【選手同士】郡司莉子の兄・郡司太一が与えた影響と家族の支えが生んだ才能

【選手同士】郡司莉子の兄・郡司太一が与えた影響と家族の支えが生んだ才能

バドミントン界で注目される郡司莉子さんは、若くして国内外の大会で活躍している選手です。そんな彼女の背景を深く知るうえで欠かせないのが、郡司莉子の兄である郡司太一さんの存在です。

郡司太一さんもバドミントン選手として実績を積み、妹の郡司莉子さんが競技を始めた理由や上達の過程にも大きな影響を与えてきました。

中学時代の活躍、高校での進学先である八代東高校、現在在籍する明治学院大学での活動など、彼の競技人生は妹にとっての道しるべとなっています。

兄妹で共有するバドミントンの情熱や家族全体で支える環境、仲良しエピソードまで含めて、郡司莉子さんがどのように夢を育ててきたのかを紐解いていきます。

記事のポイント

①:郡司莉子さんがバドミントンを始めたきっかけは兄の影響である

②:郡司太一さんも学生時代から実力あるバドミントン選手だった

③:兄妹で練習や情報を共有しながら互いに高め合ってきた

④:家族全体がバドミントンを通じて一丸となって支えている 

郡司莉子の兄はどんな人物なのか?

  • 郡司莉子の兄・郡司太一とは
  • 兄もバドミントン選手だった
  • 中学時代の兄の活躍と成績
  • 郡司太一の高校は八代東高校
  • 兄の現在は明治学院大学で活躍

郡司莉子の兄・郡司太一とは

郡司莉子さんの兄である郡司太一さんは、妹と同じくバドミントン競技に情熱を注いできた選手です。郡司さん兄妹は神奈川県海老名市出身で、共にバドミントンに打ち込む家庭環境で育ちました。郡司太一さんは4歳年上であり、莉子さんが競技を始める大きなきっかけを作った人物でもあります。

彼がバドミントンを始めたのは小学生の頃とされており、早くから地域の大会に出場するなどして実力をつけていきました。中学は海老名市立大谷中学校に通い、そこで郡司莉子さんと同じくバドミントン部に所属していました。家族の話によれば、太一さんは非常に真面目な性格で、練習にも真剣に取り組んでいたとされます。

また、妹の郡司莉子さんは「小1から兄と一緒に練習していた」と語っており、兄妹で切磋琢磨する日々が続いていたことが分かります。自宅ではシャトルの打ち合いをしたり、トレーニングのフォームを互いに確認し合ったりすることもあったようです。

郡司太一さんは競技成績以上に、家族からの信頼や妹への影響力が大きく、その存在は郡司莉子さんの成長において欠かせない要素でした。特に、妹がTEAM ISHIBA JAPANへ通うようになった際も、兄の存在が大きな後押しとなったとされます。

性格的には、郡司太一さんは誠実で努力家。大学時代の自己紹介では「座右の銘は“全ては疑いうる(マルクス)”」と答えており、物事を深く考えるタイプであることがうかがえます。また、好きなタイプは「一所懸命な子」としており、価値観にも芯の強さがある人物です。

このように、郡司太一さんは競技者としてだけでなく、妹にとっても良きロールモデルであり、彼の影響があってこそ、郡司莉子さんがトップ選手に成長できた背景があります。

兄もバドミントン選手だった

郡司太一さんは、中学時代から本格的にバドミントンに取り組み、実績も積み重ねてきた選手です。神奈川県内では、2012年の「神奈川県中学生選抜ジュニア強化バドミントン大会」において3位に入賞した経歴があります。当時の所属は海老名市立大谷中学校。妹である莉子さんも後に同校へ進学しており、兄妹で同じ道をたどった形になります。

この大会は県内の有力な中学生を対象としたもので、3位入賞という成績は当時の太一さんが相当な実力者であったことを示しています。本人はこの結果をきっかけに、より高いレベルを目指すようになったようです。

また、中学卒業後はバドミントンの強豪校として知られる熊本県立八代東高校に進学しました。神奈川県から熊本県への進学は珍しいケースですが、競技力向上を最優先に考えた進路選択といえます。この点は、妹の莉子さんも同様で、熊本の八代白百合学園高等学校へ進学しています。

