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古賀塔子さんの兄について、サッカーとの関係や家族構成が気になっている方は多いのではないでしょうか。
古賀塔子さんは2006年1月6日生まれ、大阪府豊中市出身の女子サッカー選手です。19歳にしてイングランドの最高峰リーグWSLのトッテナム・ホットスパーに加入した、異例のキャリアを持つ逸材として注目を集めています。
なでしこジャパンのメンバーとして2024年パリ五輪にも出場し、2025年シービリーブスカップでは決勝点を決めて初優勝に貢献するなど、世界レベルで存在感を放っている選手です。
そのサッカー人生の原点は、兄の影響を受けた小学1年生の頃にさかのぼります。この記事では、古賀塔子さんの兄の存在や家族構成、そして兄の影響がいかに彼女のサッカー人生に深く関わってきたかを詳しく紹介します。
記事のポイント
①:古賀塔子さんは兄の影響で小学1年生からサッカーを開始
②:兄が所属していた大阪・豊中市のFCグラシオンに入団
③:家族は兄と両親の4人構成と明らかに
④:現在はトッテナム所属で2025年カップ優勝に貢献
古賀塔子の兄とサッカーを始めたきっかけ
- 兄と一緒に入ったFCグラシオンでの日々
- 古賀塔子のプロフィールと大阪・豊中市での生い立ち
- 兄と歩んだJFAアカデミー福島への挑戦
- 兄と両親からなる古賀塔子の家族構成
- 谷川萌々子との出会いと中高6年間の成長
兄と一緒に入ったFCグラシオンでの日々
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古賀塔子さんがサッカーを始めたのは、兄の存在がきっかけでした。
小学1年生の頃、兄がサッカーをしているのを見て自分もやりたいという気持ちが芽生え、兄が所属していた大阪・豊中市のFCグラシオンに入団したとされています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 古賀 塔子(こが とうこ) |
| 生年月日 | 2006年1月6日 |
| 2026年03月22日現在の年齢 | 20歳 |
| 出身地 | 大阪府豊中市 |
| 身長 | 173cm |
| 体重 | 58kg |
| ポジション | DF(センターバック) |
| 利き足 | 右足 |
| ユース経歴 | FC Grasion → JFAアカデミー福島(13期生) |
| 所属チーム | トッテナム・ホットスパー(イングランド) |
| 代表 | なでしこジャパン(U-17含む) |
FCグラシオンとはどんなクラブか
FCグラシオンは、大阪府豊中市を拠点にする地域密着型のサッカークラブです。
男女どちらも受け入れており、地域の子どもたちがサッカーに親しめる環境を提供してきた歴史あるクラブです。
実はこのクラブ、日本代表のDF西尾隆矢選手(セレッソ大阪・U-23日本代表)もグラシオン出身で、西尾選手の兄がコーチを務めていたことでも知られています。
古賀塔子さんもこのクラブの指導者に恵まれており、JFAナショナルトレセン関西でのプレー経験も積んでいます。
指導にあたった岡コーチは「お兄ちゃんが来ていて、じゃああなたも入ったら?という女の子です。ちょうど澤穂希さんたちが2011年W杯で優勝したぐらいの頃ですね」と語っています。
日本女子サッカー史上最大の盛り上がりと時を同じくして、古賀塔子さんはボールを蹴り始めたわけです。
ここ、なんか縁を感じますよね。
兄と共に過ごしたグラシオンでの成長
入団当初の古賀塔子さんは、人見知りで内気な少女だったとされています。
しかし、ボールを持つと一変したというのが当時の岡コーチの印象でした。
「ご両親がスポーツをされていて、運動ができるタイプの子でした。足の速さは当時から抜けていて」という言葉通り、持ち前の身体能力は幼少期から際立っていたようです。
小学4年生から選手登録をして公式戦に出場し、男子に混じってセンターバックやサイドハーフ、フォワードをこなしていたとのことです。
まだキックの精度は発展途上だったものの、スピードを生かして裏に抜け出すプレーは得意だったと伝えられています。
「足は速かったんで裏には抜け出せてもシュートが入れへんとかはよくありましたね」という岡コーチの苦笑交じりのコメントが、当時の古賀塔子さんのキャラクターを鮮明に伝えてくれます。
男の子の相手でもぶつかっても負けない強さが、この頃からすでに備わっていたとのことです。
