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大塚達宣さんの家族について、気になっている方は多いのではないでしょうか。
バレーボール男子日本代表として活躍し、2024年パリ五輪に出場後はイタリア・セリエAのミラノへ移籍した注目の選手です。
そんな大塚さんを育てたのは、バレーボールに深い縁を持つ家族です。
父親の正宣さんは日本バレーボール協会協議委員会の副委員長を務める人物で、母親の淳子さんも元体育教師としてバレーボール部を指導してきた経験があります。
この記事では、大塚達宣さんの家族の情報を詳しくまとめています。
記事のポイント
①:父親・正宣さんは日本バレーボール協会の副委員長
②:母親・淳子さんも元体育教師でバレー部の指導者
③:実家ではハリネズミ3匹を家族全員で溺愛中
④:家族5つのルールが大塚さんの人格を形成した
大塚達宣の家族構成と父親・母親が育んだバレー人生
- 父親・正宣さんの経歴|バレーボール協会副委員長
- 父親・正宣さんが伝えたバレーとの出会いと家庭での関わり方
- 母親・淳子さんの経歴と栄養で息子を支えたサポート
- 大塚家が大切にした家庭ルールと教育理念
- 妹・希美さんについて|仲良し4人家族の日常
- 実家のペット・ハリネズミと家族エピソード
父親・正宣さんの経歴|バレーボール協会副委員長

大塚達宣さんの家族を語る上で、まず外せないのが父親・正宣さんの存在です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 大塚 正宣(おおつか・まさのり) |
| 年齢 | 約62歳(2024年6月時点で61歳) |
| 元職業 | 大阪府立牧野高校 体育教師・バレーボール部顧問 |
| 現在の役職 | 日本バレーボール協会 協議委員会 副委員長 |
| 出身地 | 大阪府枚方市(推定) |
正宣さんはもともと、大阪府立牧野高校で体育教師を務めながらバレーボール部の顧問として選手たちの指導にあたってきた経験を持ちます。
そこで積み上げた指導経験や組織への貢献が認められ、現在は日本バレーボール協会協議委員会の副委員長という要職に就いています。
日本バレーボール協会(JVA)は、日本国内のバレーボールの普及・強化・育成を統括する組織です。
協議委員会とはどんな組織か
協議委員会は、競技規則や大会運営に関わる重要な決定を行う機関です。
副委員長はその委員会の中でも中核を担うポジションであり、日本のバレーボール界の発展に直接関わる立場と言えます。
息子の大塚達宣さんが所属する日本代表チームの舞台裏を、組織の側面から支えているとも言えるわけです。
選手として表舞台で活躍する息子と、組織の運営を担う父親。
異なるかたちで日本バレーボール界に貢献しているこの親子の姿は、バレーボールファンにとって印象的な存在です。
正宣さんが幼少期から日本代表の試合運営に関わっていたことは、テレビ中継に映り込む父親の姿を幼い大塚さんが見つけるという微笑ましいエピソードにもつながっています。
大阪府立牧野高校は大塚さんの地元・枚方市内にある高校で、正宣さんはそこで長年にわたり体育教師として生徒たちのスポーツ教育に携わりました。
バレーボール部の顧問としての指導実績を積みながら、協会の運営側へとキャリアを広げていった経緯は、バレーボールへの深い情熱を示しています。
家族全員がバレーボールに縁を持ちながらも、自宅では技術的な指導をしないというスタンスが、大塚達宣さんの自立した成長を支えたのかもしれません。
父親として、指導者として、そして協会の要職として、正宣さんは多彩な立場から日本のバレーボールを見守り続けています。
父親・正宣さんが伝えたバレーとの出会いと家庭での関わり方
大塚達宣さんがバレーボールを始めたきっかけは、父親・正宣さんの存在と切っても切り離せません。
大塚さんが小学3年生のころ、枚方市の広報誌にパナソニックの下部組織「パンサーズジュニア」が部員を募集しているという記事が掲載されていました。
その記事を見た大塚さんが「これ、やっていい?」とつぶやいたひと言が、バレー人生のスタートでした。
当時、正宣さんはすでに日本代表の試合運営に携わっていました。