郡司太一さんは、競技への姿勢や取り組み方においても非常に真摯で、バドミントンを単なる部活動ではなく、自身のアイデンティティの一部として捉えていたようです。練習量はもちろん、戦術や体の使い方にも関心が深く、後輩の指導にも熱心だったとの話もあります。

また、家族からの情報によれば、太一さんは妹にバドミントンの基礎を丁寧に教える場面も多く、家庭内でも競技に対する知識や意識の高さがうかがえました。こうした家庭環境の中で育ったことが、莉子さんの成長にもつながっています。

このように、郡司太一さんは学生時代からバドミントン選手としての実力を発揮し、家族内でも重要な役割を果たしてきました。彼の存在は、単なる“兄”ではなく、競技者としても立派な先輩だったのです。

中学時代の兄の活躍と成績

郡司太一さんの中学時代の活躍は、地元のバドミントン関係者の間でも知られていました。彼が通っていたのは神奈川県の海老名市立大谷中学校で、郡司莉子さんと同様、この学校のバドミントン部に所属していました。

注目すべきは、2012年に開催された「神奈川県中学生選抜ジュニア強化バドミントン大会」での成績です。この大会で太一さんは、男子シングルス部門において見事3位に入賞しています。この結果は、当時の中学生の中でも特に優れた成績であり、県内でも有望株として期待されていたことを示しています。

この時期の郡司太一さんは、練習に対して極めて真面目で、技術向上だけでなく体力トレーニングにも力を入れていたと伝えられています。特にラリー中の粘り強さや、スマッシュの正確さが評価されており、試合では相手を圧倒する場面も多かったようです。

また、妹の莉子さんもこの頃から兄のプレーを間近で見て育っており、「兄の背中を追いかけていた」と語っています。兄妹間の年齢差は4歳あるため、小学生の莉子さんにとって、当時中学生だった太一さんの活躍は非常に大きな影響だったと考えられます。

学校の成績との両立も求められる中学生時代に、競技力を維持するのは決して簡単ではありませんが、太一さんは日々の努力を惜しまず、部活動外でも自主練習をしていたとのことです。コーチ陣からの信頼も厚く、時には下級生への指導も行っていました。

このような姿勢が後に続く競技人生や、妹の郡司莉子さんへの良い影響となって表れています。中学時代にしっかりと基礎を固めたことが、その後の高校進学や大学での活動にもつながったといえるでしょう。

郡司太一の高校は八代東高校

郡司太一さんは中学卒業後、熊本県にある八代東高校に進学しました。この学校は、九州地方の中でも特にバドミントンに力を入れている男子強豪校として知られています。地元の神奈川県から遠く離れた熊本県まで進学した背景には、より高いレベルの練習環境と指導を求めたという事情があったと考えられます。

八代東高校では、経験豊富な指導陣のもとで実力をさらに伸ばしていったとされます。太一さんの高校時代の具体的な大会成績については詳細な記録は少ないものの、強豪校である八代東に在籍していたという事実だけでも、彼が相当な競技レベルにあったことは間違いありません。

また、八代東高校の監督である権藤浩二さんは、バドミントン指導の名将として知られており、全国から多くの有望選手が集まる環境を整えています。その中で太一さんも、技術だけでなく人間力の育成にも力を入れていたと考えられます。

高校時代には、地元のクラブチームや社会人選手との練習も経験し、精神面や競技に対する姿勢にも磨きがかかったと見られます。学校外でも「練習熱心な選手」として評価されていたようです。

一方で、遠方の学校に通うことになったことで、家族と離れて暮らす生活が始まりました。寮生活や一人暮らしなど、環境の変化もありながらも、バドミントンへの熱意を絶やすことはなかったようです。妹の莉子さんも後に同じ熊本県の八代白百合学園に進学しており、兄の進路が妹にも影響を与えた可能性は高いです。

このように、郡司太一さんは高校時代においてもバドミントン選手としての基盤をしっかり築き上げ、後の大学生活へとつなげていきました。八代東高校での経験が彼の競技人生を大きく成長させたのは間違いありません。