兄と同じグラウンドで汗をかいた日々が、現在の「女性版冨安」とも称される強固な守備スタイルの礎を築き上げたと言っても過言ではないでしょう。
グラシオンでの経験は、古賀塔子さんのサッカー人生において欠かすことのできない原点となっています。
古賀塔子のプロフィールと大阪・豊中市での生い立ち
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ここでは、古賀塔子さんの生い立ちと名前の由来について掘り下げます。
名前「塔子」の由来と豊中市のシンボル
古賀塔子さんが小学6年生まで過ごした大阪・豊中市周辺には、万博記念公園の「太陽の塔」という北摂を代表するシンボルがあります。
名前に込められた「塔」の一文字は、この太陽の塔に由来するとされています。
地域のシンボルにちなんだ名前というのは、豊中市への愛着や誇りを感じさせますよね。
大阪・豊中市は古くから住宅地として発展してきた街で、スポーツが盛んな地域でもあります。
古賀塔子さんの両親もスポーツをしていたとされており、運動能力の高い家庭環境が彼女の才能を引き出す土台となったのかもしれません。
幼少期の性格と身体能力の特徴
岡コーチによれば、入団当初の古賀塔子さんは人見知りで内気な性格だったとのことです。
しかし、ボールを持った瞬間にキャラクターが一変するという、ある種の二面性があったようです。
特に際立っていたのが走力で、女の子の中では飛び抜けたスピードを持っていたと証言されています。
「小さい頃って、女の子の方がデカいんですよ」という言葉の通り、同学年の男子に負けないくらいの体格を早くから備えていたことも大きなアドバンテージでした。
2016年には、大阪で行われたリオデジャネイロ五輪のサッカー女子最終予選を観戦しに行ったとされています。
スタジアムでは当時のなでしこジャパンメンバーのボードが置かれ、当時小学5年生だった古賀塔子さんはそのボードと一緒に記念撮影したと伝えられています。
そのボードの中には、後に古賀塔子さんとともにパリ五輪を戦う熊谷紗希選手の姿もありました。
あこがれのなでしこジャパンを目の前にして、どれほど胸が高鳴ったことか——。
その後、小学6年生のとき石川県で行われた大会で、のちにともにJFAアカデミー福島を歩む谷川萌々子さんと初めて出会います。
古賀塔子さんは当時、谷川さんのことを「めっちゃすごい女子おるやん」と驚いたとのことで、強い印象を受けていたことがわかります。
その後の選考試験で再会した2人は、JFAアカデミー福島の同期として6年間を共に過ごすことになります。
古賀塔子さんの幼少期は、才能とあこがれ、そして運命的な出会いに彩られていたと言えるでしょう。
兄と歩んだJFAアカデミー福島への挑戦
古賀塔子さんがJFAアカデミー福島を目指したのは、兄が所属していたFCグラシオンの先輩がアカデミーに進んでいたことがきっかけの一つでした。
JFAアカデミー福島とはどんな育成組織か
JFAアカデミー福島は、日本サッカー協会(JFA)が運営する、世界で活躍するサッカー選手を育てるための育成機関です。
中高一貫の6年間、選手たちは専門施設と充実した指導環境のもとで寮生活を送ります。
スポーツだけでなく、外国語やコミュニケーション能力なども専門的に学ぶカリキュラムが組まれており、将来的に世界でプレーするための能力を総合的に高められる環境が整っています。
2011年の東日本大震災と原発事故の影響で、当初の拠点だったJヴィレッジが使えなくなり、しばらくの間は静岡県内で活動を続けていました。
古賀塔子さんが在籍していた13期生の頃はまだ静岡県内での活動期間にあたり、福島を離れた地で鍛錬を積んでいます。
小学6年での受験と合格の意味
古賀塔子さんがJFAアカデミー福島の選考試験を受けたのは、小学6年生のときです。
「JFAアカデミー福島は、グラシオン出身の先輩がいたことで、入ることが目標になっていました」と岡コーチも語っており、先輩の背中が憧れと挑戦への動機を生んでいたことがわかります。
選考試験は非常に競争率が高く、日本全国から将来性ある選手が集まります。
その選考の場で出会ったのが、先に触れた谷川萌々子さんです。
石川県の大会でひと目置いていた選手と、偶然にも同じ選考試験で再会したわけです。
古賀塔子さんの合格は、大阪を離れて親元から旅立つという大きな決断を意味していました。
小学生でありながら、長く一緒にいた兄とも離れて生活することになります。