そのため、テレビ中継で日本代表の試合が放送されると、大塚さんは「どこかに父親が映っていないか」と探しながら観戦するのが楽しみのひとつだったそうです。
ここ、とても微笑ましいエピソードですよね。
父親がバレーボールに関わっている姿を目の当たりにすることで、大塚さんの中にバレーボールへの興味が自然と芽生えたと考えられます。
一方で、正宣さんは自宅では一切バレーボールの技術的な指導をしなかったと言います。
休日には、息子といっしょにキャッチボールをしたり、グラウンドゴルフを楽しんだりして親子の時間を大切にしていたとのことです。
「表にガンガン出るタイプではなかったですね。引っ込み思案とまではいかないけど、周りに歩調を合わせるような子でした」と、正宣さんは幼い頃の大塚さんの性格を振り返っています。
バレーボールの技術指導を家庭に持ち込まず、父親として息子と純粋に遊ぶ時間を選んだ正宣さんの姿勢は、子どもの自立を重んじる教育観の表れといえます。
自分でやりたいことを見つけ、自分の意志で進んでいく力。
「これ、やっていい?」というひと言を引き出した環境こそが、大塚達宣さんをここまで育てた土台なのかもしれません。
パナソニックパンサーズに入団し、実家が練習拠点から近い距離にあった時期も、正宣さんは息子のプレーに過度に口を出すことなく見守り続けていたようです。
バレーボールの専門家でありながら、父親として一歩引いて接するそのバランス感覚が、息子の成長を促したのでしょう。
母親・淳子さんの経歴と栄養で息子を支えたサポート
大塚達宣さんの家族の中でも、母親・淳子さんの存在は非常に大きなものがあります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 大塚 淳子(おおつか・じゅんこ) |
| 年齢 | 約53歳(2024年6月時点で52歳) |
| 元職業 | 体育教師・バレーボール部指導者 |
| 特徴 | 栄養面から息子のバレー競技を長年サポート |
淳子さんは結婚前、体育教師としてバレーボール部の指導にも携わっていた経験を持ちます。
夫婦ともに体育教師・バレーボール指導者という、まさにスポーツに縁の深い家族です。
栄養サポートへの驚異的な熱意
淳子さんが特に注目されるのは、息子の栄養管理に対する並外れた熱意です。
大塚さんが小学6年生のときに参加した「JVA男子・女子エリートアカデミー合宿」では、技術的な指導だけでなく、食事や睡眠についても専門的な指導が行われました。
その合宿で配布された栄養士監修のプリントを、淳子さんは自ら取り寄せ、一から栄養学を学んだとのことです。
「栄養士が監修したプリントを元に栄養学を学ぶほど」という姿勢は、ただ食事を作るだけでなく、アスリートとして必要な栄養素を理解した上でサポートしようという意識の高さを示しています。
息子に対する信頼感も際立っています。
「あの子は計画的。塾に通わせたことはないけど昔から成績は良かった」という言葉からは、勉強でも自己管理できる息子への絶対的な信頼が伝わってきます。
自ら考え行動できる子どもに育てるため、あえて手を出しすぎない。
淳子さんのサポートスタイルは、正宣さんのスタイルと共通しています。
そして、大塚さんがイタリア・ミラノへ移籍後に精神的な苦境に陥った際、真っ先に「危険なサイン」を察知したのも淳子さんだったというエピソードは、母親と息子の深い絆を物語っています。
常に息子の状態を感じ取り、適切なタイミングで寄り添うことができる。
体育教師として人を見る目を磨いてきた淳子さんならではの洞察力が、息子の競技人生の節目を何度も支えてきたと言えます。
大塚家が大切にした家庭ルールと教育理念
大塚達宣さんの家族が共有してきた家庭ルールは、大塚さんの人格形成に大きな影響を与えています。
報道によると、大塚家では以下の5つのルールを家族全員で共有していたといいます。
- 「ありがとう」の言葉を大切にする
- 子どもの練習に介入しすぎない
- 学校生活をおろそかにさせない
- 家族全員で会話をしながら夜ご飯を食べる
- 礼儀作法は親自ら実践する
5つのルールが生んだ人格と競技力
「ありがとう」を大切にするルールは、大塚さんが「人柄枠」と自称するほどの温かいキャラクターを育てた根底にあると言えます。
感謝の言葉を日常的に大切にする環境で育つことで、人との関係を丁寧に築く習慣が自然と身についていったのでしょう。