兄の現在は明治学院大学で活躍

郡司太一さんは高校卒業後、東京都内にある明治学院大学に進学し、現在も体育会バドミントン部で競技を続けています。明治学院大学といえば、文武両道を掲げる伝統ある私立大学であり、スポーツ活動にも力を入れています。その中で体育会バドミントン部に所属し、大学生活を送っているというのは、彼の競技に対する継続的な情熱を物語っています。

太一さんの所属は法学部政治学科で、学問とバドミントンの両立を目指しているようです。大学では試合や練習に加えて、学業やサークル活動など様々な経験が求められます。そのような中でも体育会として真剣にバドミントンに打ち込んでいる点からも、彼の姿勢は一貫しています。

大学1年生時のプロフィール紹介では、「あなたにとってバドミントンとは?」という質問に対し、「情熱」と一言で答えており、その競技にかける思いの強さがよく表れています。さらに「好きなタイプは一所懸命な子」と答えるなど、努力を重んじる性格がにじみ出ており、真面目で芯の通った人物であることがうかがえます。

また、明治学院大学のバドミントン部は、関東学生リーグに所属しており、大学間の大会でも積極的に活動を展開しています。太一さんもその一員として、団体戦や個人戦に出場しているようです。試合では、強敵との戦いを通して自らの技術を磨くと同時に、後輩の指導やチーム運営にも関わっている可能性があります。

妹の郡司莉子さんがプロチームである「再春館製薬所バドミントン部」に所属している現在も、兄妹の間では情報交換やアドバイスのやりとりが行われているのではないかと考えられます。兄が大学という舞台で競技を継続し、妹が社会人チームでプレーしていることで、お互いを刺激し合う関係が続いている可能性は十分にあります。

このように、郡司太一さんは高校卒業後も競技を継続し、大学バドミントン界で活躍を続けています。学生としての生活と選手としての活動を両立させている姿は、多くの人にとって模範となる存在であり、妹の郡司莉子さんにとっても、今なお頼れる兄として存在感を発揮していることでしょう。

郡司莉子の兄との関係と影響

  • 郡司莉子がバドミントンを始めた理由
  • 兄妹で共有するバドミントンの情熱
  • 兄の存在が郡司莉子に与えた影響
  • 家族全体で支えるバドミントン生活
  • 兄と郡司莉子の仲良しエピソード
  • 兄妹で目指すバドミントン界の高み
  • 兄をきっかけに芽生えた郡司莉子の夢

郡司莉子がバドミントンを始めた理由

郡司莉子さんがバドミントンを始めたきっかけは、4歳年上の兄・郡司太一さんの存在でした。彼女が小学1年生だった頃、すでに兄はバドミントンの練習に励んでおり、その姿を間近で見ていた莉子さんも自然とラケットを握るようになります。家庭内でバドミントンが当たり前のように日常にあったことが、彼女のスタート地点だったのです。

この環境が特別だったのは、兄妹が共に同じ競技に打ち込める土壌が整っていた点です。バドミントンを始めた当初から郡司莉子さんは、ただの遊びとしてではなく、競技として真剣に取り組んでいきました。兄が所属していたクラブや練習環境に刺激を受け、郡司さんも「TEAM ISHIBA JAPAN」という強化クラブに入会。そこから本格的な選手人生が始まります。

幼少期から日々の生活の中に練習が組み込まれていたため、技術の吸収が早かったとされています。例えば、小学2年で「全国小学生ABCバドミントン大会」1・2年生の部で優勝。このように、兄の影響から競技を始め、すぐに頭角を現した実績は、家庭内での競技への意識の高さを裏付けています。

一方で、当時はまだバドミントンが広く知られた競技ではなかった時代背景もありました。周囲の友達がサッカーや野球を選ぶ中で、莉子さんがバドミントンに強く惹かれたのは、目の前で努力する兄の姿に強く心を動かされたからだと考えられます。

加えて、親のサポート体制も大きな役割を果たしました。日々の送り迎え、練習後の食事管理、遠征への同行など、小学生にとっては手厚い支援が必要です。そのすべてが「兄の姿に憧れた妹」の挑戦を後押ししていたのです。

