村田修一の嫁・佐久間絵美との結婚の馴れ初めと3人の子供の現在

村田修一の嫁・佐久間絵美との結婚の馴れ初めと3人の子供の現在

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村田修一さんの嫁について、どんな人なのか気になっている方は多いのではないでしょうか。

嫁の名前は佐久間絵美さんで、栃木県小山市出身の一般女性です。

大学時代に村田修一さんが一目惚れして猛アプローチを続け、2004年に横浜ベイスターズ在籍中に入籍という形で結婚しています。

現在は長男・閏哉さん、次男・凰晟さん、三男・瑛悟さんの3人の子供たちと家族5人で仲良く過ごしており、特に長男の奇跡的な誕生秘話や次男からの感動の手紙は多くの人の心を打っています。

この記事では、村田修一さんの嫁・絵美さんとの馴れ初めや、子供たちとの心温まる家族エピソードについて詳しく紹介します。

記事のポイント

①:嫁・佐久間絵美さんは栃木県小山市出身の元会社員

②:大学時代の一目惚れから2004年に結婚

③:長男は712グラムの超未熟児として誕生し奇跡の回復

④:次男が「2000本安打残り135本を達成する」と宣言

村田修一の嫁・絵美さんの素顔と馴れ初め

  • 嫁・絵美さんのプロフィールと出身地
  • 大学での一目惚れから始まった馴れ初め
  • 絵美さんへの熱い想い|愛妻家の理由
  • 絵美さんの実家・栃木県小山市について
  • 村田修一の現在|DeNA二軍監督として

嫁・絵美さんのプロフィールと出身地

嫁・絵美さんのプロフィールと出身地

ここでは、村田修一さんの嫁・絵美さんのプロフィールと、村田修一さん本人の基本情報について整理します。

項目 内容
本名 村田修一(むらた しゅういち)
生年月日 1980年12月28日
2026年04月02日現在の年齢 45歳
出身地 福岡県
身長・体重 177cm・92kg
出身校 東福岡高校→日本大学
ドラフト 2002年自由獲得枠
主な所属チーム 横浜ベイスターズ(2003〜2011)、読売ジャイアンツ(2012〜2017)
現職 横浜DeNAベイスターズ 二軍監督

下記の表は、嫁・絵美さんの基本情報をまとめたものです。

項目 内容
名前 佐久間絵美(さくま えみ)
出身地 栃木県小山市
職業 元会社員
入籍 2004年(結婚式は2005年)
子供 3人(長男・閏哉、次男・凰晟、三男・瑛悟)

村田修一のキャリアと実績

村田修一さんは東福岡高校から日本大学に進学し、2002年のドラフトで自由獲得枠として横浜ベイスターズに入団しました。

入団当初から強打者としての才能を発揮し、プロ入り6年目の2008年にはシーズン46本塁打・打率.323という自己最高の成績を残しています。

その後2012年にFA権を行使して読売ジャイアンツへ移籍し、チームの中心選手として長年活躍しました。

2016年には打率.302・25本塁打・81打点という堂々たる成績でセ・リーグ三塁手のベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しており、全盛期の実力を証明しています。

通算成績は1953試合出場、打率.269、360本塁打、1865安打、1123打点。

2000安打まで残り135本というところで2017年オフに巨人から自由契約となり、翌2018年は独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスでNPB復帰を目指しながらプレーしました。

しかし移籍可能期限までに獲得球団が現れず、2018年9月に引退を発表しています。

嫁・絵美さんの人物像

嫁の佐久間絵美さんは、栃木県小山市出身の一般女性で、職業は会社員でした。

村田修一さんとは大学時代に出会い、交際を経て2004年に入籍し、翌2005年には結婚式も挙げています。

絵美さんは基本的に表舞台には出ず、あくまで家族を陰から支える存在として村田修一さんのキャリアを支えてきた方です。

公の場に出てくることはほぼなく、メディアへの直接的な登場も控えていますが、村田修一さんが様々なインタビューで絵美さんへの感謝と愛情を語っており、内助の功の大きさがうかがえます。