「子どもの練習に介入しすぎない」というルールも、大塚さんの自立した競技姿勢と深く関係しています。
両親ともにバレーボールの指導経験者でありながら、家庭では技術的な口出しをしない。
これは口で言うほど簡単なことではありませんが、大塚家ではそれを実践していたわけです。
その結果、大塚さん自身が自分で考え、自分で解決策を見つける力を早い段階から鍛えることができたと考えられます。
「学校生活をおろそかにさせない」というルールも重要です。
大塚さんは高校時代から頭脳明晰で、早稲田大学スポーツ科学部に進学するほどの学力を持っていました。
母親の淳子さんも「塾に通わせたことはないけど成績は良かった」と語っており、スポーツと学業の両立が当たり前の環境が、大塚さんのバランス感覚を育てたのです。
「家族全員で会話をしながら夜ご飯を食べる」というルールは、家族の絆を深めるだけでなく、コミュニケーション能力の育成にもつながっています。
大塚さんは「しゃべらないとどんな考えを持っているか分からない。自分をどんどん発信するし、相手のことも知りたい」と語っており、この食卓での習慣がベースになっていると感じます。
「礼儀作法は親自ら実践する」というルールは、「言って聞かせる」ではなく「やって見せる」という教育スタイルを示しています。
正宣さんと淳子さんが自ら実践する姿を見て育った大塚さんが、今でも「人柄枠」と呼ばれるほどの人格者であることは、この家庭教育の成果と言えるでしょう。
妹・希美さんについて|仲良し4人家族の日常

大塚達宣さんには、2歳年下の妹がいることがわかっています。
名前は大塚希美さんといい、2024年時点でおよそ23歳と推定されます。
バレーボール選手ではなく、一般の方として生活されているようで、詳しいプロフィールは公表されていません。
家族仲がとても良いことで知られる大塚家において、希美さんは兄の活躍を身近で見守ってきた存在です。
幼少期から父親・正宣さんや母親・淳子さんの教育のもとで育ち、兄の大塚達宣さんが選手として活躍するようになってからも、家族の一員として陰からサポートしてきたと思われます。
大塚さんが語るのは、家族全員で夜ご飯を食べながら会話を大切にするという家族のスタイルです。
そのような環境の中で育った希美さんも、兄のバレーボールへの情熱を間近で感じながら成長してきたことでしょう。
パナソニックパンサーズ時代、大塚さんは実家が練習拠点から車でそう遠くない距離にあったため、ホームゲームのたびに実家へ帰っていたといいます。
母親の淳子さんが「ホームゲームの時はしょっちゅう家に帰ってきます。ぷらっと車で寄り、お菓子やアイスを少し食べて社宅に戻っていきます」と笑顔で話しているほど、家族の仲の良さが伝わってきます。
大塚さんの「人柄枠」を自称するほどのコミュニケーション能力は、こうした家族との日常的な会話を通じて培われたものでもあるかもしれません。
とにかく話すことが好きで、相手のことも知りたいというスタンスは、温かい家族との関わりから生まれたものと感じます。
希美さんについては今後も詳しい情報が出ることは少ないかもしれませんが、兄の世界での活躍を陰ながら応援していることは間違いないでしょう。
大塚家の4人は枚方市を拠点に、それぞれの立場でバレーボールと関わりながら生きてきました。
父親は協会の副委員長として、母親は栄養サポートを通じて、そして妹の希美さんは家族の一員として、大塚達宣さんの競技人生の土台を支えています。
実家のペット・ハリネズミと家族エピソード
大塚達宣さんの実家が飼っているペットとして、ハリネズミが大きな話題になっています。
大塚家では、なんと3匹のハリネズミを溺愛していることが知られています。
その名前がユニークで、「はり子」「はり美」「はり宣」という名前がついているのです。
「はり子」は女の子らしいシンプルな名前、「はり美」は妹の希美さんの「美」から取ったと思われる名前、そして「はり宣」は大塚達宣さんの「宣」から取ったネーミングです。
ハリネズミの名前に家族の名前の一部を取り入れるというセンスが、大塚家の家族愛を象徴していますよねw
3匹はとても活発で、庭で散歩するほど元気いっぱいとのこと。
ボテボテとした動きとコンパクトなサイズ感が、見る人を癒してくれるそうです。