つまり、郡司莉子さんがバドミントンを始めた背景には、身近にいる存在が持つ“実体験の説得力”がありました。それがきっかけとなり、結果的に国内外での活躍へとつながっていったのです。

兄妹で共有するバドミントンの情熱

郡司莉子さんと兄・郡司太一さんは、ただの兄妹という関係にとどまらず、「競技仲間」としての強い絆で結ばれています。2人は幼少期からバドミントンを通じて互いに刺激を受け合い、家庭の中でも自然と競技に関する会話が飛び交う環境にありました。練習内容、フォームの修正、試合の反省など、通常であればコーチと行うようなやり取りを、自宅で兄妹間で行っていたのです。

バドミントンに対する情熱は、決して一方的なものではありません。太一さんが大学に進学した後も、2人は互いの成長を見守り合い、時にはアドバイスを送り合う関係を続けています。郡司莉子さんがメディアのインタビューで語った言葉にも「兄と一緒に練習していたからこそ、強くなれた」とあるように、その絆の深さが競技力に直結していたことがわかります。

注目したいのは、練習スタイルの共有です。2人とも技術だけでなく、戦術やメンタルの強化にも力を入れており、家庭内にそのような考え方が根づいていました。特に精神面での支えは大きく、試合での悔しさや不安を分かち合える存在がいることは、若いアスリートにとって心強いものです。

また、プレースタイルにおいても兄妹で似た傾向があるとされています。郡司莉子さんは攻撃型のプレーヤーであり、スマッシュを軸にラリーを展開するスタイル。一方で、太一さんも正確なショットと粘り強さに定評があり、技術的な共通点が見受けられます。これは長年同じ指導方針のもとで練習を積んできた結果ともいえるでしょう。

もちろん、同じ競技を続ける中でぶつかることもあったはずです。時にはプレーの意見が合わなかったり、試合結果に感情が入ったりすることもあったと考えられます。しかし、それでもお互いをリスペクトし、成長の糧にしてきた姿勢が現在の実力につながっています。

このように、兄妹で競技の道を共有することは、時に難しさも伴いますが、郡司さん兄妹にとっては確かな強みとなり、お互いの情熱を高める大きな力となっています。

兄の存在が郡司莉子に与えた影響

郡司莉子さんの成長過程において、兄・郡司太一さんの存在は極めて大きな役割を果たしてきました。ただの兄ではなく、目標であり、指導者であり、仲間でもある。そのような存在が常に身近にいたことが、彼女の競技人生に好影響を与えてきたことは明らかです。

郡司莉子さんが小学1年生でバドミントンを始めた背景には、すでに競技をしていた兄の姿がありました。彼が日々真剣に練習に取り組む姿を見て、「自分もやってみたい」と感じたことが出発点です。これは単なる興味本位ではなく、「兄のようになりたい」という憧れにも近い感情だったと考えられます。

そして実際に競技を始めた後も、兄は常に良き相談相手でした。特に成長期の中学生時代や全国大会前の調整期など、プレッシャーのかかる場面で兄の言葉が大きな支えとなっていたようです。「勝てるよ」といった励ましだけでなく、「このプレーはどうだった?」といった技術面の指摘もあり、実質的に兄が“第二のコーチ”のような存在だったことがうかがえます。

また、兄が先に経験した練習環境や進学先の情報を共有できた点も大きなメリットでした。たとえば、兄が通っていた八代東高校の指導体制や、寮生活の雰囲気などを事前に知ることで、莉子さん自身も安心して進路を選べたと考えられます。

一方で、兄の存在がプレッシャーとして働いたことも否定できません。兄が好成績を残していればいるほど、自分もそれに続かなくてはならないという意識が働きます。しかし、郡司莉子さんはそれを前向きなエネルギーに変えてきました。ライバル視するのではなく、あくまで“良き模範”として兄を見続けたことが、彼女のメンタル面の成長にもつながったのでしょう。