それでも、より高いレベルでサッカーに打ち込める環境を選んだ判断は、後に間違いではなかったと証明されています。
岡コーチは「塔子がこれだけ成長できたのは、完全にJFAアカデミー福島のおかげですね」と、JFAアカデミーが古賀塔子さんの成長に果たした役割を高く評価しています。
技術面や戦術的な理解、さらには環境面での充実が、古賀塔子さんの大きな飛躍を後押ししたのでしょう。
JFAアカデミー福島への挑戦は、兄と過ごした豊中市のグラウンドで培った土台があったからこそ実現したとも言えます。
兄と両親からなる古賀塔子の家族構成
古賀塔子さんの家族構成は、本人・兄・父親・母親の4人家族とされています。
| 続柄 | 人物 | 備考 |
|---|---|---|
| 本人 | 古賀塔子 | 女子サッカー選手(なでしこジャパン) |
| 兄 | 非公表 | FCグラシオンでサッカーをしていた |
| 父親 | 非公表 | 一般人・スポーツ経験者と言及あり |
| 母親 | 非公表 | 一般人・職業等は非公表 |
兄について判明していること
古賀塔子さんの兄については、名前や年齢など詳しい情報は明らかにされていません。
ただし、古賀塔子さんがサッカーを始めた小学1年生の頃、兄も同じFCグラシオンでサッカーをしていたことがわかっています。
岡コーチのコメントから、兄がグラシオンに通っていたことがきっかけで古賀塔子さんも入団したという経緯が確認できます。
古賀塔子さんは2006年生まれのため、兄はおそらくやや年上の世代にあたると思われます。
兄の姿はSNS投稿の3枚目に写っているとも伝えられており、本人も家族との絆を大切にしていることがうかがえます。
古賀塔子さんがサッカーを始めた直接のきっかけが「兄がサッカーをしているのを見たから」という点は複数の媒体でも確認されており、兄がなでしこジャパンのレギュラー選手を生み出した存在であることは間違いないでしょう。
父親・母親について
父親と母親については、2人とも一般人であり、職業や詳しい経歴は明らかにされていません。
ただし、岡コーチのコメントの中に「ご両親がスポーツをされていて、運動ができるタイプの子でした」という言及があります。
古賀塔子さんが持つ突出した身体能力や運動センスは、両親から受け継いだ遺伝的な素質も影響しているのかもしれません。
また、古賀塔子さんが小学6年生でJFAアカデミー福島への進学を決めた際、両親はその決断を全力で支援したとされています。
中学入学と同時に大阪を離れ、福島(当時は静岡での活動)で寮生活を送るという選択は、親としても簡単に受け入れられるものではなかったはずです。
それでも子どもの夢を優先し、積極的にサポートしてきた両親の存在が、今日の古賀塔子さんを形成していることは疑いようがありません。
JFAアカデミーに進んだ後も、古賀塔子さんは帰省のたびにFCグラシオンの後輩の練習に顔を出して恩返しを続けていたとのことです。
A代表初選出の際には、指導者への感謝を直筆で記した「プルーペナント」を岡コーチに贈っており、「6年間ありがとうございました。日本を代表する選手になれるように頑張ります」というメッセージが添えられていました。
家族と、かつての指導者への感謝を忘れない誠実な姿勢は、古賀塔子さんという人間の魅力の一つです。
谷川萌々子との出会いと中高6年間の成長
JFAアカデミー福島13期生として6年間、古賀塔子さんは技術と精神両面で急成長を遂げました。
| 区分 | 学校名 | 所在地 |
|---|---|---|
| 中学 | 楢葉中学校 | 福島県楢葉町 |
| 高校 | ふたば未来学園高等学校 | 福島県広野町 |
楢葉中学校と福島での寮生活
JFAアカデミー福島に合格した古賀塔子さんは、中学校から福島県に移り、楢葉中学校へ進学しました。
大阪を離れ、親元を離れての生活は、12〜13歳の少女にとって大きなチャレンジだったはずです。
それでも、環境の整った施設と優秀な指導者のもとで寮生活を送ることで、サッカーに集中できる日々が続きました。
JFAアカデミー福島での活動を通じて、古賀塔子さんは中学時代からセンターバックとしての役割に専念するようになります。
当時指導にあたった岡コーチは「合格したぐらいから、間違いなくセンターバックをやることになると思っていた」と予見しており、古賀塔子さんの体格とポテンシャルが守備の要として開花することを見越していたとのことです。
