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五島莉乃さんの実家について、場所や家族構成を詳しく知りたいと感じている方は多いです。
パリオリンピック2024に出場し、10000mで世界と渡り合った五島さんは、石川県金沢市出身の日本トップレベルの長距離ランナーです。資生堂ランニングクラブに所属し、10kmとハーフマラソンの日本記録も保持しています。
実家がある金沢市は、2024年1月の能登半島地震で注目が集まりましたが、五島さんのご家族は幸いにも大きな被害を免れたと伝えられています。
故郷への思いを胸に走り続ける五島さんを支えるご家族の絆とはどのようなものか、この記事では家族構成や実家の場所、能登地震の影響について詳しく整理します。
記事のポイント
①:実家は石川県金沢市で能登地震の被害は軽微
②:家族構成は父・母・弟の4人家族
③:母親とは女子旅をするほど仲が良い
④:弟・魁大さんは星稜高→立教大でサッカー
五島莉乃の実家と出身地・金沢市
- 五島莉乃の実家がある石川県金沢市の特徴
- 実家は能登半島地震でどうなったのか
- 五島莉乃の学歴|星稜中・星稜高・中央大学
五島莉乃の実家がある石川県金沢市の特徴
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ここでは、五島莉乃さんの実家がある石川県金沢市の基本情報と、五島さん自身のプロフィールを整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 五島 莉乃(ごしま りの) |
| 生年月日 | 1997年10月29日 |
| 2026年03月21日現在の年齢 | 28歳 |
| 出身地 | 石川県金沢市 |
| 所属 | 資生堂ランニングクラブ |
| 種目 | 長距離走(10000m) |
| 座右の銘 | 弱くても一生懸命 |
| 自己ベスト | 30分53秒31(10000m・日本歴代6位 / 2024年5月) |
| 主な実績 | パリオリンピック2024 10000m出場(18位)、2024年日本選手権10000m優勝、10km・ハーフマラソン日本記録保持 |
加賀百万石の城下町・金沢市という環境
石川県金沢市は、江戸時代に加賀藩前田家の城下町として栄えた歴史ある都市です。
人口は約45万人で石川県の県庁所在地でもあり、「加賀百万石」という言葉が示すように、かつての繁栄が今もさまざまな形で息づいています。
伝統工芸・文化・食文化が非常に豊かな街として知られており、観光地としての知名度も高く、金沢城公園や兼六園、ひがし茶屋街など多くの名所を持ちます。
スポーツ施設の面でも充実していて、金沢市総合体育館や金沢市営陸上競技場といった設備が整備されています。
アスリートが力を磨ける環境が地元にあるというのは、若い選手の育成において大きな意味を持ちます。
五島さんが陸上を始めた小学5年生の頃から、すぐに陸上教室に通い始められたのも、こうした金沢市のスポーツ環境があってこそだと思います。
金沢が育んだアスリートたち
金沢市をはじめとする石川県は、全国的に見ても優秀なスポーツ選手を数多く輩出してきた地域です。
野球では松井秀喜さん、サッカーでは本田圭佑さんという日本スポーツ界を代表するレジェンドが、どちらも石川県の強豪校・星稜高校の出身です。
五島さんも星稜中・星稜高と星稜でスポーツを学んだという意味で、こうした偉大な先輩たちと同じ土俵に立っています。
ここ、なんだか誇らしい気持ちになりますよね。
松井さんや本田さんを輩出した学校から、今度は世界に通じる女性長距離ランナーが生まれたということは、石川県のスポーツ文化の奥深さを物語っています。
また、金沢市は気候的にも四季折々の自然環境があり、冬は降雪もある厳しい季節を持ちます。
そのような環境で培われた強靭な精神力が、五島さんの粘り強い走りのスタイルにも影響を与えているのかもしれません。
「弱くても一生懸命」という座右の銘は、故郷の気候や文化が育てた言葉のようにも感じられます。