2人は結婚から20年以上にわたって家族を大切にしながら歩んでおり、3人の息子たちもすくすくと成長しているようです。

ここ、気になりますよね。詳しくは次のセクションで馴れ初めについてお伝えします。

大学での一目惚れから始まった馴れ初め

村田修一さんと嫁・絵美さんの出会いは、2人が大学に在籍していた頃のことです。

村田修一さんは日本大学で野球に打ち込んでいた時期に絵美さんと出会い、一目見た瞬間に完全に恋に落ちたと語っています。

一目惚れのきっかけ

村田修一さん自身のインタビューによれば、絵美さんを初めて見た瞬間に「惚れちゃいましたね」と感じたそうです。

本人はこれを「完全に一目惚れです」と表現しており、それほど強烈な第一印象だったことが伝わってきます。

ただ、2人がなかなか会える機会がなく、村田修一さんはイライラしたり、たまに会えた時はすごくテンションが上がったりしていたと振り返っています。

遠くから見ているだけでは満足できず、積極的に連絡先を聞いたりしていたようです。

試合観戦への誘いと絵美さんの反応

村田修一さんが絵美さんに対して特に熱心にお願いしていたのが「試合を見に来てほしい」という誘いです。

何度もお願いしてやっと試合を見に来てもらえたものの、村田修一さん自身が「絵美が観にきてくれたときに結果を出せなかったときは、恥ずかしかったなあ」と語っており、好きな人の前での失敗に赤面していたようですw

そんな中で村田修一さんの支えになっていたのが、試合後に絵美さんがかけてくれた「お疲れさま」という一言でした。

「試合が終わってからの『お疲れさま』って言葉を聞くとほんとに癒されましたね。今でもですよ」と語っており、シンプルな一言がどれだけ大きな力になっていたかが伝わってきます。

一方、絵美さんの側はというと、当初は村田修一さんに対してそれほど積極的ではなかったようです。

村田修一さんも「その時の絵美はオレに全然興味なさそうでしたけど」と認めていますが、そこから諦めずにアプローチし続けた点がいかにも村田修一さんらしいですよね。

粘り強くアプローチを続けた結果、交際がスタートしました。

交際が始まってからは「絵美のために頑張る」という気持ちがすごく強くなり、プレーにも好影響をもたらしたと村田修一さんは語っています。

大学時代に育んだこの関係は2004年の入籍へとつながっており、まさに大学からの長い付き合いが実を結んだ形といえます。

絵美さんへの熱い想い|愛妻家の理由

村田修一さんが愛妻家として知られている理由は、嫁・絵美さんへの感謝と愛情を公の場でもストレートに語ってきたことにあります。

インタビューで語った絵美さんへの想い

あるインタビューで村田修一さんは絵美さんへの気持ちについて、非常に率直な言葉で語っています。

特に印象的なのが次のコメントです。

「絵美がいるから、オレも変わることができたって感じです。絵美と出会うことができなかったら、今のオレはないですから。絵美に出会えたことに感謝してますよ!」

これほどストレートに「出会えてよかった」と語れる男性は、なかなかいないのではないでしょうか。

また「交際がスタートしてからは『絵美のために頑張る』って気持ちがすごかったですね」とも語っており、絵美さんの存在がプロとしての原動力になっていたことがよくわかります。

さらに「今でも絵美のことは好きだし、これからも一緒に幸せな家庭を過ごしたいって思いますね」という言葉からは、長年一緒にいてもなお変わらぬ愛情が感じられます。

スキャンダルがない理由

プロ野球選手の中には、スキャンダルが報じられることもありますが、村田修一さんは現役生活を通じてそういった話が一切出てこなかった選手として知られています。

現役15年間、スキャンダルとは無縁の愛妻家という評価は、この点においても裏付けられています。

村田修一さんの行動のふしぶしから、絵美さんや家族のことを本当に大事に思っていることが伝わってきます。

「男の中の男」と呼ばれるほどの豪快なイメージを持ちながら、家族思いで誠実な一面を持っていることが、多くのファンに愛されてきた理由のひとつといえるでしょう。

絵美さんもそんな村田修一さんの姿を長年支えてきた存在であり、2人の絆は結婚から20年以上が経った今も変わらないようです。

プロ野球選手として忙しい日々を送りながらも、家族のために全力を尽くす姿勢は、野球選手としてのプレーと同様に真摯なものだったということが、数々のエピソードからわかります。