SNS上でも「えええ、大塚選手んちハリネズミ飼ってるの!かわええな〜!名前ええなwwwはり宣!」というようなファンの声が広がり、大きな反響を呼びました。
バレーボール選手として多忙な日々を送る中で、ペットのハリネズミが最高の癒し担当になっているわけです。
ハリネズミは夜行性の動物で、夜になると活発に動き回ります。
その様子を眺めながら家族みんなでリラックスする時間が、大塚家の日常の一コマとして根付いているのかもしれません。
パナソニックパンサーズ時代は実家から近い距離に練習拠点があったため、ホームゲームの際にはよく実家に立ち寄り、アイスやお菓子を少し食べてから社宅に戻っていたというエピソードがあります。
その際、ハリネズミたちとも戯れていたことは想像に難くありませんw
「はり宣」という名前には、大塚達宣さんへのユーモアたっぷりの愛情が込められています。
家族全員でペットの名前に自分たちの名前の一部を入れるという遊び心が、この家族のあたたかさを物語っています。
現在はイタリア・ミラノに移籍しており、ハリネズミたちと会える機会は減っているかもしれません。
それでも帰国した際には実家に顔を出し、愛らしいハリネズミたちに再会しているのではないでしょうか。
大塚さんにとって実家は「充電スポット」のような存在なのかもしれません。
大塚達宣の家族が支えた競技人生と現在
- 大塚達宣のプロフィールと学歴・競技経歴
- 早稲田進学の理由|家族も支持したセカンドキャリアへの意識
- イタリア生活の苦悩と母親・淳子さんの助言
- パリ五輪と家族の支えを胸に世界で戦う大塚達宣
- 右ひじ手術と世界選手権復帰を目指す現在
大塚達宣のプロフィールと学歴・競技経歴
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ここでは大塚達宣さん本人のプロフィールと競技経歴をまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 大塚 達宣(おおつか・たつのり) |
| 生年月日 | 2000年11月5日 |
| 2026年03月23日現在の年齢 | 25歳 |
| 出身地 | 大阪府枚方市 |
| 身長 | 195cm |
| 体重 | 87kg |
| 血液型 | A型 |
| ポジション | アウトサイドヒッター(OH) |
| 所属 | パワーバレー・ミラノ(イタリア・セリエA) |
下記の表は、大塚達宣さんの学歴・競技経歴をまとめたものです。
| 時期 | 所属・活動 |
|---|---|
| 小学3年生 | パンサーズジュニア(枚方市)入団・バレーボールを開始 |
| 中学校 | 枚方市立中宮中学校 |
| 高校 | 洛南高校(京都)・春高バレー最優秀選手受賞 |
| 2019年 | 早稲田大学スポーツ科学部入学 |
| 2020年 | 日本代表初選出(大学1年時) |
| 2021年 | 東京五輪出場・パナソニックパンサーズ入団(現役大学生初)・V-リーグ新人王受賞 |
| 2024年 | パリ五輪出場・ミラノ(イタリア)へ移籍 |
大塚さんは2000年11月5日、大阪府枚方市で生まれました。
身長195cm・体重87kgという恵まれた体格を持ち、高い打点から放つ強力なスパイクを武器とするアウトサイドヒッターです。
小学3年生でパンサーズジュニアに入団してバレーボールを始め、中学時代も地元・枚方市でプレー。
高校は京都の強豪・洛南高校へ進み、春高バレーで最優秀選手に選ばれるほどの実力を発揮しました。
その実力は大学時代に開花し、2020年に大学1年生ながら日本代表に初選出。
翌年の東京五輪に出場した際は、早稲田大学バレーボール部として史上初の快挙となりました。
さらに同年、現役大学生として男子で初めてVリーグ1部のパナソニックパンサーズに入団し、新人王を受賞するという偉業を達成しています。
2024年のパリ五輪後にはイタリア・セリエAのパワーバレー・ミラノへ移籍し、世界最高峰のリーグで腕を磨いています。
早稲田進学の理由|家族も支持したセカンドキャリアへの意識
大塚達宣さんが高校卒業時にVリーグからのオファーを断り、早稲田大学進学を選んだ理由は、家族が育てた価値観と深く結びついています。