ここ、コーチの慧眼というか、選手を見る目って大切なんだなと改めて感じますよね。
谷川萌々子との同期関係とパリ五輪での再会
古賀塔子さんと同じ13期生として入学した仲間の中に、谷川萌々子さんがいました。
2人は小学6年の頃に石川県の大会で初めて出会い、その後の選考試験で改めて顔を合わせた経緯があります。
JFAアカデミー福島で6年間を共に過ごした2人は、ともに高校卒業後すぐに海外クラブと契約するという異例の道を選びました。
古賀塔子さんはフェイエノールト、谷川萌々子さんも海外クラブへと進み、2人そろってパリ五輪のなでしこジャパン代表入りを果たしています。
進学したふたば未来学園高等学校は、サッカーに限らずバドミントン・野球・レスリングなど複数競技の専門施設を備えたスポーツに力を入れた学校です。
外国語や国際的なコミュニケーション能力を鍛えるカリキュラムも組まれており、卒業後すぐに海外でプレーするための実践的な素地を養う環境が整っていました。
6年間の寮生活で培われた自立心と協調性、そしてサッカーの技術が、古賀塔子さんを世界に挑戦できる選手へと育て上げたのです。
JFAアカデミー福島での6年間は、兄の背中を追ってサッカーを始めた少女が、世界へ旅立つアスリートへと変貌を遂げた時間でもありました。
古賀塔子の兄の存在が示す海外挑戦への道
- 兄の影響で磨いた対人守備と身体能力
- フェイエノールトでの活躍とオランダ挑戦の背景
- なでしこジャパン選出と代表デビュー
- パリ五輪と2025シービリーブスカップ優勝
- トッテナムへの移籍と今後の展望
兄の影響で磨いた対人守備と身体能力
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古賀塔子さんのサッカースタイルは、兄と共に培ってきた身体能力と対人の強さが根底にあります。
「女性版冨安」と呼ばれる守備スタイル
古賀塔子さんは、その守備スタイルから「女性版冨安」と呼ばれることがあります。
冨安健洋選手はアーセナルに所属する日本代表の守備の要で、対人の強さ・スピード・テクニックを兼ね備えたセンターバックとして世界で評価されています。
古賀塔子さんも同様に、対人の強さ・豊富な運動量・スピードが武器であり、長身173cmを生かした空中戦でも高いパフォーマンスを発揮します。
ヘディングでの空中戦や、体当たりしても屈しない強固な体幹は、女子サッカー界でも際立った存在感を示しています。
これらの特徴は、幼少期から男子相手にプレーを続けてきたFCグラシオン時代、そして兄と切磋琢磨した日々の積み重ねから生まれたものとも言えます。
高さ・スピード・テクニック・駆け引きの融合
古賀塔子さんの特徴をJ SPORTSの選手紹介は「高さ、スピード、テクニック、クレバーな駆け引きのスキルを兼ね備えたセンターバック」と表現しています。
センターバックというポジションは、単純な体の強さだけでなく、状況を読む判断力と駆け引きの巧みさが求められるポジションです。
古賀塔子さんがセンターバックを本格的に担うようになったのは中学時代からですが、その素地はグラシオン時代に男子に混じって様々なポジションをこなす中で養われたものでしょう。
兄が所属するチームに飛び込み、年上の子どもたちにも引けを取らずにプレーし続けた経験が、自然とタフネスと適応力を磨いていったと考えられます。
憧れの選手はスペインのDF・パウ・トーレス選手で、「攻撃的で、うまく相手をいなすプレーなど、見ていてワクワクするプレーに憧れている」と語っています。
守備だけでなく攻撃的にビルドアップに参加できるセンターバックを目指しており、その姿勢が海外での挑戦意欲にもつながっています。
兄がくれたサッカーへの最初の一歩は、こうして世界が認める守備スタイルにまで昇華されたわけです。
古賀塔子さん自身の努力と才能に、兄という原点が加わることで生まれたプレースタイルだと言えるでしょう。
フェイエノールトでの活躍とオランダ挑戦の背景
古賀塔子さんは高校卒業と同時に、WEリーグ(日本)を経由せずに直接オランダ1部リーグ・フェイエノールトへ加入するという異例の道を選びました。
フェイエノールトを選んだ理由
高校卒業後にどのチームでプロサッカー選手として成長できるかを考えた末、古賀塔子さんが選んだのはオランダリーグのフェイエノールトでした。
その決断のきっかけとなったのは、U-17ワールドカップでの経験です。