まさに「好きな人のために頑張る」という純粋な動機が、村田修一さんをここまで引き上げてきたのかもしれません。

絵美さんの実家・栃木県小山市について

嫁・絵美さんの実家は栃木県小山市にあると伝えられています。

ここでは絵美さんの地元・小山市について、また村田修一さん自身の実家についても触れながら紹介します。

絵美さんの地元・栃木県小山市とは

栃木県小山市は、栃木県の南部に位置する中核市で、JR両毛線や水戸線が通る交通の要衝として知られています。

農業が盛んな土地柄でありながら、近年は東京へのアクセスの良さから住宅地としての人気も高まっています。

小山市は「住みやすい街」として栃木県内でも評価が高く、落ち着いた住環境が特徴の地域です。

絵美さんはそんな小山市で育ち、大学進学をきっかけに村田修一さんと出会うことになります。

結婚後は村田修一さんの所属球団に合わせて生活拠点を移すことになりましたが、実家が栃木県にあることは変わりません。

なお、村田修一さんが2018年に独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレーしたことは、絵美さんの地元である栃木県との縁を感じさせるエピソードでもあります。

村田修一さんの実家と熊本地震

村田修一さん自身の実家は熊本県にあります。

2016年4月に発生した熊本地震では、村田修一さんの実家が倒壊してしまうという被害を受けました。

村田修一さんはその際「思い出もたくさんあるし寂しい」と胸を痛めながらも、「野球をして元気付けるしかない」と活躍を誓う言葉を発しています。

この言葉からは、どんな逆境の中でも野球を通じて人々に勇気を与えようとする村田修一さんの姿勢が見えてきます。

栃木出身の絵美さんと熊本出身の村田修一さん。

2つの地方出身の2人が大学という場で出会い、家族を築き上げてきたわけです。

それぞれの実家や地元への思いを大切にしながら、プロ野球選手として各地に移り住む生活を続けてきた2人の絆は、さらに強固なものになっていったのではないでしょうか。

村田修一の現在|DeNA二軍監督として

2018年9月に独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスで引退した村田修一さんは、その後横浜DeNAベイスターズに関わりを持ち、現在は二軍監督として活動しています。

独立リーグ時代と引退の経緯

2017年オフに読売ジャイアンツから戦力外通告を受けた村田修一さんは、NPBへの復帰を諦めずに2018年シーズンを栃木ゴールデンブレーブスでプレーしました。

前年2016年にはベストナインとゴールデングラブ賞を受賞していただけに、この戦力外通告は多くのファンに驚きをもって受け止められました。

通算1865安打(2000安打まで残り135本)、360本塁打という実績を持ちながらも、7月31日の移籍可能期限までに獲得球団が現れることはなく、2018年9月に引退を発表しました。

独立リーグでの引退試合では家族からの花束を受け取るセレモニーが行われ、感動的なものとなっています。

DeNA二軍監督就任後の活躍

引退後の村田修一さんは、かつて在籍していた横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)のコーチングスタッフに加わりました。

現在は横浜DeNAベイスターズの二軍監督(背番号75)として、若手選手の育成に力を注いでいます。

現役時代に培ってきた打撃技術や精神面の強さを、次世代の選手たちに伝える役割を担っています。

かつては自身がNPBの舞台で360本塁打を放ち、2000安打にも迫った実力者。

その経験と知識は指導者としても大きな財産であり、嫁・絵美さんや家族の支えを受けながら、第二の野球人生を歩んでいます。

村田修一の嫁と子供たちが語る深い絆

  • 長男・閏哉さんの誕生と奇跡の回復
  • 次男・凰晟さんの手紙で泣ける理由
  • 三男・瑛悟さんと3兄弟の現在
  • 父親・村田修一が子供に見せた背中
  • NICU支援|長男の闘病が生んだ慈善活動
  • 引退後の家族エピソードと今後の展望

長男・閏哉さんの誕生と奇跡の回復

長男・閏哉さんの誕生と奇跡の回復

村田修一さんの嫁・絵美さんとの間には3人の息子がいますが、特に長男・閏哉さんの誕生にまつわるエピソードは、多くの人の心を打つものとなっています。

超未熟児として誕生

長男の閏哉さんは、生まれた時の体重がわずか712グラムしかなかったそうです。

712グラムという超未熟児として誕生した閏哉さんは、生まれてすぐに診断を受けることになります。

診断の結果判明したのは「動脈管開存症」という病気でした。

動脈管開存症とは、本来出生後に自然に閉じるはずの血管(動脈管)が閉じないまま残ってしまう先天性の心臓疾患で、放置すると心臓や肺に大きな負担がかかります。

閏哉さんは産まれてすぐに大手術を行うことになり、その時期は村田修一さんにとっても嫁・絵美さんにとっても、非常に心の痛む時期だったといいます。

「嫁が腹を痛めて産んでくれて、生まれた瞬間に生死をさまよった子供だったから。生きてくれていて本当に嬉しかったし涙が溢れましたね」と村田修一さんはその時の気持ちを語っています。