高校卒業と同時にVリーグへ進む道は、多くの若き才能が選ぶルートです。
ただ、大塚さんにはそれよりも優先したいものがありました。
2つの理由で早稲田を選んだ
大塚さんは早稲田大学進学の理由を2つ挙げています。
まず1つ目は、教員免許の取得です。
「選手を終えてからのキャリアを考えた時に、将来は指導者になりたい、という気持ちも強かった。そのために教員免許を取りたい」という言葉が、その動機を明確に示しています。
これは父親・正宣さんや母親・淳子さんと同じく体育教師としてスポーツに関わることで、子どもたちにスポーツの楽しさを伝えたいというビジョンにつながっています。
「スポーツはとても楽しいもの。小さいころに嫌な印象を抱くと大きくなっても敬遠してしまうので、子どもたちに直接伝えていきたい」という言葉には、指導者としての明確な方針があります。
2つ目の理由は、早稲田大学スポーツ科学部でトレーニング科学・コーチング・スポーツ栄養などの専門知識を深めることでした。
ただ教員免許を取るだけでなく、アスリートとして得られる知識も増やしたい。
人として成長したい、自分を高めたいという高校生とは思えない成熟した視点は、正宣さんと淳子さんが育てた「自分で考える力」の賜物と言えます。
早稲田大学では、その選択が正しかったことを証明するかのように目覚ましい成果を上げました。
入学時より体重を10kg近く増やし、強いボールを受け止められる体を作り上げ、東京五輪出場・Vリーグ入団・新人王受賞と次々に結果を残していったのです。
母親の淳子さんが「あの子は計画的」と評したとおり、セカンドキャリアまで見据えて進路を決める姿は、家庭で培われた長期的な思考力の表れでしょう。
イタリア生活の苦悩と母親・淳子さんの助言
2024-25シーズンからイタリア・セリエAのパワーバレー・ミラノに移籍した大塚達宣さんは、新天地での生活に全力で向き合いました。
合流直後は、とにかく自分をわかってもらおう、チームを理解しようと、テンションを上げて積極的にコミュニケーションを取りました。
疲れていてもチームメイトと過ごす時間を優先し、毎日イタリア語を勉強。
パナソニック時代は毎食用意されていた食事も、ミラノでは朝晩を自炊で賄い、栄養面を考えながら体のセルフケアにもこれまで以上に時間をかけました。
しかし頑張りすぎていたのでしょう。ミラノ合流から約2週間が過ぎた頃、ふと考え込んだり、気持ちが落ち込むことが増えてきたといいます。
ここ、海外挑戦のリアルですよね。
母親・淳子さんが察知した「危険なサイン」
その変化にいち早く気づいたのが、母親の淳子さんでした。
息子が発する「危険なサイン」を察知し、適切なタイミングでサポートの言葉をかけたと伝えられています。
体育教師として長年人を見てきた経験と、息子の変化を敏感に感じ取る母親の直感が、この苦境での助けになったのです。
また、前シーズンまでミラノに在籍していた先輩の石川祐希さんの存在も、大塚さんの精神的な支えになったといいます。
ミラノという環境を知る頼れる先輩がいることで、大塚さんは少しずつ前を向くことができたようです。
苦境を乗り越えた後の大塚さんは、チームへの適応をしっかり果たし、レギュラー争いの中でプレーし続けました。
初の海外生活という未知の挑戦において、母親・淳子さんのサポートは競技面だけでなく精神面でも、大塚さんの競技人生を支える大きな柱となっています。
子どもがどれだけ遠くへ行っても、親はその変化を感じ取るものなのかもしれません。
大塚家の家族の絆は、距離を超えて機能しているのだと感じます。
パリ五輪と家族の支えを胸に世界で戦う大塚達宣
大塚達宣さんは2021年の東京五輪に続き、2024年のパリ五輪にも日本代表として出場しています。
東京五輪は大学在学中での出場という前人未到の快挙であり、オリンピックデビューはイタリア戦での途中出場でした。
「自分が流れを変える。思い切ったプレーをしよう」と奮い立ったというエピソードは、大塚さんらしい前向きな姿勢を示しています。
東京五輪で7位に終わった日本代表は、その後着実に力をつけ、パリ五輪でも世界の強豪国と真剣勝負を繰り広げました。
パリ五輪後にイタリア・セリエAのミラノへ移籍したことは、大塚さんが世界最高峰の舞台でさらに成長しようとする強い意思の表れです。