このように、郡司太一さんの存在は、妹にとって単なる家族ではなく、常に背中を押してくれる大切な原動力でした。

家族全体で支えるバドミントン生活

郡司莉子さんの競技人生は、兄・郡司太一さんとの兄妹の関係だけでなく、家族全体の支えがあってこそ成り立ってきました。特に母親と父親の存在は、郡司さん兄妹にとって精神的・実務的に欠かせない存在であり、家庭全体が“バドミントン中心の生活”であったと言っても過言ではありません。

日常生活の中で、郡司莉子さんが小学生の頃から東京・多摩市にあるクラブ「TEAM ISHIBA JAPAN」に通っていたという事実からも、家族の協力体制は明らかです。海老名市から多摩市までの移動は電車で1時間以上。平日であっても、学校が終わったあとにクラブ練習に通い、終電近くに帰宅する日々を支えていたのは、母親の送迎と父親の理解でした。

母親は朝から弁当を用意し、夜遅くの帰宅を待って食事を整えるなど、時間的な負担が大きかったはずです。それに加えて、試合や遠征時には一緒に全国各地を回る必要があり、家計にも相当な負担がかかったことは想像に難くありません。それでも家族は、郡司莉子さんの夢を最優先に行動してきました。

父親についても、競技についての深い理解があったとされており、家庭内でバドミントンに関する話題が自然に出ていたようです。加えて、太一さん、莉子さんともに幼少期から礼儀や努力を重んじる性格に育っている点から見ても、家庭の教育方針が非常にしっかりしていたことが分かります。

また、兄・太一さんも家庭内で練習相手を務めるなど、兄妹で高め合う姿勢を見せており、家族全体が「一つのチーム」として機能していた様子がうかがえます。特に、家族の誰一人として無理を強いるのではなく、お互いが支え合う環境を自然と築いていたことが、郡司莉子さんの安定した成長を後押ししました。

このように、郡司家のバドミントン生活は、一人の選手を支えるには家族全員の理解と協力が必要であることを象徴する好例といえるでしょう。

兄と郡司莉子の仲良しエピソード

郡司莉子さんと郡司太一さんの兄妹関係は、単なる競技仲間にとどまらず、非常に仲の良い“パートナー”でもありました。小さい頃から一緒にバドミントンの練習に励むだけでなく、家庭内でのエピソードにも微笑ましいものが多く残っています。

たとえば、郡司莉子さんが小学3年生の頃、兄がわざわざ部活後に妹の練習を見てくれていたという話があります。兄自身も疲れているはずなのに、妹のフォームをチェックし、アドバイスをする時間を取っていたというのです。そうした姿勢が妹の信頼を勝ち取り、やがて“技術的な相談相手”としても非常に頼られる存在になっていきました。

また、試合前になると、2人で一緒に戦略を練ったり、過去の試合映像を見ながら改善点を語り合ったりする時間もあったとされています。中には、お互いの対戦相手について分析し合うというプロさながらのやり取りもあったようで、兄妹とは思えないほど真剣なやり取りがあったといいます。

仲の良さは日常生活にも表れており、SNS上では太一さんが妹の試合結果をリツイートし、応援メッセージを送る場面もありました。直接的に目立つ発言は少ないものの、妹への誇りと愛情がにじみ出ているとファンの間では話題になっています。

一方で、試合の結果が芳しくなかったときには、あえて距離を取り、妹に考える時間を与えるという“空気を読む兄”としての気遣いも見せていたようです。このような対応は、兄妹であっても信頼関係がなければ成立しません。

こうしたエピソードの数々からも、郡司さん兄妹の絆の強さが伝わってきます。年齢差が4歳あることで、ライバル意識よりも「守りたい存在」としての意識が強かったのかもしれません。郡司莉子さんも度々「兄には感謝している」と語っており、競技面だけでなく、心の支えとしても兄の存在は非常に大きいものでした。

兄妹で目指すバドミントン界の高み

郡司莉子さんと郡司太一さんは、兄妹それぞれが異なるステージにいながらも、共に“バドミントンで頂点を目指す”という目標を持ち続けてきました。これは結果的に、2人の競技力だけでなく、精神的な結びつきや競技に対する姿勢にも良い影響を与えるものとなりました。