金沢という街が持つ歴史・文化・スポーツの土台が、五島莉乃というアスリートを形成した背景にある、と言えるでしょう。
実家は能登半島地震でどうなったのか
2024年1月1日、石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6の能登半島地震が発生しました。
石川県内で広範囲にわたって甚大な被害が出たこの地震は、正月という時期とも重なり、日本全国に大きな衝撃を与えました。
金沢市の被害状況と実家への影響
五島莉乃さんの実家がある金沢市は、震度5強を記録したものの、能登半島の被災地と比べると被害は比較的軽微でした。
五島さんのご家族も幸いにして大きな被害を受けなかったと伝えられており、実家は現在も金沢市にあります。
ただ、「軽微」とはいっても震度5強という揺れは決して小さくはなく、地域によっては建物の損壊や断水なども報告されており、金沢市でも地震直後はかなりの混乱があったことは確かです。
五島さん自身は当時、帰省から東京へと戻る新幹線の車内で地震に遭遇したとされています。
石川県を出発してすぐのことで、新幹線の中で約12時間足止めされたという経験は、五島さんにとって忘れられない出来事となりました。
テレビも見られず、情報はSNSのみという状況で、故郷の惨状を少しずつ知っていくことは精神的にも非常に辛かったことでしょう。
「ニュースで毎日見るたびに心が苦しかったです」と後にコメントしており、家族が無事だったと分かっても、親友や故郷の人々が苦しむ姿を遠くから見守るもどかしさは簡単に消えるものではありませんでした。
都道府県女子駅伝での「石川コール」と五島さんのメッセージ
地震からおよそ2週間後の1月14日、皇后盃第42回全国都道府県対抗女子駅伝が京都で開催されました。
石川県代表として1区(6km)を走った五島さんは、2大会ぶりの区間賞を獲得する激走を見せます。
沿道では「石川がんばれ!」という声援が途切れることなく聞こえてきたといい、五島さんはこの経験についてSNSで次のように綴っています。
「都道府県駅伝、沿道から石川コールが絶え間なく、テレビでも多くの方が見てくださり、胸いっぱいになりながら勇気をもらいました。不安で苦しい日々が続く中ですが、私たちの走りが少しでも届きますようにとチームみんなで想いを込めて走りました。」
このコメントからも分かるように、五島さんにとってこの駅伝は単なるレースではなく、被災した故郷へのメッセージを届ける場でもありました。
「亡くなっている方もいるので……」と言葉を詰まらせながらも、それでも走ることで何かを伝えようとするその姿は、多くの人の心を打ちました。
「たくさんの方が石川県のために支援してくださっていて、日本のみなさんは優しいなって思います」という言葉は、五島さんの人柄と故郷への深い愛情をよく表しています。
実家が無事だったとはいえ、家族や友人が生まれ育った土地が大きな被害を受けた痛みを走ることで昇華し、故郷に力を届けようとした五島さんの姿は、スポーツの持つ力を改めて考えさせてくれます。
五島莉乃の学歴|星稜中・星稜高・中央大学
五島莉乃さんの学歴と陸上競技での歩みについて、ここで整理します。
| 学校名 | 備考 |
|---|---|
| 金沢市内の公立小学校 | 小学5年生から陸上を開始・担任の先生の勧め |
| 星稜中学校(石川県) | 陸上部に所属・1500m・3000m・駅伝で活躍 |
| 星稜高校(石川県) | 陸上部に継続所属・全国レベルで頭角を現す |
| 中央大学(東京都) | 陸上部主将・2018年世界大学クロカン団体金メダル |
星稜という名門で磨いた基礎
石川県の星稜中学校・星稜高校は、スポーツ名門校として全国的にも高い知名度を誇る学校です。
松井秀喜さんや本田圭佑さんが卒業した星稜高校は、野球・サッカー・陸上など幅広い競技で優れた選手を輩出してきました。
五島さんは星稜中・星稜高と6年間この環境で学び、陸上競技者としての基盤を構築していきます。