「U-17ワールドカップで自分より身体能力の高い選手と戦って力の差を感じたのがきっかけです。普段の練習から、身体能力や個の技術が高い海外の選手とプレーすることで、さらに成長できると思って海外挑戦を決断しました」と古賀塔子さん自身が語っています。
また、JFAアカデミーの山口隆史監督から「塔子は海外に行ったほうが成長できる」というアドバイスをいただいたことも、決断を後押しした大きな要因の一つです。
オランダを選んだ理由の一つに、身長が高いオランダ選手から動き方を学べるという判断があったとのことです。
173cmという長身をさらに武器にするためには、同じような体格の選手と日々練習することが近道だと考えたわけです。
フェイエノールトでの成績と活躍
2024年1月15日、フェイエノールトへの入団が正式発表されました。
2023-24シーズンは主力選手として11試合に先発フル出場し、リーグ全体ではチームが8位という結果でしたが、古賀塔子さん個人としては確かな存在感を示しました。
2024-25シーズンも含めたフェイエノールト在籍通算成績は、リーグ戦32試合出場・3得点という数字を残しています。
センターバックというポジションで3得点はかなり印象的な成績であり、ヘディングや積極的なポジション取りが生きています。
WEリーグ経由せずに直接海外挑戦した高卒選手というのは当時非常に異例であり、古賀塔子さんと谷川萌々子さんの2人がそれを実現したことは大きな話題を呼びました。
オランダでの経験は、古賀塔子さんのサッカー理解とフィジカルをさらに高いレベルに引き上げ、なでしこジャパンのレギュラーとしての地位確立にもつながっていきます。
なでしこジャパン選出と代表デビュー
古賀塔子さんは2023年11月、ブラジル遠征に挑むなでしこジャパンに高校生ながら初選出され、代表デビューを果たしました。
高校生でのA代表デビューという異例の経歴
2023年11月30日のブラジル戦(サンパウロ)でなでしこジャパンとして初出場しました。
高校生のA代表デビューは非常に珍しく、池田太監督が古賀塔子さんの将来性に大きな期待を寄せていたことがうかがえます。
実はその直前の2023年9月に行われたアジア競技大会では、B代表ながら全試合に先発出場してチームの大会2連覇に貢献しています。
アジア競技大会での活躍が評価され、同年11月には正式なA代表として招集されることになりました。
高校生のA代表初選出は、古賀塔子さんの守備力と将来性が高く評価された証と言えるでしょう。
代表での実績と成長
2023年12月のブラジル戦2試合でのデビュー後、2024年2月にはパリ五輪アジア最終予選(北朝鮮戦)にも先発出場しています。
代表初ゴールは2024年5月31日のニュージーランド戦です。
スペイン遠征の初戦でのゴールは、2-0での勝利を決定づける大切な一点でした。
代表通算成績は現在19試合出場・2得点を記録しています。
好きな言葉は、元日本代表MF遠藤保仁さんの「明日やろうはバカヤロー」という言葉です。
この言葉通り、常に今できることに全力で取り組む姿勢が、高校在学中からのA代表定着につながったのかもしれません。
兄のあとを追ってサッカーを始めた少女が、なでしこジャパンのレギュラーとして名前を連ねるまでの軌跡は、多くの女の子たちにとっての希望の物語でもあるでしょう。
現在も積極的にチームに貢献し続けており、今後もさらに多くの試合経験を積みながら成長していくことが期待されています。
パリ五輪と2025シービリーブスカップ優勝
古賀塔子さんは、なでしこジャパンの一員として2つの大きな国際大会で存在感を示しました。
最年少18歳でパリ五輪に先発出場
2024年6月14日、なでしこジャパンのパリ五輪メンバーに選出が発表されました。
当時18歳だった古賀塔子さんは、なでしこジャパンの最年少メンバーとして初の五輪に挑みました。
7月25日のグループステージ初戦・スペイン戦では先発出場しています。
世界ランキング1位で前年W杯覇者のスペインを相手に、左サイドバックに入って懸命に応戦しました。
相手の素早いパス回しに苦しむ場面もありましたが、鋭い出足でボールをカットするなど持ち味も発揮しています。
後半に清水梨紗選手が負傷交代した後は右サイドバックに移って最終盤まで奮闘しており、左右サイドバックに加えセンターバックもこなせるユーティリティ性はチームにとって大きな戦力です。
試合後、古賀塔子さんは「1対1ではがされる部分が多かったのが修正点。色んなポジションで自分の特徴をしっかり出せるようにしたい」と話しており、向上心と冷静な自己分析能力を見せました。