ミラノは前シーズンまで石川祐希さんが在籍していたチームであり、大塚さんが最もよく映像を見ていたチームだったとのことです。
監督を筆頭にエネルギッシュで、練習の熱量が高く、チームとして一体となることを重んじるクラブ。
そのスタイルは大塚さんが好きなタイプのチームと合致しており、「チームが結果を出すために何をすべきか」という細かいミーティングにも大きな納得感を覚えていると語っています。
イタリア人コーチからは「お前、ユウキと全然違うな(笑)」と言われるほど、自分からグイグイ行く積極的なコミュニケーションスタイルが評価されています。
これは、家族との会話を大切にする大塚家のスタイルと、「自分をどんどん発信する」という大塚さん自身の信念が組み合わさった個性です。
「五輪で金メダルを獲ったとしても、そこで選手として終わっていいとは思わない。まだ自分にはできることがある、もっと上に行けると思い続けるはず」という言葉には、家族から受け継いだ向上心が宿っています。
世界の舞台に立ちながら、常に家族への感謝と家族から受けた教えを胸に戦い続ける大塚達宣さんの姿は、多くのバレーボールファンを惹きつけています。
右ひじ手術と世界選手権復帰を目指す現在
順調に思えた大塚達宣さんの2025年シーズンに、思わぬ試練が訪れました。
日本バレーボール協会は2025年7月4日、大塚達宣さんが右ひじ関節の手術を受けたことを発表しました。
傷病名は「右肘関節内遊離体」で、「関節鏡下関節鼠摘出術」という手術を受けています。
手術前のVNLでの活躍と復帰の目標
手術を受ける直前まで、大塚さんはネーションズリーグ2025(VNL)に出場し、チームの中心選手として活躍していました。
予選ラウンド2週目終了時点で、日本代表チーム内で2番目となる76得点をマークしており、その調子の良さが際立っていました。
中国ラウンド・ブルガリアラウンドの2週にスタメン出場し、ブルガリアラウンドのスロベニア戦では宮浦健人さんに次ぐ15得点を挙げるなど、チームへの貢献度は非常に高い状態でした。
その直後に右ひじの問題が発覚し、手術へと至ったのです。
完治の目安は公表されていませんが、9月に開幕する男子世界選手権での復帰を目指してリハビリに取り組んでいます。
イタリア移籍後の苦境を母親・淳子さんのサポートで乗り越えたように、今回の手術とリハビリも家族の支えを胸に乗り越えていくことでしょう。
大塚さんはかつて「五輪で金メダルを獲ったとしても、そこで選手として終わっていいとは思わない。まだ自分にはできることがある、もっと上に行けると思い続けるはず」と語っていました。
その言葉通り、ケガをも糧にしてさらに高みへ向かう大塚達宣さんの今後に、目が離せません。
大塚達宣の家族と競技人生の総まとめポイント
- 大塚達宣さんの家族は父・正宣さん、母・淳子さん、妹・希美さんの4人家族
- 父親・正宣さんは大阪府立牧野高校の元体育教師でバレーボール部顧問を務めた
- 正宣さんは現在、日本バレーボール協会協議委員会の副委員長という要職に就く
- 幼少期の大塚さんはテレビ中継で父親を見つけるのが楽しみだった
- 父親は自宅でバレーの技術指導をせず、休日はキャッチボールやグラウンドゴルフで親子の時間を大切にした
- 母親・淳子さんも元体育教師でバレーボール部を指導した経験がある
- 淳子さんは栄養士監修のプリントを使って栄養学を自ら学ぶなど、食事面から息子を支えた
- 「ありがとうを大切にする」など、大塚家は5つの家庭ルールを共有していた
- 妹・希美さんは2歳年下で、一般人のため詳しい情報は公表されていない
- 実家ではハリネズミ3匹(はり子・はり美・はり宣)を飼っており、家族の癒しとなっている
- 大塚さんは高校卒業時にVリーグからのオファーを断り、教員免許取得のため早稲田大学を選んだ
- 2021年の東京五輪に大学在学中に出場し、同年パナソニックパンサーズにも入団(現役大学生初)
- イタリア移籍後に精神的な苦境に陥り、母親・淳子さんのサポートと石川祐希さんの存在に救われた
- 2024-25シーズンはイタリア・セリエAのパワーバレー・ミラノでプレー
- 2025年7月に右ひじ関節の手術を受け、世界選手権での復帰を目指している
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