中学・高校時代は1500m・3000m・駅伝などの長距離種目を中心に活躍し、全国レベルへの足掛かりを着実に作っていきました。
地元の名門でしっかりと力を磨いた五島さんは、その後、東京の中央大学へ進学します。
地元を離れてより高いレベルの競争環境に飛び込んだ選択は、五島さんの向上心の強さを示していると言えるでしょう。
中央大学での飛躍と世界舞台への扉
中央大学では陸上部に所属し、大学4年時には主将を務めるまでに成長しました。
主将という役割は競技力だけでなくリーダーシップやチームマネジメントも求められるポジションです。
「弱くても一生懸命」という座右の銘を持つ五島さんが主将として仲間を引っ張っていた姿は、現在の資生堂での活躍にもつながっていると感じます。
大学時代の主な実績としては、2018年の世界大学クロスカントリー選手権で団体金メダルを獲得したことが特に際立っています。
また、全日本大学女子駅伝(2017年・2019年)での1区区間賞、富士山女子駅伝(2018年・2019年)での2区区間賞・区間記録と、大学時代から全国レベルで圧倒的な結果を残してきました。
卒業後は資生堂ランニングクラブへ加入し、実業団の舞台でもすぐに頭角を現します。
2022年には世界選手権(オレゴン)、2023年には世界選手権(ブダペスト)と2大会連続で世界選手権代表に選ばれ、2024年にはパリオリンピックの出場も果たしました。
星稜という地元名門校での基礎固め、そして中央大学という全国レベルの競争環境という2つのステップが、五島さんの選手としての幅広さの源泉になっているのかもしれません。
五島莉乃の実家を支える家族構成と父母
- 父親は非公開|家族の応援が競技を支える
- 母親との関係|女子旅をするほどの親密な仲
- 弟・魁大さんのプロフィールと星稜高でのサッカー歴
- 五島莉乃の陸上人生の始まりと家族の影響
父親は非公開|家族の応援が競技を支える
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五島莉乃さんの父親については、名前・職業・年齢など詳細な情報は一切公開されていません。
五島さんのSNSや各種インタビューでも、父親に関する具体的な言及はほとんど見られず、現時点では父親の情報は非公表のままとなっています。
情報が明かされていない背景
アスリートの家族情報が非公開であることは珍しくありません。
特に家族がメディアやSNSに積極的に登場しないケースでは、本人が意図的にプライバシーを守っていることも多く、五島さんの場合もそうした配慮があると考えられます。
競技に集中するためにも、家族のプライベートを守ることは選手本人にとっても重要な選択です。
父親について直接的な情報は少ないですが、五島さんが節目ごとにSNSで両親への感謝のメッセージを投稿していることは分かっています。
具体的な職業や経歴は不明でも、娘の競技生活を長年にわたって支え続けてきた存在であることは間違いないでしょう。
アスリートを陰で支える家族の役割
世界レベルのアスリートを育てるためには、本人の才能と努力はもちろん、家族の継続的なサポートが不可欠です。
五島さんが小学5年生で陸上を始め、星稜中・星稜高・中央大学と進んでいく過程では、練習環境の整備や遠征費用の捻出、精神的な支えなど、さまざまな側面で家族の協力があったはずです。
特に東京の中央大学への進学は、石川県を離れて一人暮らしをするということでもあります。
故郷を離れた娘を遠くから見守り続けた父親の存在は、五島さんの心の支えになっていたのかもしれません。
実業団に進んでから世界選手権、そしてパリオリンピックへと駆け上がっていく娘の活躍を、どんな気持ちで見守っていたのか想像するだけでジーンとしますよね。
2024年の能登半島地震の際、五島さんがいち早く家族の安否を確認しようとしていたことも、家族との絆の深さをよく物語っています。
表に出ることは少ないですが、父親を含むご家族の存在が、五島莉乃というアスリートを形成する上で欠かせない基盤となっていることは確かです。
母親との関係|女子旅をするほどの親密な仲