郡司太一さんは、明治学院大学のバドミントン部に所属しながら競技を続ける一方で、妹の郡司莉子さんは高校卒業後、社会人チーム「再春館製薬所」に入団し、世界を舞台に戦う選手へと成長しています。進む道は異なりますが、目指す場所には共通点がありました。それは、「日本のトップ、そして世界レベルでの活躍」です。

2人はお互いの試合結果をチェックし合い、時には練習内容の情報交換をするなど、物理的に離れていても競技を通じたコミュニケーションを絶やしませんでした。郡司莉子さんが語った「兄のように、いや兄以上に強くなりたい」という言葉には、尊敬と挑戦の両面が込められていたといえるでしょう。

また、郡司太一さんがバドミントンを続ける姿勢そのものが、郡司莉子さんにとって“競技を辞めたくない”というモチベーションにもなっていました。兄妹で共に競技を続けているという事実が、互いのやる気を引き出すきっかけになっていたのです。

もちろん、2人が目指す高みは個々の実力だけでは到達できるものではありません。家族や指導者、チームメートとの関係性、日々の努力、そして自分との戦いが不可欠です。それでも、兄妹という特別な関係を通じて得た精神的支柱が、長い競技人生を支える原動力になっていることは間違いないでしょう。

これからの競技人生において、郡司莉子さんがオリンピックなどの大舞台で活躍する際にも、兄との経験や思い出が彼女の力になるはずです。まさに、兄妹で夢を追い続ける関係性こそが、彼らにとっての最大の強みです。

兄をきっかけに芽生えた郡司莉子の夢

郡司莉子さんが「将来、世界の舞台で戦いたい」と本気で思うようになったのは、兄・郡司太一さんの影響が非常に大きかったと言えます。幼少期に兄の背中を追いかける中で芽生えた“勝ちたい”という気持ちが、いつしか“もっと強くなりたい”“世界と戦いたい”という夢に発展していきました。

幼い頃、兄が試合で勝ったり、表彰台に上ったりする姿を見て、「かっこいい」「自分もそうなりたい」と感じた郡司莉子さんは、その日から何の迷いもなくバドミントンに打ち込むようになります。最初は憧れだった夢が、次第に現実の目標となり、郡司さんは全国大会や国際大会で結果を残していきました。

特に転機となったのは、2018年の全日本ジュニアバドミントン選手権での優勝です。このとき彼女は高校1年生ながら全国の強豪を制し、実力で名を知られるようになります。兄が築いた“郡司”の名を背負っての勝利だったこともあり、彼女にとっては大きな意味を持つものでした。

また、再春館製薬所バドミントン部への入団も、兄の背中を見続けたからこそたどり着けた結果ともいえるでしょう。兄が大学でも競技を続ける姿を見て、「自分もずっとバドミントンを続けたい」と強く思ったと語る場面もありました。夢を追い続けるには、現実的な環境や支援が必要ですが、それに加えて“身近な目標の存在”があったことが、彼女にとっては大きな財産でした。

このように、兄の存在がきっかけとなり、小さな夢が大きな目標へと変化したことが、郡司莉子さんの競技人生における最も大きなターニングポイントだったのです。今後の彼女の活躍には、兄との“約束”のような想いも込められているのかもしれません。

総括:郡司莉子の兄との関係から見える家族と競技の絆

  • 郡司莉子の兄は郡司太一というバドミントン選手
  • 神奈川県海老名市出身で妹と同じ環境で育った
  • 中学は海老名市立大谷中学校に通い、バド部に所属
  • 2012年の県大会で男子シングルス3位に入賞
  • 高校はバド強豪の熊本・八代東高校に進学
  • 妹も熊本のバド名門校に進学し、兄の進路が影響
  • 現在は明治学院大学法学部でバドミントンを継続中
  • 体育会バド部に所属し学業と競技を両立している
  • 幼少期から妹と自宅で練習を共にしていた
  • 妹がTEAM ISHIBAに通い始めた際も兄が後押し
  • 家族ぐるみでバドミントンを支える環境にあった
  • 自主練や後輩指導にも熱心で誠実な性格
  • 座右の銘は「全ては疑いうる(マルクス)」
  • 妹にとっては技術面でも精神面でも信頼できる存在
  • 郡司莉子が世界を目指す原点には兄の影響があった