18歳での五輪先発出場という実績は、将来の日本女子サッカーを引っ張る存在であることを証明しています。
シービリーブスカップ優勝と決勝点
2025年2月に行われたシービリーブスカップでは、なでしこジャパンが初優勝を果たし、その決勝点を決めたのが古賀塔子さんでした。
2月27日のアメリカ戦(サンディエゴ)で古賀塔子さんが決めたゴールが決勝点となり、2-1の勝利で大会初制覇を達成しました。
世界ランキング1位のアメリカ代表を倒しての優勝は大きなサプライズで、そのラストピースとなったのが古賀塔子さんのゴールでした。
守備の選手がここぞという場面でゴールを決めるという場面は、古賀塔子さんのセンターバックとしての積極性と勝負強さを象徴するものでした。
この優勝によって、古賀塔子さんはなでしこジャパンに欠かせない選手の一人としての地位をさらに確固たるものにしました。
トッテナムへの移籍と今後の展望
2025年7月2日、古賀塔子さんのイングランドのトッテナム・ホットスパーFCウィメンへの移籍加入が発表されました。
世界最高峰WSLへの挑戦
4年契約での加入となり、背番号は32番です。
イングランド女子スーパーリーグ(WSL)は、世界最高峰の女子サッカーリーグのひとつとして知られており、世界中のトップ選手が集まっています。
オランダのフェイエノールトでの1年半に及ぶ経験で世界基準の守備力を磨いた古賀塔子さんが、さらに高いステージに挑むことになります。
トッテナム・ホットスパーFCウィメンは、男子トッテナム・ホットスパーの女子部門として近年存在感を高めているクラブです。
WSLの強豪クラブでのプレーは、古賀塔子さんにとって守備力だけでなく、攻撃参加やビルドアップ面での成長も期待できる環境です。
高校卒業後わずか1年余りでオランダからイングランドへと活躍の場を広げ、19歳でWSLに挑むというキャリアは、日本の女子サッカー史上でも異例の速さで登り詰めていると言えるでしょう。
今後の展望と目指す姿
古賀塔子さんは「夢は海外で通用する選手になること」と語っており、その夢はすでに実現しつつあります。
J SPORTSの選手紹介にある「いろいろなポジションでプレーでき、対人の強さや運動量、スピードが武器」という特徴が、WSLというリーグでどこまで通用するかは大きな注目点です。
好きな言葉は「明日やろうはバカヤロー」。この姿勢を持ち続ける限り、古賀塔子さんのサッカー人生はさらなる高みへと向かい続けるでしょう。
なでしこジャパンでも引き続き代表の中心メンバーとして活躍が期待されており、将来的なキャプテン候補としての期待を寄せるファンも少なくありません。
兄が所属していたFCグラシオンのグラウンドで蹴り始めた1個のボールが、今や世界のピッチに向かって転がり続けています。
古賀塔子さんの今後の活躍が、日本の女子サッカーを世界の頂点へと押し上げる力のひとつになることを期待せずにはいられません。
古賀塔子の兄と歩んだサッカー人生の総まとめ
- 古賀塔子さんは2006年1月6日生まれ、大阪府豊中市出身の女子サッカー選手
- サッカーを始めたきっかけは兄の影響で、小学1年生の頃から兄が所属していたFCグラシオンに入団
- FCグラシオンは西尾隆矢選手も輩出した大阪・豊中市の地域クラブ
- 名前の「塔子」は万博記念公園の太陽の塔に由来するとされている
- 家族構成は兄・父親・母親の4人家族で、兄の詳細は非公表
- 小学6年でJFAアカデミー福島に合格し、大阪を離れて福島・静岡で寮生活を開始
- 中学は楢葉中学校、高校はふたば未来学園高等学校に進学
- JFAアカデミー福島13期生として谷川萌々子さんとともに成長
- 2024年1月にフェイエノールト(オランダ)と契約し、WEリーグを経ずに海外挑戦
- フェイエノールトでは通算32試合出場・3得点の成績を残した
- 2023年11月になでしこジャパンとしてブラジル戦で代表デビュー
- 2024年パリ五輪に最年少18歳で出場し、スペイン戦で先発出場
- 2025年シービリーブスカップでは決勝点を決めてなでしこジャパンの初優勝に貢献
- 2025年7月にトッテナム・ホットスパー(イングランド)に4年契約で移籍加入
- 「女性版冨安」と称される守備スタイルで、今後もなでしこジャパンを引っ張る存在として期待が高まっている
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