五島莉乃さんの母親については、名前や職業などの詳細は公開されていません。
ただ、母親とは女子旅を楽しむほど仲が良いとされており、家族の中でも特別に親密な関係を築いていることが伝わってきます。
SNSに登場する母親との交流
五島さんはSNSで母親との交流を時折紹介しています。
ツーショット写真を投稿したこともあり、フォロワーからは「目元がそっくり」「親子だね」といったコメントが多く寄せられたといいます。
また、プライベートでは母親と二人で女子旅を楽しむほどの仲の良さで、競技に集中できる日常の中で母親との旅行がリフレッシュの場にもなっているようです。
競技の世界で結果を出し続けることは、精神的なプレッシャーも相当なものがあります。
駅伝シーズンやトラックレースが続く中で、そのプレッシャーをほぐしてくれる存在として母親が機能しているとすれば、これほど心強いことはないでしょう。
競技生活を支える精神的な支柱
五島さんが競技の節目ごとに両親への感謝メッセージをSNSに投稿していることは、家族との絆の深さを示しています。
特に2024年1月の能登半島地震の際には、真っ先に家族の安否を心配していたことが伝わっており、家族の存在が五島さんにとってどれほど大切かが分かります。
都道府県女子駅伝で涙の区間賞を獲得した後も、「家族は無事だったが、ニュースで毎日見るたびに心が苦しかった」と語っており、普段から家族の様子を気にかけていることが読み取れます。
母親との仲の良さは、SNS上だけの話ではなく、実際の日常生活の中でも深く根付いているものだと思います。
一人娘として長年にわたって陸上一筋で歩んできた五島さんにとって、母親は競技の喜びも苦しみも分かち合える存在なのでしょう。
目元が似ている母娘が笑顔で女子旅を楽しむ姿はとても微笑ましいですよね。
これからもパリ五輪での経験を活かして世界舞台で活躍していく五島さんの走りを、母親が一番の応援団として見守り続けていることは間違いありません。
弟・魁大さんのプロフィールと星稜高でのサッカー歴
五島莉乃さんには2歳年下の弟・魁大(かいと)さんがいます。
以下の表で魁大さんの基本情報を整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 五島 魁大(ごしま かいと) |
| 生年月日 | 1999年6月6日 |
| 2026年03月21日現在の年齢 | 26歳 |
| 身長・体重 | 180cm・72kg |
| 出身校 | 星稜高校 → 立教大学 |
| 競技 | サッカー(高校・大学時代) |
| 現在 | 社会人として活躍 |
星稜高校でのサッカー部時代
魁大さんは姉・莉乃さんと同じく石川県の星稜高校に進学し、サッカー部で打ち込んでいました。
星稜高校は陸上だけでなくサッカーも強豪として知られており、本田圭佑さんの母校としても広く認知されています。
180cm・72kgという体格は、サッカー選手としても十分な恵まれた体型で、運動能力の高さが伺えます。
五島家の兄弟が揃って石川県の名門・星稜でスポーツに打ち込んでいたという事実は、スポーツへの理解が高い家庭環境を示しているとも言えます。
姉が陸上で全国・世界を目指す一方、弟はサッカーで力を磨いていた。同じ家庭でそれぞれのスポーツに真剣に向き合う姿は、互いに良い刺激になっていたのではないでしょうか。
立教大学進学と現在の社会人生活
高校卒業後、魁大さんは東京の立教大学へ進学します。
大学でもサッカーを続けていたとされており、スポーツへの情熱は大学時代も続きました。
2022年の卒業後は競技を離れ、現在は社会人として活躍しているとのことです。
姉・莉乃さんが実業団で競技を続けているのとは異なるキャリアを歩んでいますが、高校・大学と全力でサッカーに取り組んできた経験は、社会人としての土台にも活きているはずです。
五島家が陸上一色ということではなく、姉は陸上・弟はサッカーとそれぞれが好きなスポーツに熱中できた環境は、ご両親がお子さんの意思を大切にしてきた証でもあると思います。
