技を通じて東京五輪出場内定の第一号という形でも話題になりました。
相模原市で暮らす家族の日常
坂井家の生活の舞台は、坂井丞さんの生まれ故郷でもある相模原市です。
インタビューでは市内での暮らしぶりについても具体的に語られていました。
地元での日常を知ると、この家族の空気感がさらに分かってきますよ。
中央区から緑区へ|住み替えた家族の現在
坂井家は市内で住み替えを経験しています。
由貴さんは「前は中央区に住んでいたので、横山公園やさくら公園に毎日のように行っていました」と話しています。
そして現在は相模原市緑区に暮らしていることが明かされました。
坂井丞さんは1992年8月22日に相模原市で生まれ、谷口台小学校から大野南中学校へと市内で育っています。
生まれ育った街で家庭を築き、子供たちも同じ街で育っているという形ですね。
地元に根を張った暮らしは、後援会の活動方針とも自然につながっています。
よく行く公園を表で整理
下記の表は家族がよく利用してきた公園をまとめたものです。
| 公園名 | 時期 | エピソード |
|---|---|---|
| 横山公園 | 中央区在住時 | 毎日のように通っていた |
| さくら公園 | 中央区在住時 | 子供と過ごす定番の場所 |
| 城山公園 | 緑区在住の現在 | 途中の登り坂がトレーニング |
由貴さんは城山公園について「行く途中に登り坂があるので、歩いて行って、子どもたちのトレーニングにもなっています」と笑って話していました。
公園へ行く道のりまで運動にしてしまうあたり、やはりアスリート一家だなと感じますよね。
子育て目線で見た相模原市の魅力
相模原市の印象を聞かれた由貴さんの答えは、とても実感のこもったものでした。
「住みやすくて、公園が色々なところにあるのがいいなって思います」という評価です。
そのうえで「身体を動かすのが好きな私たちからしたら、ありがたいし、子どもも楽しめる」と続けています。
家族全員が運動好きという前提があるので、公園の多さがそのまま暮らしやすさに直結しているわけです。
子育て目線での評価だと本人も前置きしていましたが、この視点はこれから住む人にも参考になりますよね。
相模原には飛込ができる施設もあるので、競技環境という意味でも恵まれた土地です。
ホームタウンアスリートとしての立場
坂井丞さんは相模原市の「ホームタウンアスリート」に認定されています。
この制度は、国内外でトップレベルの活躍が期待できる市にゆかりのある選手を市が認定し、活躍を発信するなどの支援を行うものです。
市の広報番組では、水泳3選手のひとりとして取り上げられました。
由貴さんが受けた「スポーツささえびと」の取材も、ホームタウンアスリートを支える家族としての立場で実現したものです。
地域が選手を支え、選手と家族が地域に還元していくという関係が成立しています。
結婚相手の情報が公的な媒体から確認できるのも、この立場があってこそですよね。
坂井丞さんは幼いころ、全国各地の大会に指導者として同行する両親についていくことが夏休みの家族旅行でした。
プールサイドが遊び場だった少年が、今は自分の子供を市内の公園に連れて行く父親になっているわけです。
家族の風景が一世代でこう変わっていくのを見ると、地元で暮らし続ける意味の大きさが伝わってきますよ。
引退後に夫婦で描く将来の夢
最後に、この夫婦が見ている先の話をしておきます。
現役引退後にやりたいことについて、由貴さんは具体的な夢を語っていました。
ここを読むと、二人の関係性がどこへ向かっているのかが見えてきますよ。
引退後の夢は夫婦で富士山に登ること
現役を引退したらどんなことをしたいか聞かれた由貴さんの答えは意外なものでした。
「引退したら山登りとかしたいですね!富士山とか!」という回答です。
坂井丞さんも1回は登ってみたいと話していたそうで、夫婦で共有している願望のようです。
由貴さんは「冗談なのか本気なのかわからないですけど」と笑いながら付け加えていました。
それでも「一緒にそういうのができたら、いいなって思います」という言葉に本音がのぞいています。
水の競技で生きてきた夫婦が、次は山を目指すという構図もなかなか面白いですよね。
現役中はできない理由はオフの短さ
なぜ引退後なのかという理由も、きちんと語られています。
由貴さんは「現役の間はオフ期間も短くて、1日疲れるようなことはできない」と説明していました。
丸一日かけて体力を使う登山は、コンディション管理の観点からどうしても後回しになります。
年間を通して合宿が組まれる生活では、家族旅行のタイミングすら限られてしまいます。
パリ五輪後に伊豆へ行けたのも、プールに入らない期間が設けられていたからでした。
だからこそ引退後の予定として山登りが挙がるのは、生活の実態を踏まえた現実的な夢なんですよね。
毎年開催する相模原Sakaishoカップ
夫婦が力を入れているもうひとつの取り組みが、地元での大会です。
由貴さんは読者へのメッセージとして毎年「相模原Sakaishoカップ」を開催していることを紹介しました。
この大会は坂井丞さんや日本トップ選手の演技を目の前で観られる貴重な機会です。
さらに飛込を知らない人でも楽しめるように、試合前にルール説明も行われています。
競技の入り口を用意するという設計になっていて、普及への本気度が伝わってきますよね。
由貴さんは「来年はぜひ足を運んでいただいて、多くの方に飛込競技を知ってもらいたいです」と呼びかけていました。
初心者教室では本人がコーチを担当
普及活動は大会だけで終わりません。
相模原には飛込ができる施設があり、坂井丞さんがコーチを務める初心者教室も実施されています。
由貴さんは「少しでも興味があれば、気軽に参加してみてほしいです」と案内していました。
父親の弘靖さんと母親の由美子さんも神奈川県内でコーチとして活動してきた家系ですから、指導は坂井家の得意分野でもあります。
現役のトップ選手から直接学べる教室は、子供にとって大きなきっかけになりますよね。
由貴さんのメッセージは「今後とも坂井丞を応援してください」という一文で締めくくられていました。
坂井丞さんは一回り年上の寺内健さんとペアを組み、シンクロ板飛込で長く日本代表を担ってきた選手でもあります。
その経験を地元の子供たちに手渡していく流れが、すでに動き出しているということですね。
今後の大会日程や教室の案内は、公式サイトや後援会の発信をチェックしてみるのがおすすめですよ。
坂井丞の結婚と家族の総まとめ
- 坂井丞の結婚は2015年で相手は後輩の坂井由貴さん
- 二人の出会いは日本体育大学の飛込部で先輩と後輩の関係
- 妻は高校まで競泳で大学から飛込を始めた経歴の持ち主
- 妻が日本体育大学を選んだ理由は教育学部の新設だった
- 父親の弘靖と母親の由美子も日本体育大学の同級生同士
- 妻はアスリートフードマイスター3級の資格で食事を支える
- 坂井丞の糖分補給はミルクティーで1日2〜3本である
- 2024年4月に後援会が発足し妻が事務局長を務める
- 長男が生まれたのはリオ五輪の出場が決まった翌日である
- 子供は長男・次男・長女の3人で現在は3児の父親である
- 2010年から特発性じんましんと向き合い続けている
- じんましんの症状が最も重かったのは次男が誕生した時期
- パリ五輪はミキハウスの支援により妻と長男が現地応援
- 坂井家は相模原市の緑区に暮らし公園通いが日常である
- 現役引退後の夢は夫婦そろって富士山に登ることである
▶️他のアスリートの恋愛・結婚・再婚を知りたい|カテゴリー・記事一覧