「初めて神様に感謝したんじゃないかな」という言葉は、どれほど切実だったかを物語っています。

長男の闘病が変えた村田修一の野球観

幸いにも閏哉さんは大手術を乗り越えて一命を取り留め、その後すくすくと成長していきました。

この出来事は村田修一さんの人生観と野球観を大きく変えるきっかけになっています。

野球でなかなか結果が出せなかったとしても、「閏哉くんの頑張りに比べたら大したことない!」と自分を奮い立たせるようになったと語っており、長男の闘病が精神的な支柱になっていったのです。

「子供ができてから、もっと父さん頑張らなきゃなって。だから今は、嫁と子供のために1試合1試合全力でやってます」という言葉には、家族を思う父親としての強さが滲んでいます。

閏哉さんの回復を目の当たりにして「ちょっとした怪我なら、家族にも監督やコーチにも言いませんね」と語るほど、閏哉さんの頑張りが村田修一さんの根性を引き出していったのです。

長男の誕生と奇跡的な回復は、村田修一さんというプロ野球選手の土台を作った出来事といっても過言ではないでしょう。

次男・凰晟さんの手紙で泣ける理由

村田修一さんの次男・凰晟さんにまつわるエピソードも、多くの人の涙を誘うものとなっています。

特に有名なのは、引退に際して次男が語った言葉と、テレビ番組で披露された手紙のエピソードです。

引退発表前日に聞いた言葉

村田修一さんは2018年8月1日に引退を表明する会見を開きましたが、その前日に3人の子供たちに対してこう伝えたといいます。

「野球選手はやめるけど、君たちの親父であることは変わらないから」

この言葉を伝えた時、次男の凰晟さんから返ってきた言葉が「次は僕が頑張る」というものでした。

思いもよらない息子の一言に、村田修一さんはハッとして少年時代の自分を思い出し、重ね合わせたといいます。

父親が頑張る姿を見ながら育ってきた息子が、今度は自分が受け継ぐと言葉にした。

このやり取りは、村田修一さんが親子の間で野球への思いが受け継がれていることを感じた瞬間だったのではないでしょうか。

ジャンクスポーツでの感動の手紙

2018年12月16日に放送された「ジャンクSPORTS」では、次男・凰晟さんが書いた手紙が披露されました。

手紙は「パパ、またユニホーム着れてよかったね」という、巨人コーチ就任を祝福する言葉で始まります。

続いて「いつも野球を教えてくれてありがとう」という感謝の言葉が続くと、村田修一さんの目はみるみるウルウルしてきたそうです。

そして手紙のクライマックスには、こんな言葉が綴られていました。

「パパが達成できなかった2000本安打。僕が残り135本を打てるように努力してプロ野球選手を目指します。これからもよろしく」

この言葉に村田修一さんは男泣きしてしまい、スタジオの他のゲストも涙するという感動的な場面となりました。

MCの浜田雅功さんが「”男”村田と言われてて、わんわん泣いてるやんッ」とツッこむことも忘れなかったのが、また良い場面でしたw

2000本安打まで残り135本で引退した父親の夢を、息子が受け継ごうとしている。

これ以上に感動的な親子の物語はなかなかないですよね。

三男・瑛悟さんと3兄弟の現在

村田修一さんと嫁・絵美さんの間には、長男・閏哉さん、次男・凰晟さん、そして三男・瑛悟さんの3人の息子がいます。

三男・瑛悟さんについては詳細な情報は明らかになっていませんが、3人の兄弟が仲良く成長している様子が伝わってきます。

3人の息子の成長の様子

長男・閏哉さんは超未熟児として誕生し命の危機もありましたが、その後はすくすくと成長し、現在も元気に過ごしているといいます。

次男・凰晟さんは前述の通り、父親の引退時に感動的な言葉をかけ、「プロ野球選手を目指す」と宣言するほどの野球少年に育っています。

2018年時点で凰晟さんはすでに野球を始めており、父親の背中を追って本格的にプレーするようになっていました。

三男・瑛悟さんも兄たちの影響を受けながら、のびのびと育っているものと思われます。

3人それぞれが個性を持ちながら、村田修一さんと嫁・絵美さんのもとで大切に育てられていることは、数々のエピソードから伝わってきます。

長男の闘病を乗り越え、次男の感動の手紙があり、三男も加わって5人家族として過ごす日々。