現在は社会人として別の道を歩む魁大さんですが、世界舞台で活躍する姉の走りを家族として誰よりも楽しみにしているのではないでしょうか。
五島莉乃の陸上人生の始まりと家族の影響
五島莉乃さんが陸上競技を始めたのは小学5年生のころです。
きっかけは学校の担任の先生からの勧めでした。校内のマラソン大会で優秀な成績を収めたことで先生の目に留まり、陸上教室への参加を勧められたことが競技の出発点となっています。
担任の先生の一言が変えた未来
「マラソン大会で走りが目立った」ことで担任の先生から陸上を勧められた、というエピソードはシンプルですが、とても大切な話だと思います。
もし先生がその才能を見逃していたら、あるいは五島さんが勧めを断っていたら、今のパリオリンピアンは生まれていなかったかもしれません。
先生の言葉を受け入れて金沢市内の陸上教室に通い始め、そこで陸上の楽しさと自分の才能に気づいていく過程は、多くのアスリートの原点に似たものがあります。
そして、その陸上教室通いを許可し、サポートしたのは家族です。
小学生が習い事を始める際には親の送迎や費用の捻出が必要で、ご両親が娘の新しい挑戦を後押ししてくれたことが、五島さんの陸上人生の第一歩につながりました。
家族が支えた競技一筋の生活
陸上を始めてから星稜中・星稜高・中央大学・資生堂と、五島さんは競技を続けるために様々な環境の変化を経験してきました。
特に高校・大学・実業団と、各ステージで新しい挑戦をするたびに、家族のバックアップが五島さんの背中を押してきたはずです。
大学時代に主将を務め、卒業後すぐに実業団で結果を出し、世界選手権代表に連続で選出され、パリオリンピックへ。
この歩みは、家族という土台があってこそ実現できたものだと考えられます。
五島さんが節目ごとにSNSで「両親への感謝」を述べる習慣は、こうした長年にわたる家族のサポートへの心からの気持ちの表れでしょう。
2024年の能登半島地震で被災した故郷のために、涙をこらえながら全力で駆け抜けた都道府県女子駅伝での姿は、家族と故郷への思いが凝縮されたシーンでもありました。
「育ててくれた故郷への精一杯の恩返しは、その走りで表現する」という言葉は、五島さんが家族や地域の人々への感謝をどれほど深く持っているかを表しています。
競技力と人間力の両面で成長し続ける五島莉乃さんの姿は、これからも多くの人にとって刺激と感動を与え続けてくれるでしょう。
五島莉乃の実家と家族|石川県との絆の総まとめ
- 五島莉乃さんの実家は石川県金沢市にある
- 金沢市は加賀百万石の城下町で人口約45万人の石川県の県庁所在地だ
- スポーツ施設が充実し、松井秀喜・本田圭佑と同じ星稜出身というスポーツ名門環境で育った
- 2024年1月1日の能登半島地震では金沢市の被害は比較的軽微で、実家のご家族も無事だった
- 五島さん本人は帰省からの帰路の新幹線内で地震に遭遇し、約12時間足止めされた
- 地震後の都道府県女子駅伝では石川代表として1区で区間賞を獲得し、沿道の石川コールに涙した
- 家族構成は父親・母親・弟の魁大さんの4人家族だ
- 父親の職業・名前などの詳細は非公開だが、長年娘の競技を陰で支えてきたことは確かだ
- 母親とは女子旅を楽しむほど仲が良く、SNSでは目元そっくりのツーショット写真が話題になった
- 弟・魁大さんは1999年6月6日生まれで、身長180cm・体重72kgの体格の持ち主だ
- 魁大さんは星稜高校でサッカーに打ち込み、立教大学へ進学した後、現在は社会人として活躍している
- 五島さんが陸上を始めたのは小学5年生のとき、担任の先生の勧めがきっかけだった
- 星稜中・星稜高・中央大学と進み、大学では主将を務め世界大学クロカン団体金メダルを獲得した
- 自己ベストは30分53秒31(10000m・日本歴代6位)で、10km・ハーフマラソンの日本記録も保持している
- 「弱くても一生懸命」という座右の銘の通り、故郷と家族への感謝を走りで表現し続けている
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