村田修一さんが現役時代に積み上げてきたものは、成績やタイトルだけでなく、この家族との時間の中にも確実に刻まれています。

家族全員で歩む野球への道

村田修一さんは息子たちに野球を教えることを楽しみにしており、次男が「いつも野球を教えてくれてありがとう」と手紙に書いたほど、父と子が野球を通じてコミュニケーションを深めていることがわかります。

プロ野球選手として長年活躍した父親から直接教わることができるというのは、息子たちにとって何物にも代えがたい経験です。

嫁・絵美さんもそんな父と子の時間を支えながら、家族全員が野球というテーマのもとに集まっている姿を温かく見守っているのではないでしょうか。

凰晟さんが本当にプロ野球選手として活躍する日が来れば、「2000本安打残り135本」という父親の夢が、形を変えて実現することになります。

そんな日を楽しみに待っているのは、家族だけでなく、村田修一さんのファンも同じではないでしょうか。

父親・村田修一が子供に見せた背中

村田修一さんは「男の中の男」と呼ばれる豪快なキャラクターで知られていますが、家族の前では涙もろく優しい父親の顔を見せてきました。

数々のエピソードから、子供たちに何を伝えようとしてきたかが見えてきます。

子供への引退告知

2018年8月の引退会見を控えた前日、村田修一さんは3人の子供たちに引退を伝えています。

その時の言葉は「野球選手はやめるけど、君たちの親父であることは変わらないから」というものでした。

この一言は、父親としての覚悟と愛情が詰まった言葉として多くの人に伝わっています。

野球選手としての自分が終わっても、父親としての自分は変わらない。

プロ野球選手という立場を超えた部分で子供たちと向き合おうとする姿勢は、多くの親が共感できるものではないでしょうか。

息子の前でのホームランに涙

現役時代、村田修一さんは息子の前でホームランを打ち、ヒーローインタビューで涙を流したことがあります。

息子に「パパがヒーロー」な姿を見せられた喜びは、本人にとっても特別な瞬間だったのでしょう。

普段は豪快で男らしいイメージのある村田修一さんが、子供の前では素直に感情をあらわにする。

その姿は「かっこいい父親」そのものといえます。

子供たちにとって、父親が全力でプレーし、勝利の瞬間に涙する姿を目の当たりにすることは、言葉以上の教育になるはずです。

どんなに結果が出なくても全力を尽くす姿勢、勝利の喜びを感情豊かに表現できること、そして家族への愛情を言葉と行動で示すこと。

村田修一さんが子供たちに見せてきた「背中」には、プロ野球の技術だけでなく、人としての生き方が凝縮されています。

嫁・絵美さんとともに家族5人で歩んできた月日の中で、そういった父親の姿が3人の息子たちの心に刻まれていることは間違いないでしょう。

NICU支援|長男の闘病が生んだ慈善活動

村田修一さんは現役選手時代から、新生児医療(NICU)を支援する慈善活動を続けてきました。

この活動のきっかけとなったのが、長男・閏哉さんが超未熟児として誕生し、NICUで入院・治療を受けたという経験です。

NICUへの寄付活動の内容

村田修一さんは横浜ベイスターズ在籍時の2008年から、新生児医療への支援活動を開始しました。

活動の内容は多岐にわたり、NICUを持つ病院への寄付金の送付、入院中の子供たちへの訪問、そして球場への招待などを継続的に行っています。

寄付の方式として、2013年頃までは「1打点につき1万円を積み立て」という形をとっていました。

試合ごとの成績が直接支援につながる仕組みで、村田修一さんがいい成績を残すほど子供たちへの支援も厚くなるという形です。

2014年からはさらに踏み込んで「1安打につき1万円を積み立て」という形に変更しています。

また2014年には成績とは別に約200万円を追加で寄付しており、活動への真摯な取り組みがうかがえます。

継続的な支援の意義

この活動が2008年から長年にわたって続いているのは、長男・閏哉さんの経験が村田修一さんにとってそれだけ大きなものだったからにほかなりません。

「めっちゃ心配しましたよ。てか、自分の子供が病気になって心配しない人はいないでしょ」と当時を振り返っており、親として最もつらい経験を乗り越えてきたからこそ、同じ境遇の家族への思いが強いのです。

子供の命が救われたことへの感謝を、形として表していくこと。

打撃成績が直接支援額につながる仕組みは、試合ごとのプレーに別の意味も持たせており、村田修一さんにとってNICU支援は野球人生と切り離せない活動になっていたといえます。

嫁・絵美さんも長男の誕生を共に経験した当事者として、この活動を陰で支えてきたことは想像に難くありません。

引退後の家族エピソードと今後の展望

2018年9月の引退セレモニーでは、村田修一さんと家族の絆を象徴する場面がありました。

栃木ゴールデンブレーブスでの引退セレモニーにて、家族から花束を渡される場面は、多くのファンの記憶に残る光景となっています。

引退セレモニーでの家族との場面

独立リーグのグラウンドで行われた引退セレモニーは、NPBのチームで盛大に行われるものとは違う、どこか人間味あふれる空気に包まれたものとなりました。

嫁・絵美さんや子供たちが駆けつけ、花束を手渡す場面は「家族がいたからここまで来られた」という村田修一さんの歩みを体現するようなシーンでした。

プロ野球の世界から独立リーグまで、志半ばで引退することになったとしても、その傍らには常に家族の存在がありました。

「野球選手はやめるけど、君たちの親父であることは変わらないから」という言葉通り、引退後も父親・夫として新たなスタートを切っています。

家族と歩む第二の野球人生

引退後の村田修一さんは横浜DeNAベイスターズのスタッフとして野球界に戻り、現在は二軍監督として若手選手の育成に励んでいます。

かつて自身が主砲として活躍したベイスターズで、今度は指導者として新たな歴史を刻んでいるという点は、感慨深いものがあります。

嫁・絵美さんや3人の息子たちの支えを受けながら、村田修一さんは野球人として第二の章を歩んでいます。

次男・凰晟さんが「プロ野球選手を目指す」と宣言したこともあり、いつか指導者・村田修一のもとで自身の息子がプレーするという夢のような光景が実現する日も、もしかしたらあるかもしれません。

嫁・絵美さんとの大学時代の恋愛から始まり、3人の子供たちとの数々のエピソードを経て、現在に至る村田修一さんのストーリーは、野球選手としての輝きと家族としての温かさが交差する、豊かなものとなっています。

これからの村田修一さんの指導者としての歩みと、家族の動向についても、引き続き注目していきたいですよね。

村田修一の嫁・絵美さんと家族の総まとめ

  • 村田修一さんの嫁は佐久間絵美さんで、栃木県小山市出身の元会社員
  • 2人は大学時代に出会い、村田修一さんが一目惚れして猛アプローチを続けた
  • 2004年に入籍し、翌2005年に結婚式を挙げた
  • 試合後に絵美さんがかけてくれる「お疲れさま」という一言が村田修一さんの大きな癒しだったと語られている
  • 絵美さんは現役時代を通じて常に陰から村田修一さんを支えた内助の功の存在
  • 2人の間には長男・閏哉さん、次男・凰晟さん、三男・瑛悟さんの3人の息子がいる
  • 長男・閏哉さんは712グラムの超未熟児として誕生し、動脈管開存症の大手術を乗り越えた
  • 長男の闘病経験が村田修一さんの人生観・野球観を大きく変えるきっかけとなった
  • 次男・凰晟さんは引退発表前日に「次は僕が頑張る」と言葉をかけた
  • 凰晟さんが書いた手紙はジャンクスポーツで紹介され、「2000本安打残り135本を自分が達成する」という言葉がスタジオを涙に包んだ
  • 村田修一さんは2008年から新生児医療(NICU)支援の慈善活動を継続している
  • 支援内容は1安打1万円の積み立てによる寄付、病院訪問、球場招待など多岐にわたる
  • 現役15年360本塁打・1865安打を記録し、スキャンダルとも無縁の愛妻家として知られた
  • 引退セレモニーでは家族全員から花束を受け取り感動の場面となった
  • 現在は横浜DeNAベイスターズ二軍監督として次世代の育成に力を注いでいる

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